釣鐘町
釣鐘町 | |
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北緯34度41分17.49秒 東経135度30分49.89秒 / 北緯34.6881917度 東経135.5138583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 大阪市 |
区 | 中央区 |
面積 | |
• 合計 | 0.031459732 km2 |
人口 | |
• 合計 | 991人 |
• 密度 | 32,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
540-0035[3] |
市外局番 | 06(大阪MA)[4] |
ナンバープレート | なにわ |
釣鐘町(つりがねちょう)は、大阪府大阪市中央区の町名。現行行政地名は釣鐘町一丁目および釣鐘町二丁目。
地理
[編集]大阪市中央区の北部に位置。北は島町、南は船越町、東は谷町一丁目、西は松屋町筋を挟んで東高麗橋にそれぞれ接する。
歴史
[編集]1872年(明治5年)に釣鐘上之町、近江町を釣鐘町に編入し、釣鐘町1 - 2丁目となった。
町名の由来
[編集]1634年(寛永11年)に徳川家光が二条城から船で大坂城へ入った際、三郷惣年寄などが将軍を今市に招き、祝賀の意を表したところ、将軍より大坂町中の地子銀の永久免除を約束された。それに感謝して三郷惣年寄が協議し釣鐘を造らせて町中に時報を知らせたことに由来する[5]。この鐘を、大坂町中時報鐘といい[6]、釣鐘屋敷が建てられた[7]。
大坂町中時報鐘
[編集]大坂町中時報鐘(おおさかまちじゅうじほうしょう)は、重さ3トン、高さ1,9mの鐘である[7]。仁政の鐘とも呼ばれる。江戸時代には2時間おきに鐘をつき、時を知らせた[6]。『曽根崎心中』に登場する「暁の鐘」は、この鐘の音とされる[7]。鐘楼はたびたび火災に遭って焼失したが、鐘は残った[6]。明治に入り、市中に時を知らせる役割が号砲に変わると、1870年に撤去された[6]。以後寺や小学校などに預けられ、1926年に大阪府庁舎が新設された際に屋上の鐘楼に掛けられた[6]。しかしその後は存在を忘れられ、戦時期の金属回収も免れた[6]。
1970年代に郷土史家らによって鐘が「再発見」される[6]。1970年、大阪府有形文化財指定[6]。かつての釣鐘屋敷跡[5](釣鐘町二丁目)に企業家らが資金を提供して[6] 鐘楼を築き[6][8]、1985年6月10日(時の記念日)をもって鐘を「里帰り」させた[6][8]。なおこの際、鐘楼部分の土地(17坪)については地主(住友生命[8])が「大坂町中時報鐘顕彰保存会」に「永代貸与」する協定が結ばれた[6]。なお、釣鐘の所有者は大阪府である[8]。
その後土地はマンション用地として転売されたが、無償で貸与する協定は引き継がれた[8]。2015年当時はマンションの一角に鐘楼が所在し[6]、平素は午前8時、正午、日没の3回、コンピュータ制御によって撞木が動き、鐘を鳴らしていた(6月10日と大みそかは手動で鳴らしていた)[6]。
しかし、マンションの地主である不動産会社が土地を売却する際に、17坪部分の無償貸出協定がネックとなった[8]。17坪部分の土地を分筆し、それ以外の土地は売却できたものの、17坪についてはこの不動産会社所有のまま残った[8]。不動産会社は、固定資産税の負担が大きいとして、2015年12月以降、保存会および府に対し、協定解除・土地明け渡し(ないしは土地の時価での買い取り)を求め、訴訟となっている[8]。
世帯数と人口
[編集]2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
釣鐘町一丁目 | 211世帯 | 345人 |
釣鐘町二丁目 | 452世帯 | 646人 |
計 | 663世帯 | 991人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 371人 | [9] | |
2000年(平成12年) | 366人 | [10] | |
2005年(平成17年) | 537人 | [11] | |
2010年(平成22年) | 513人 | [12] | |
2015年(平成27年) | 935人 | [13] |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 182世帯 | [9] | |
2000年(平成12年) | 214世帯 | [10] | |
2005年(平成17年) | 372世帯 | [11] | |
2010年(平成22年) | 370世帯 | [12] | |
2015年(平成27年) | 629世帯 | [13] |
事業所
[編集]2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
釣鐘町一丁目 | 95事業所 | 530人 |
釣鐘町二丁目 | 73事業所 | 795人 |
計 | 168事業所 | 1,325人 |
施設
[編集]- 大阪市立中央高等学校
- 釣鐘屋敷跡
- 西松建設西日本支社
交通
[編集]鉄道
[編集]- 最寄り駅は京阪電気鉄道・Osaka Metroの天満橋駅。
道路
[編集]その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ “大阪府大阪市中央区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “住民基本台帳人口・外国人人口”. 大阪市 (2019年7月26日). 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “釣鐘町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b “44.釣鐘(つりがね)屋敷跡”. 大阪市 (2009年3月16日). 2018年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “大阪中心部、寺もないのに鐘楼?(謎解きクルーズ)町人の時報 平成の街に響く 「釣鐘町」の由来に”. 日本経済新聞. (2015年8月29日) 2018年10月7日閲覧。
- ^ a b c “大坂町中時報鐘”. 大阪市中央区. 2018年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “紛糾!三代将軍家光ゆかりの釣鐘が存亡の危機に…この騒動誰のせい?”. 毎日放送(MBS) (2017年8月16日). 2018年10月7日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。