鍋島直賢
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時代 | 江戸時代後期(幕末) |
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生誕 | 天保5年6月11日(1834年7月17日) |
死没 | 安政6年9月23日(1859年10月18日) |
改名 | 安次郎(幼名)、直賢 |
戒名 | 賢徳院殿宗巌雄威大居士 |
墓所 | 佐賀県鹿島市古枝町久保山の普明寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前鹿島藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 |
父:鍋島斉直、母:石井本昭の妹・眠 養父:鍋島直晴 |
兄弟 |
神代賢在、姉(阿部正寧室のち伊達宗徳室)、 直孝、姉(鍋島直堯養女)、姉(久世通熙室)、 姉(鍋島茂義室)、直永、茂真、直正、茂快、 妹(鍋島茂勲室)、珍治、妹(松平斉貴室)、 茂元、妹(諫早茂喬室)、直賢、文武 |
子 | 実子:なし、養子:直彬 |
鍋島 直賢(なべしま なおさが)は、肥前鹿島藩の第12代藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の実弟。諱の読みは「なおかた」ともいわれる。
生涯
[編集]天保5年(1834年)6月11日、佐賀藩第9代藩主・鍋島斉直の二十八男として佐賀城で生まれる。母は側室の石井氏。天保10年(1839年)に第11代鹿島藩主・鍋島直晴(従兄にあたる)が死去したため、天保11年(1840年)5月28日にその養子として家督を継いだ。藩政では水害などの天災に悩まされ、その救済における出費などで財政難に陥った。このため、本家の藩主で実兄である直正の介入を招き、嘉永元年(1848年)9月14日には直正の命令で若くして強制隠居させられ、後継者には養子の直彬(先々代藩主であった直正・直賢の実兄直永の子)が迎えられた。
以後、直賢は病気療養として花岡山の別荘で過ごすことになり、安政6年(1859年)9月23日に死去した。享年26。
系譜
[編集]父母
養子