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鍋島直宜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
鍋島 直宜
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦13年2月21日1763年4月4日
※宝暦12年2月4日1762年2月27日)とも
死没 文政2年12月23日1820年2月7日
改名 守三郎(幼名)、直宜
戒名 瑞巌院威徳良光大居士
墓所 佐賀県鹿島市古枝町久保山の普明寺
官位 従五位下、和泉守、備前
幕府 江戸幕府
肥前鹿島藩
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島直員
母:五条為範娘・松子(静明院、鍋島宗教養女)
養父:鍋島直煕
兄弟 姉(諫早茂成室)、姉(大関増桓室)、直嵩
姉(正親町公明室)、直愈直賢、姉(鍋島直簿室)、姉(鍋島直容室)、姉(鍋島元博室)、直宜、妹(鍋島能完室)、田尻種信西豊明
妹(野口能賢室)
正室:鍋島治茂の娘・悌操院
側室:市川武矩の娘・登志、琴(相良氏)
絹(清水氏)、百合(山田氏)
娘(鍋島直知正室のち鍋島茂延室)、
娘(諫早茂洪室)
養子:直彜
養女:石井尚方の娘、鍋島斉直側室)
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鍋島 直宜(なべしま なおよし)は、肥前国鹿島藩8代藩主。

略歴

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宝暦13年(1763年)2月21日、肥前小城藩の第6代藩主・鍋島直員の四男として小城で生まれる。明和7年(1770年)に鹿島藩第7代藩主・鍋島直熙が治茂と改名して本家佐賀藩家督を継いだため、その跡を継いで鹿島藩主となった。

享和元年(1801年)4月21日、家督を養子の直彜に譲って隠居する。文政2年(1819年)12月23日に死去した。享年57。

系譜

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父母

正室

側室

  • 登志 ー 市川武矩の娘
  • 琴 ー 相良氏
  • 絹 ー 清水氏
  • 百合 ー 山田氏

子女

養子、養女