谷駅
谷駅 | |
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たに Tani | |
◄都田口 (1.4 km) (1.4 km) 祝田► | |
所在地 | 静岡県浜松市(現・浜名区)都田町 |
所属事業者 | 遠州鉄道 |
所属路線 | 奥山線 |
キロ程 | 13.1 km(遠鉄浜松起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1914年(大正3年)11月30日 |
廃止年月日 | 1964年(昭和39年)11月1日 |
備考 | 奥山線廃線に伴い廃駅 |
谷駅(たにえき)は、静岡県浜松市都田町(開業時は旧・引佐郡都田村都田、現・浜松市浜名区都田町)にあった遠州鉄道奥山線の駅(廃駅)である。奥山線の廃線に伴い1964年(昭和39年)11月1日に廃駅となった。
歴史
[編集]- 1914年(大正3年)11月30日:浜松軽便鉄道元城駅 - 金指駅間開通に伴い開業[1][2][3]。
- 1915年(大正4年)4月24日:鉄道会社名を浜松鉄道に改称。それに伴い同鉄道の駅となる[1][3]。
- 1947年(昭和22年)5月1日:浜松鉄道が遠州鉄道と合併。それに伴い遠州鉄道奥山線の駅となる[1][3]。
- 1964年(昭和39年)11月1日:奥山線の廃線に伴い廃止となる[1][2][3]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[4]。ホームは線路の南側(奥山方面に向かって左手側)に存在した[4]。転轍機を持たない棒線駅となっていた[4]。蒸気機関車運行時代は給水所として重要な位置を占め[5]、自然水を貯槽する形の給水機が設置されていたが、晩年はその跡も残っていなかった[4]。また附近の沢からバケツに水を汲むこともあったという[5]。
列車交換設備を有さない無人駅となっていた[4][6]。駅舎は無いがホーム中央部分に開放式の待合所を有していた[4]。ホームは遠鉄浜松方にスロープを有し[4]駅施設外に連絡していた。
1916年(大正5年)頃の紀行文に、当駅で蒸気機関車の給水のために10分ほど停車した、との記述がある[5]。1951年(昭和26年)のディーゼル化後辺りから利用者が急速に減り、乗客が手を上げないと停車しないこともあったという[5]。
駅周辺
[編集]ひなびた山間の小駅であった[7]。都田口駅から祝田駅へと至る区間は下り勾配となっており、当駅はその途中の木立を抜けた見通しの良い築堤上に位置し[4]、視界が開けた先には金指や祝田の町並みが見えた[5]。駅のすぐ下に水車小屋があった[4]。丘や木立など、奥山線の絶好の撮影地として知られていた[4]。
駅跡
[編集]1997年(平成9年)時点では、駅跡は判然としなかった[8]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[9]。
また、1997年(平成9年)時点では、当駅跡附近に築堤と小さな鉄橋が残存していた[8]。中部電力遠江変電所の前にある[8]。2007年(平成19年)8月時点でもガーダー橋が確認でき[7][6]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[9]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)216ページより。
- ^ a b 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 7 東海』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年11月発行)35ページより。
- ^ a b c d 書籍『新 消えた轍 6 中部』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2011年5月発行)71ページより。
- ^ a b c d e f g h i j 書籍『RM LIBRARY 10 追憶の遠州鉄道奥山線』(著:飯島嚴、ネコ・パブリッシング、2000年5月発行)18ページより。
- ^ a b c d e f 書籍『今は昔 しずおか懐かし鉄道』(編:静岡新聞社、静新新書、2006年6月発行)82,85,89-90ページより。
- ^ a b 書籍『私鉄の廃線跡を歩くII 関東・信州・東海編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年1月発行)44-47ページより。
- ^ a b 『新 消えた轍 6』74,76ページより。
- ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング、1997年5月発行)93-94ページより。
- ^ a b 『新 鉄道廃線跡を歩く3』128-129ページより。