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気賀口駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
気賀口駅
きがぐち
Kigaguchi
岡地 (0.7 km)
(2.1 km) 井伊谷
地図
所在地 静岡県引佐郡細江町(現・浜松市浜名区細江町)広岡
北緯34度48分43.7秒 東経137度39分31.6秒 / 北緯34.812139度 東経137.658778度 / 34.812139; 137.658778座標: 北緯34度48分43.7秒 東経137度39分31.6秒 / 北緯34.812139度 東経137.658778度 / 34.812139; 137.658778
所属事業者 遠州鉄道
所属路線 奥山線
キロ程 18.0 km(遠鉄浜松起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1915年大正4年)12月28日
廃止年月日 1964年昭和39年)11月1日
備考 奥山線廃線に伴い廃駅
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気賀口駅(きがぐちえき)は、静岡県引佐郡細江町広岡(開業時は旧・引佐郡気賀町広岡、現・浜松市浜名区細江町広岡)にあった遠州鉄道奥山線廃駅)である。奥山線の廃線に伴い1964年昭和39年)11月1日に廃駅となった。

歴史

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駅構造

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廃止時点で、単式ホーム島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅であった[4]。互いのホームは千鳥式に配置されており、駅舎側単式ホーム東側と島式ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡した[4]。そのほか本線の遠鉄浜松方から南側に分岐し単式ホーム東側に位置し本線に合流する側線留置線)を1線有していた[4]

1963年(昭和38年)に当駅 - 奥山駅間の部分廃止による路線短縮に伴い終着駅となる前は、列車交換可能な交換駅であった[4]。右側通行となっており、島式ホームの駅舎と反対側が下り線となっていた[4]。客車を牽引して来た気動車は当駅で客車を切り離し、側線に留置させる運用となっていた[4]

職員配置駅となっていた[5]。駅舎は構内の南側に位置し単式ホームに接していた[4]木造駅舎であった[4]

駅周辺

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浜名湖の港町であった気賀の町外れに位置していた[4]

駅跡

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2007年平成19年)8月時点では、ハローワークの敷地になっており、当駅についての説明板も立てられていた[6]

また、岡地駅跡近くの気賀高校附近から当駅跡附近までの線路跡は2007年(平成19年)8月時点で国道362号に転用されている模様であった[6]。当駅跡から奥山方の線路跡は2007年(平成19年)8月時点で痕跡は無かった[6]

隣の駅

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遠州鉄道
奥山線
岡地駅 - 気賀口駅 - 井伊谷駅
かつて当駅と井伊谷駅との間に正楽寺駅が存在した(1923年(大正12年)4月15日開業、戦時中休止1946年(昭和21年) - 1952年(昭和27年)の間に廃止[2](或いは戦時中に廃止[1])。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)216ページより。
  2. ^ a b c 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 7 東海』(監修:今尾恵介新潮社2008年11月発行)35ページより。
  3. ^ a b c d e 書籍『新 消えた轍 6 中部』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2011年5月発行)71ページより。
  4. ^ a b c d e f g h i 書籍『RM LIBRARY 10 追憶の遠州鉄道奥山線』(著:飯島嚴、ネコ・パブリッシング、2000年5月発行)24-25ページより。
  5. ^ 書籍『私鉄の廃線跡を歩くII 関東・信州・東海編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年1月発行)44-47ページより。
  6. ^ a b c 『新 消えた轍 6 中部』77ページより。

参考文献

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  • 大野拓夫「気賀口(特集 とば口駅)」『そう: 東三河&西遠・西三河・南信応援誌』第48号、春夏秋冬叢書、2015年、16-21頁。 

関連項目

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