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阿部正員

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
阿部 正員
時代 江戸時代前期
生誕 寛文5年(1665年
死没 享保20年10月2日1735年11月16日
別名 鶴之助、主税(通称)、随運(致仕号)
官位 従五位下壱岐守伯耆守
幕府 江戸幕府 中奥小姓小姓組番頭
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 阿部氏
父母 父:阿部正能、母:牧野信成の娘
兄弟 正武正明正房正員、女(松平康官正室)
有馬康純の娘
正苗(早世)、娘(阿部正甫正室)、娘、養子:正甫
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阿部 正員(あべ まさかず)は、江戸時代前期の旗本忍藩阿部正能の四男。

寛文5年(1665年)、阿部正能(当時は忍藩主阿部忠秋の養嗣子にして大多喜藩主)の四男として生まれる。延宝5年(1677年)7月4日、父の隠居と兄正武の家督相続にあたり、阿部家所領から上総国夷隅郡(旧大多喜藩領)のうち2000石を分与され、寄合に列する。同年7月18日、将軍徳川家綱にはじめて御目見する。

元禄7年(1694年)3月9日、中奥小姓となり、元禄9年12月22日(1697年)、従五位下壱岐守に叙任された。宝永元年(1704年)1月11日、小姓組番頭となるが、宝永5年(1708年)6月23日に職務に適していないという理由で小普請に左遷された。

享保13年(1728年)10月9日に隠居し、随運と名乗る。7年後の享保20年(1735年)10月2日に死去。享年71。長男の正苗(まさみつ)が早世したので、家督は甥(三兄阿部正房の子)で養嗣子の正甫が継いだ。

参考文献

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