コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

豊後高田市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
豊後高田市長から転送)
ぶんごたかだし ウィキデータを編集
豊後高田市
豊後高田市旗 豊後高田市章
豊後高田市旗 豊後高田市章
2005年9月1日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
市町村コード 44209-7
法人番号 9000020442097 ウィキデータを編集
面積 206.24km2
総人口 21,399[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 104人/km2
隣接自治体 宇佐市杵築市国東市
市の木
市の花 コスモス
豊後高田市役所
市長 佐々木敏夫
所在地 879-0692
大分県豊後高田市是永町39番地3
北緯33度33分22秒 東経131度26分49秒 / 北緯33.55622度 東経131.44697度 / 33.55622; 131.44697座標: 北緯33度33分22秒 東経131度26分49秒 / 北緯33.55622度 東経131.44697度 / 33.55622; 131.44697
豊後高田市役所
地図
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

豊後高田市位置図

― 市 / ― 町・村

特記事項 市役所のデータは高田庁舎のもの
ウィキプロジェクト

豊後高田市(ぶんごたかだし)は、大分県の北東部にある国東半島の西側に位置する[1]。北は周防灘に面しており、西は宇佐市、東は国東市、南は杵築市と接している[1]

地理

[編集]
豊後高田市中心部周辺の空中写真。
1975年1月21日撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

中心市街地は二級河川の桂川に沿って平野部に広がる高田地区に広がり、かつては海運と商業の街として繁栄した。その北側の玉津地区には高田城跡にも利用された丘陵地があり、江戸時代以降居住区が拓かれた。 中津市から車で約30分、大分市から車で約1時間ほどの位置にあり、旧豊前国豊後国の境界にあり、水崎は豊前国にあたり境界標がある。豊後高田及び宇佐市一帯を二豊というエリアで表すことがある。 大分県北部に位置することから、生活面、文化面等で中津市・宇佐市との関係が深い。経済的に中津市を中心とする小規模経済圏の中津都市圏に属する。

地形

[編集]

国東半島の中心にある両子山の火山活動により、放射状に河川と谷が伸びる。半島の中心に近づくと角礫凝灰岩質の差別侵食を受けた不規則な山容が広がる。メサ状の屋山、猪群山などもあるが、岩場が露出する天念寺耶馬や中山仙境などもある。海岸沿いまで舌状に伸びた尾根は、波による侵食を受けて、海蝕洞穴を形成している(長崎鼻など)。東九州としては珍しく、海を西側に望む地形をしている。干潟の現れる入江が多く、渡り鳥の逗留地となっている他、夕陽観賞の名所である真玉海岸も有名である。

気候

[編集]
豊後高田(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 19.6
(67.3)
24.5
(76.1)
27.2
(81)
29.7
(85.5)
32.2
(90)
35.6
(96.1)
37.4
(99.3)
37.7
(99.9)
35.2
(95.4)
32.4
(90.3)
27.9
(82.2)
26.3
(79.3)
37.7
(99.9)
平均最高気温 °C°F 9.3
(48.7)
10.3
(50.5)
13.8
(56.8)
19.1
(66.4)
23.8
(74.8)
26.8
(80.2)
30.8
(87.4)
32.0
(89.6)
28.0
(82.4)
22.9
(73.2)
17.4
(63.3)
11.8
(53.2)
20.6
(69.1)
日平均気温 °C°F 5.3
(41.5)
6.0
(42.8)
9.1
(48.4)
13.9
(57)
18.6
(65.5)
22.3
(72.1)
26.3
(79.3)
27.3
(81.1)
23.6
(74.5)
18.2
(64.8)
12.8
(55)
7.6
(45.7)
15.9
(60.6)
平均最低気温 °C°F 1.1
(34)
1.6
(34.9)
4.2
(39.6)
8.7
(47.7)
13.7
(56.7)
18.7
(65.7)
22.9
(73.2)
23.6
(74.5)
19.9
(67.8)
13.8
(56.8)
8.2
(46.8)
3.2
(37.8)
11.7
(53.1)
最低気温記録 °C°F −5.5
(22.1)
−6.9
(19.6)
−4.6
(23.7)
−0.5
(31.1)
4.4
(39.9)
10.0
(50)
15.2
(59.4)
17.1
(62.8)
8.2
(46.8)
3.1
(37.6)
−0.7
(30.7)
−4.2
(24.4)
−6.9
(19.6)
降水量 mm (inch) 47.8
(1.882)
61.9
(2.437)
93.3
(3.673)
103.8
(4.087)
119.2
(4.693)
260.8
(10.268)
251.4
(9.898)
132.7
(5.224)
169.3
(6.665)
94.6
(3.724)
63.8
(2.512)
49.3
(1.941)
1,457.4
(57.378)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 6.6 8.0 9.9 9.8 8.9 13.0 11.2 8.9 9.8 6.4 7.7 6.8 106.9
平均月間日照時間 138.7 143.8 177.9 201.2 212.9 149.4 194.9 225.0 166.9 175.0 147.1 132.8 2,059.6
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[2]

隣接している市町村

[編集]

地名

[編集]
旧豊後高田市

市が誕生してからも基本的には以前からの大字を用いている。ただし、平成に入ったころ(推定。詳細は不明)に2町が新設されている。斜体は平成の大合併で大字名が変更された地区である(田染地区)。

  • 高田(旧高田町)
  • 新栄(旧玉津村)
  • 玉津(旧玉津村)
  • 鼎(旧美和村)
  • 払田(旧美和村)
  • 美和(旧美和村)
  • 来縄(旧来縄村)
  • 界(旧来縄村)
  • 小田原(旧河内村)
  • 佐野(旧河内村)
  • 森(旧河内村)
  • 荒尾(旧西都甲村)
  • 大力(旧西都甲村)
  • 築地(旧西都甲村)
  • 長岩屋(旧西都甲村)
  • 松行(旧西都甲村)
  • 草地(旧草地村)
  • 一畑(旧東都甲村)
  • 梅木(旧東都甲村)
  • 加礼川(旧東都甲村)
  • 新城(旧東都甲村)
  • 呉崎(旧呉崎村)
  • 相原(旧田染村)
  • 池部(旧田染村)
  • 上野(旧田染村)
  • 平野(旧田染村)
  • 蕗(旧田染村)
  • 真中(旧田染村)
  • 嶺崎(旧田染村)
  • 水崎(旧封戸村)
  • かなえ台(鼎より独立。)
  • 御玉(高田・玉津より独立。)

以下は平成の大合併で大字高田の一部に町名設置が行われた地域である。(旧町名復活運動)。

  • 今町
  • 鍛治屋町
  • 金谷町
  • 是永町
  • 新地
  • 新町
  • 中央通
  • 浜町
  • 本町
  • 水取

また、平成の大合併では、田染地区では地名の頭に「田染」を冠するようになり、一部の大字が変更された。

  • 田染相原
  • 田染池部
  • 田染上野
  • 田染小崎(合併前は嶺崎)
  • 田染平野
  • 田染蕗
  • 田染真木(合併前は真中)
  • 田染真中
  • 田染横嶺(合併前は嶺崎)

2015年、住宅団地造成により、以下の町が発足した。

  • 城台(玉津より分立)[3]
真玉町

大字がそのまま豊後高田市に引き継がれた。ただし、大字のない区域に中真玉という大字が設置された。

  • 中真玉(旧真玉村。豊後高田市として合併するまで大字なしの区域であった。)
  • 大平(旧真玉村)
  • 西真玉(旧真玉村)
  • 臼野(旧臼野村、真玉村として合併時に東真玉から改称)
  • 大岩屋(旧上真玉村)
  • 黒土(旧上真玉村)
  • 城前(旧上真玉村)
香々地町

大字がそのまま豊後高田市に引き継がれた。

  • 香々地
  • 見目
  • 夷(旧三重村)
  • 上香々地(旧三重村)
  • 堅来(旧三浦村)
  • 小畑(旧三浦村)
  • 羽根(旧三浦村)

歴史

[編集]

古代

[編集]
  • 718年養老2年)宇佐八幡神の応現とされる仁聞が六郷満山を開く(この年代は伝説的なものであるが、奈良から平安時代にかけて国東半島に寺院群が形成された)。
  • 奈良時代末ごろ、森地区に宇佐弥勒寺の覚満薬恩寺が創建する。隣接の佐野地区のカワラガマ遺跡から、薬恩寺のものと見られる瓦が出土している。
  • 11世紀後期 内陸部の田染地区に宇佐神宮の最も重要な荘園のひとつと評価される田染荘来縄郷が開かれる。
  • 11世紀 同じく宇佐宮神宮寺の弥勒寺の荘園として都甲荘草地荘真玉荘臼野荘香々地荘が立荘される。
  • 平安後期 六郷満山文化が栄え、大分最古の磨崖仏である熊野磨崖仏、国東半島の自然神を不動明王に見立てた太郎天真木大堂に現存する巨大な仏像群などが作られた。
  • 平安末期 現存する九州最古の木造建築物である富貴寺大堂が建立される。

中世

[編集]
  • 1196年建久7年) 高田重定により高田城が築かれたとされる。
  • 中世の頃は、長安寺六郷満山の中心となって、疫病・元寇の際に祈祷を行っている。国東半島の荘園に基盤を持つ、都甲氏や真玉氏などが戦場で活躍する。
  • 南北朝時代には、宇佐神宮への御供米を供出するため、御玉・水取一帯に小野荘が開かれた。
  • 15世紀頃から大友一門の吉弘氏が都甲地区を中心に土着(居城として屋山城が知られる)。戦国時代には吉弘鑑理吉弘鎮信高橋紹運吉弘統幸立花宗茂らを輩出する。
  • 1579年天正7年)田原親貫の乱の際に、佐野鞍懸城が主な戦場の一つとなる。

近世

[編集]

近現代

[編集]
ぶんごたかだし
豊後高田市
豊後高田市旗 豊後高田市章
豊後高田市旗 豊後高田市章
1965年7月1日制定
廃止日 2005年(平成17年)3月31日
廃止理由 新設合併
豊後高田市(旧)、西国東郡真玉町香々地町 → 豊後高田市(新)
現在の自治体 豊後高田市(新)
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 宇佐市、西国東郡真玉町、大田村東国東郡国見町安岐町速見郡山香町
豊後高田市役所
所在地 879-6092
大分県豊後高田市大字御玉114
ウィキプロジェクト
  • 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の町村が発足。
  • 1907年(明治40年)4月1日 高田町・玉津町・来縄村・美和村が対等合併し、新町制による高田町となる。
  • 1919年(大正8年)1月1日 岬村が町制施行し、香々地町となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 西真玉村・中真玉村が対等合併し、真玉村が発足。
  • 1941年(昭和16年)10月1日 前日より続いた豪雨により、三畑ダムが崩壊し、町部を含めた大きな災害が発生。長岩屋地区では、天念寺本堂・護摩堂が流されたり、流された児童を助けるため桑野訓導が命を失ったなどの話が伝わる。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 高田町・河内村・東都甲村・西都甲村・草地村が対等合併し、新町制による高田町となる。
  • 1954年(昭和29年)3月31日
    • 呉崎村を高田町に編入。
    • 真玉村・上真玉村・臼野村が合併し、真玉村が発足。
  • 1954年(昭和29年)5月10日 高田町が名称変更し、豊後高田町となる。
  • 1954年(昭和29年)5月31日 田染村を豊後高田町に編入。同時に豊後高田町が市制施行し、豊後高田市となる。
  • 1954年(昭和29年)8月31日 香々地町・三浦村・三重村が対等合併し、香々地町が発足。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 真玉村が町制施行し、真玉町となる。
  • 1955年(昭和30年)3月31日 封戸村の水崎地区を豊後高田市に編入(封戸村の他地域は宇佐町・北馬城村と対等合併して宇佐町となる)。
  • 2005年(平成17年)3月31日 豊後高田市・真玉町・香々地町が対等合併し、新市制による豊後高田市が発足。

市政

[編集]

国東半島の西側に位置し、昭和時代までは海運の要衝として商業が発達していた。当時の町並み・遺産昭和の町を活用した商店街活性化政策が著名。 また、移住者に対する細やかな施策から、移住の町として知られ、新宝島社の住みたい田舎ベストランキングの上位常連である。

歴代市長

[編集]
氏名 就任年月日 退任年月日
市長職務執行者 安永信義 2005年3月31日 2005年4月24日
初-3代 永松博文 2005年4月24日 2017年4月23日
4,5代 佐々木敏夫 2017年4月24日 現職

市議会

[編集]
  • 定数:16人
会派構成
会派名 人数
豊友クラブ 3
新政会 2
新友会 2
豊翔会 2
豊山会 2
無所属 5

(無所属には日本共産党所属の市議1名を含む。)

市役所

[編集]
  • 高田庁舎(旧豊後高田市役所・議会設置庁舎)
  • 真玉庁舎(旧真玉町役場)
  • 香々地庁舎(旧香々地町役場)

国政・県政

[編集]

国政

[編集]

衆議院小選挙区選挙では、大分3区に属する。直近の第49回衆議院議員総選挙2021年10月)での選出議員は以下のとおり。

県政

[編集]

大分県議会議員選挙では、本市でひとつの選挙区をなす。定数は1人。直近の大分県議会議員選挙2023年4月)での選出議員は以下のとおり。

  • 佐藤之則(無所属の会)

公共機関

[編集]

県の行政機関

[編集]
  • 北部振興局豊後高田事務所
  • 北部保健所豊後高田保健部
  • 豊後高田土木事務所
  • 豊後高田警察署

司法機関

[編集]

経済

[編集]

産業

[編集]
  • 主な産業
  • 産業人口

豊後高田市に本社を置く主要企業

[編集]

大分北部中核工業団地に進出した主要企業

[編集]
  • TRI九州 - 住友理工のグループ会社、自動車用防振ゴム、ホースの製造・販売
  • TRI大分AE - 住友理工のグループ会社、精密機器用合成樹脂製品の製造・販売
  • 東プラスチック・エンジニアリング - プラスチック射出成形品、射出成形用金型の製造・販売
  • 北田金属工業所 - 大型プレス加工、アーク溶接・スポット溶接
  • キャム - 精密エンジニアリングプラスチックス金型及び成形品の製造・販売
  • ヒロテック - 自動車部品の設計製作
  • 浅野歯車九州 - 歯車および歯車装置の設計・製造
  • 東陽九州 - 自動車部品の製造・販売

特産品

[編集]
  • 蕎麦(春そばの作付面積は西日本トップ)
  • ネギ(西日本トップの生産量)
  • 落花生(西日本屈指の生産量、品種も多い)
  • ホオズキ(国内トップクラスの出荷量)
  • 岬ガザミ(ブランド化したワタリガニ)
  • ひまわりオイル(長崎鼻で20万本のひまわりを栽培)
  • 豊後合鴨
  • 豊後牛(米仕上牛)

姉妹都市・提携都市

[編集]

国内

[編集]

地域

[編集]

人口

[編集]
豊後高田市と全国の年齢別人口分布(2005年) 豊後高田市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 豊後高田市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
豊後高田市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 33,561人
1975年(昭和50年) 31,527人
1980年(昭和55年) 30,705人
1985年(昭和60年) 29,812人
1990年(平成2年) 28,798人
1995年(平成7年) 27,337人
2000年(平成12年) 26,206人
2005年(平成17年) 25,114人
2010年(平成22年) 23,906人
2015年(平成27年) 22,853人
2020年(令和2年) 22,112人
総務省統計局 国勢調査より

教育

[編集]

高等学校

[編集]

小中一貫校

[編集]

中学校

[編集]

小学校

[編集]

その他の教育施設

[編集]
  • 香々地青少年の家
  • 豊後高田市立図書館
  • 学びの21世紀塾 - 2002年に設立された市営の塾。5歳から中学生を対象に、放課後や土曜日に無料で勉強を教えている。講師は市民がボランティアで務め元教諭、現役の教諭、主婦、老人クラブのメンバーなど、40人が登録している。(2010年時点)[4][5]

交通

[編集]

空港

[編集]

最寄の空港は大分県国東市にある大分空港

鉄道路線

[編集]

※市内に鉄道路線はない。かつては大分交通宇佐参宮線が通っていた。

バス・乗合タクシー

[編集]

かつては大分交通が全路線を運行していたが、現在では大分交通の地域子会社である大交北部バスが市内と市外を結ぶ路線を運行し、市内内陸部の路線は市が各タクシー会社に委託して運行する市民乗合タクシーに転換されている。大交北部バスは市中心市街地の旧豊後高田駅跡にバス営業所を設置しており、ここにある豊後高田バス停が運行の拠点となっている。JTB時刻表にはこの豊後高田バス停が中心駅として記載されている。

  • 大交北部バス - 豊後高田市と大分空港を結ぶ空港特急バス「ノースライナー」、豊後高田市中心部と宇佐市を結ぶ路線、旧真玉町・旧香々地町を経由して豊後高田市中心部と国東市旧国見町を結ぶ路線がある。「ノースライナー」は大分空港で乗降しない途中区間のみの利用も可能で、国東市安岐町杵築市大田村、豊後高田市、宇佐市中津市を経由する(詳細は大交北部バス#高田営業所参照)。
    • ノースライナー:大分空港 - 安岐町役場前 - 大田支所 - 田染中村 - 豊後高田 - 宇佐駅前 - 宇佐八幡 - 法鏡寺 - 飛永 - 中津駅 - 大貞車庫
    • 宇佐駅前 - 豊後高田 - 真玉 - 香々地 - 竹田津港 - 国見 - 伊美
    • 豊後高田 - 宇佐駅前 - 宇佐八幡 - 法鏡寺 - 四日市
    • 豊後高田 - 長洲 - 柳ヶ浦 - 四日市
  • 市民乗合タクシー - 主に内陸部の集落と豊後高田市中心部・旧真玉町中心部・旧香々地町中心部を結んで運行する。
  • まちなか乗合タクシー - 市中心市街地と、市街地からやや離れた場所にある市役所、図書館、大型商業施設などを結んで循環運行する。

道路

[編集]

高速道路の最寄りインターチェンジは東九州自動車道宇佐IC

一般国道

[編集]

県道

[編集]
主要地方道
一般県道
  • 大分県道525号高田港線
  • 大分県道548号地蔵峠小田原線
  • 大分県道655号新城山香線

放送

[編集]

電波銀座

[編集]

豊後高田市は、福岡県のテレビ7局(民放5局)が受信可能なため、市内では北九州中継局皿倉山)にアンテナを向けた家を見かける事が非常に多い。(特に、旧・真玉町や旧・香々地町の沿岸部エリアでは北九州中継局1本しかアンテナを立てていない家屋すらあり、大分局の番組を視聴出来ない世帯もある。)また、山口防府局の電波も届いており視聴可能であり、さらに天候などの条件次第では愛媛、広島のテレビ放送が受信できる事もある。FM放送でも近県の福岡県(行橋北九州局)、山口県防府局)、愛媛県松山局)の3県の放送が受信可能で、AM放送では大阪のラジオ局まで受信でき、夜間は韓国等の近隣諸国や東日本の局まで受信可能なため、地元局にも混信することもある。

このため、大分の3局しかない民放局ではネットされていない番組の中継やロケが行われることがある。2006年7月31日には、テレビ西日本で視聴可能なフジテレビ系「めざましテレビ」の“めざまし体操キャラバン”が同市を訪れた。また、2004年にはTVQ九州放送で視聴可能な(ただし、テレビ大分でも約1か月遅れでネットされている。)「開運!なんでも鑑定団」の出張鑑定が訪れたこともある。

ケーブルテレビ

[編集]

ケーブルテレビを通して福岡のテレビ放送を視聴する場合、特に初夏から秋にかけて混信により電波障害が発生することがある[6]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集]

観光スポット

[編集]

主な名所・旧跡等

[編集]
真木大堂

豊後高田市には、国東半島一帯に展開した六郷満山寺院が多く伝わっている。学問の寺院「本山」と修行の寺院「中山」に属する寺院が多い。

  • 真玉海岸 - 夕陽の名所として知られる海岸。干潮時には干潟に縞模様の砂漣が現れる。
  • 長崎鼻 - 市の最北部から細長く飛び出た小さな半島。菜の花と向日葵の名所。海蝕洞穴は県の天然記念物。
  • 鬼城 - 瀬戸内海国立公園。岩山上の大きな穴に鬼が住んだという伝承がある。並石ダムのダム湖がある。
  • くにさき六郷温泉 - 市内にある6つの温泉。

祭事・催事

[編集]

著名な出身者

[編集]

政治家

[編集]

戦国武将

[編集]

学者

[編集]

文化人

[編集]

アナウンサー

[編集]

スポーツ選手

[編集]

軍人

[編集]

郵便番号

[編集]
  • 豊後高田郵便局:879-06xx、879-07xx、879-08xx
  • 真玉郵便局:872-11xx
  • 香々地郵便局:872-12xx

出典

[編集]
  1. ^ a b 第1章 豊後高田市の現状と課題”. 豊後高田市. 2024年9月14日閲覧。
  2. ^ 豊後高田 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年3月24日閲覧。
  3. ^ [公益財団法人国土地理協会・地名変更2015年5月付 http://www.kokudo.or.jp/place/index.html]
  4. ^ 攻防!教育マネー ~“格差時代”を生き抜く~ - テレビ東京 2010年2月23日
  5. ^ 「学びの21世紀塾」を軸に進める「教育のまちづくり」 - 豊後高田市 2024年11月1日閲覧
  6. ^ ケーブルテレビ電波障害について”. 豊後高田市. 2024年9月14日閲覧。
  7. ^ 名誉市民”. 豊後高田市. 2022年7月23日閲覧。

外部リンク

[編集]