邸沢
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邸 沢(てい たく、? - 1291年)は、モンゴル帝国(大元ウルス)に仕えた漢人将軍の一人。モンゴル帝国初期にモンゴルに降った邸琮の息子。
生涯
[編集]邸沢は父の邸琮が亡くなった後に地位を継ぎ、潁州に移ってこの地を鎮守した。至元4年(1267年)、元帥のアジュの配下に入り、平塞寨・老鵶山の攻略に功績があった。至元11年(1274年)、青山磯の戦いで南宋軍を破って戦艦を奪う功績を挙げた。至元12年(1275年)、武徳将軍・管軍総管の地位を授かって潭州・静江の攻略に従事し、さらにその後懐遠大将軍・管軍万戸・郴州路総管府ダルガチの地位に移った。至元22年(1285年)、廬州蒙古漢軍万戸の地位を授かり、このころ徽州の績渓県で起こった盗賊を平定した。至元28年(1291年)、杭州に移ったが、そこで亡くなった。息子の邸元謙は潁州万戸の地位に就き、その息子の邸祺、さらにその息子の邸忠が代々地位を継承した[1]。
脚注
[編集]- ^ 『元史』巻151列伝38邸順伝,「子沢襲、移鎮潁州。宋兵攻潁、沢戦敗之。至元四年、従元帥阿朮、克平塞寨及老鵶山。十一年、従沙洋奪六艦、皆論功受賞有差。十二年、授武徳将軍・管軍総管、従攻潭州及静江、累官懐遠大将軍・管軍万戸・郴州路総管府達魯花赤。二十二年、改授廬州蒙古漢軍万戸、尋遷潁州翼、会徽州績渓県盗起、沢討平之。二十八年、移鎮杭州、卒。子元謙、襲為潁州万戸。元謙卒、子祺襲。祺卒、子忠襲」