阿部正員
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛文5年(1665年) |
死没 | 享保20年10月2日(1735年11月16日) |
別名 | 鶴之助、主税(通称)、随運(致仕号) |
官位 | 従五位下・壱岐守・伯耆守 |
幕府 | 江戸幕府 中奥小姓、小姓組番頭 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
氏族 | 阿部氏 |
父母 | 父:阿部正能、母:牧野信成の娘 |
兄弟 | 正武、正明、正房、正員、女(松平康官正室) |
妻 | 有馬康純の娘 |
子 | 正苗(早世)、娘(阿部正甫正室)、娘、養子:正甫 |
阿部 正員(あべ まさかず)は、江戸時代前期の旗本。忍藩主阿部正能の四男。
寛文5年(1665年)、阿部正能(当時は忍藩主阿部忠秋の養嗣子にして大多喜藩主)の四男として生まれる。延宝5年(1677年)7月4日、父の隠居と兄正武の家督相続にあたり、阿部家所領から上総国夷隅郡(旧大多喜藩領)のうち2000石を分与され、寄合に列する。同年7月18日、将軍徳川家綱にはじめて御目見する。
元禄7年(1694年)3月9日、中奥小姓となり、元禄9年12月22日(1697年)、従五位下・壱岐守に叙任された。宝永元年(1704年)1月11日、小姓組番頭となるが、宝永5年(1708年)6月23日に職務に適していないという理由で小普請に左遷された。
享保13年(1728年)10月9日に隠居し、随運と名乗る。7年後の享保20年(1735年)10月2日に死去。享年71。長男の正苗(まさみつ)が早世したので、家督は甥(三兄阿部正房の子)で養嗣子の正甫が継いだ。
参考文献
[編集]- 続群書類従完成会『新訂寛政重修諸家譜』第十、八木書店、1969年。