長谷長次
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長谷長次 はせ ちょうじ | |
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生年月日 | 1903年8月23日 |
出生地 | 日本 石川県 |
没年月日 | 1977年12月5日(74歳没) |
出身校 | 東京高等工業学校電気化学科卒業 |
前職 | 検察官 |
所属政党 |
(無所属→) (農民新党→) 無所属 |
選挙区 | 石川県第1選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1937年 - 1942年4月29日 |
長谷 長次(はせ ちょうじ、1903年(明治36年)8月23日[1] - 1977年(昭和52年)12月5日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。弁護士。
経歴
[編集]石川県出身。1926年東京高等工業学校電気化学科卒。司法官試補となり、検察官となる。1937年の第20回衆議院議員総選挙で石川1区から立候補して当選する。1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)では非推薦で立候補して落選した。戦後の1947年の第1回北海道知事選挙(1947年北海道庁長官選挙)で無所属で立候補したが落選した。1952年の第25回衆議院議員総選挙で石川1区から再び立候補して落選。その後は千葉県に移り、同地から国政選挙に何度も立候補したが落選続きだった。1977年死去。
国政選挙歴
[編集]- 第20回衆議院議員総選挙(石川1区、1937年4月、中立(無所属))当選[3]。
- 第21回衆議院議員総選挙(石川1区、1942年4月、翼賛政治体制協議会非推薦)落選[4]。
- 第22回衆議院議員総選挙(石川県全県区、1946年4月、無所属)落選[5]。
- 第24回衆議院議員総選挙(北海道1区、1949年1月、農民新党)落選[6][注 1]。
- 第2回参議院議員通常選挙(北海道地方区、1950年6月、無所属)落選[7]。
- 第25回衆議院議員総選挙(石川1区、1952年10月、無所属)落選[8]。
- 第7回参議院議員通常選挙(全国区、1965年7月、無所属)落選[9]。
- 第31回衆議院議員総選挙(千葉3区、1967年1月、無所属)落選[10]。
- 第7回参議院議員補欠選挙(千葉県地方区、1967年11月、無所属)落選[11]。
- 第8回参議院議員通常選挙(東京都地方区、1968年7月、無所属)落選[12]。
- 第32回衆議院議員総選挙(千葉3区、1969年12月、無所属)落選[10]。
- 第9回参議院議員通常選挙(千葉県地方区、1971年6月、無所属)落選[13]。
- 第33回衆議院議員総選挙(千葉3区、1972年12月、無所属)落選[10]。
- 第10回参議院議員通常選挙(千葉県地方区、1974年7月、無所属)落選[13]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』3頁の新旧別では「新」と記載。
出典
[編集]- ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年(昭和12年)、22頁。
- ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』503頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』117頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』127頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』145頁。
- ^ 『朝日選挙大観』443頁。
- ^ 『朝日選挙大観』569頁。
- ^ 『朝日選挙大観』497頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』550頁。
- ^ a b c 『朝日選挙大観』476頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』438頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』442頁。
- ^ a b 『朝日選挙大観』580頁。