長尾四郎右衛門 (政治家)
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長尾 四郎右衛門(ながお しろうえもん、1856年1月19日(安政2年12月12日[1])- 1916年(大正5年)1月31日[2][3])は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(2期)。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]のちの岐阜県出身[2][3][4][注 1]。漢学を修める[3]。長尾信七郎の長男として生まれ、1876年(明治9年)5月に家督を相続する[1]。家業の製糸業を発展させ濃武会社を設立し同社長を務めた[4]。菅田町会議員、武儀郡会議員、岐阜県会議員、同常置委員、相続税審査委員、所得税調査委員、地方森林会議員などを歴任したほか、濃飛農工銀行発起人に名を連ね同頭取を務めた[3]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第5区から出馬し当選[3]。つづく第2回総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた[2][3]。その後、1904年(明治37年)岐阜県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から務め[2]、任期途中の1907年(明治40年)5月11日に辞任した[6]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 第4版』な82頁によると大正4年当時の住所は岐阜県武儀郡菅田村。
出典
[編集]- ^ a b 人事興信所 1915, な82頁.
- ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 206頁.
- ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 360頁.
- ^ a b 篠田 1891, 258頁.
- ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
- ^ 『官報』第7158号「帝国議会」明治40年5月13日。
- ^ 人事興信所 1928, ナ138頁.
参考文献
[編集]- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。