気賀口駅
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気賀口駅 | |
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きがぐち Kigaguchi | |
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所在地 | 静岡県引佐郡細江町(現・浜松市浜名区細江町)広岡 |
所属事業者 | 遠州鉄道 |
所属路線 | 奥山線 |
キロ程 | 18.0 km(遠鉄浜松起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
開業年月日 | 1915年(大正4年)12月28日 |
廃止年月日 | 1964年(昭和39年)11月1日 |
備考 | 奥山線廃線に伴い廃駅 |
気賀口駅(きがぐちえき)は、静岡県引佐郡細江町広岡(開業時は旧・引佐郡気賀町広岡、現・浜松市浜名区細江町広岡)にあった遠州鉄道奥山線の駅(廃駅)である。奥山線の廃線に伴い1964年(昭和39年)11月1日に廃駅となった。
歴史
[編集]- 1915年(大正4年)12月28日:浜松鉄道金指駅 - 当駅間延伸開通に伴い気賀駅(けがえき)として開業[1][2][3]。
- 1923年(大正12年)4月15日:当駅 - 奥山駅間延伸開通(奥山線全通)に伴い中間駅となる[1][3]。
- 1938年(昭和13年)4月1日?:気賀口駅に改称[1]。
- 1947年(昭和22年)5月1日:浜松鉄道が遠州鉄道と合併。それに伴い遠州鉄道奥山線の駅となる[1][3]。
- 1963年(昭和38年)5月1日:奥山線の部分廃線に伴い終着駅となる[1][3]。
- 1964年(昭和39年)11月1日:奥山線の廃線に伴い廃止となる[1][2][3]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅であった[4]。互いのホームは千鳥式に配置されており、駅舎側単式ホーム東側と島式ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡した[4]。そのほか本線の遠鉄浜松方から南側に分岐し単式ホーム東側に位置し本線に合流する側線(留置線)を1線有していた[4]。
1963年(昭和38年)に当駅 - 奥山駅間の部分廃止による路線短縮に伴い終着駅となる前は、列車交換可能な交換駅であった[4]。右側通行となっており、島式ホームの駅舎と反対側が下り線となっていた[4]。客車を牽引して来た気動車は当駅で客車を切り離し、側線に留置させる運用となっていた[4]。
職員配置駅となっていた[5]。駅舎は構内の南側に位置し単式ホームに接していた[4]。木造駅舎であった[4]。
駅周辺
[編集]- 国道362号
- 静岡県道320号引佐舘山寺線
- 神明神社
- 長徳寺
- 都田川
- 井伊谷川
駅跡
[編集]2007年(平成19年)8月時点では、ハローワークの敷地になっており、当駅についての説明板も立てられていた[6]。
また、岡地駅跡近くの気賀高校附近から当駅跡附近までの線路跡は2007年(平成19年)8月時点で国道362号に転用されている模様であった[6]。当駅跡から奥山方の線路跡は2007年(平成19年)8月時点で痕跡は無かった[6]。
隣の駅
[編集]- 遠州鉄道
- 奥山線
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)216ページより。
- ^ a b c 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 7 東海』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年11月発行)35ページより。
- ^ a b c d e 書籍『新 消えた轍 6 中部』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2011年5月発行)71ページより。
- ^ a b c d e f g h i 書籍『RM LIBRARY 10 追憶の遠州鉄道奥山線』(著:飯島嚴、ネコ・パブリッシング、2000年5月発行)24-25ページより。
- ^ 書籍『私鉄の廃線跡を歩くII 関東・信州・東海編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年1月発行)44-47ページより。
- ^ a b c 『新 消えた轍 6 中部』77ページより。
参考文献
[編集]- 大野拓夫「気賀口(特集 とば口駅)」『そう: 東三河&西遠・西三河・南信応援誌』第48号、春夏秋冬叢書、2015年、16-21頁。