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長尾元太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

長尾 元太郎(ながお もとたろう、1874年明治7年)11月2日[1] - 1935年昭和10年)3月28日[2][3])は、明治から昭和前期の林業家・農業経営者・地主・実業家政治家衆議院議員貴族院多額納税者議員岐阜県武儀郡菅田町長。

経歴

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岐阜県[2][3]武儀郡、のちの沙田村(菅田村、菅田町[4][5][6]益田郡金山町を経て現下呂市金山町)で、素封家[5]長尾四郎右衛門の長男として生まれ[4][5][7]、1916年(大正5年)家督を相続した[7]慶應義塾東京高等商業学校(現一橋大学)で学んだ[2][3][4][5][6]

帰郷して農業、林業を営む[3][4]。また、大垣銀行監査役、美濃銀行取締役、濃飛農工銀行取締役、岐阜不動産取締役、菅田町農会長、同町教育会長、武儀郡教育会員、岐阜県農事協会理事などを務め[2][3][5][6][7]、小作制度の改善などに尽力した[5][6]

政界では、菅田町会議員、同町長を務めた[2][3]。1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に岐阜県郡部から無所属で出馬して初当選[5][8]。1917年(大正6年)4月の第13回総選挙では憲政会所属で出馬して再選され[9]立憲同志会などに所属して衆議院議員に連続2期在任した[2][3][5][6]。1925年(大正14年)岐阜県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され[10]、同年9月29日に就任し[11]同成会に所属して活動し1932年(昭和7年)9月28日まで1期在任した[2]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、14頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』213頁。
  3. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』467頁。
  4. ^ a b c d 『濃飛人物と事業』197頁。
  5. ^ a b c d e f g h 『現代日本の政治家』同志会184-185頁。
  6. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』331頁。
  7. ^ a b c 『人事興信録 第8版』ナ138頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』58頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』90頁。
  10. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、35頁。
  11. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。

参考文献

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  • 大橋弥市編『濃飛人物と事業』大橋弥市、1916年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。