訓子府駅
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訓子府駅 | |
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くんねっぷ Kunneppu | |
◄西富 (2.1 km) (1.8 km) 穂波► | |
所在地 | 北海道常呂郡訓子府町大町 |
所属事業者 | 北海道ちほく高原鉄道 |
所属路線 | ふるさと銀河線 |
キロ程 | 123.5 km(池田起点) |
電報略号 | クネ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1911年(明治44年)9月25日[1] |
廃止年月日 | 2006年(平成18年)4月21日 |
備考 | ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅 |
訓子府駅(くんねっぷえき)は、北海道常呂郡訓子府町大町にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅(廃駅)である。国鉄・JR北海道池北線時代の電報略号はクネ。事務管理コードは▲120506[3]。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1911年(明治44年)
- 1916年(大正5年)頃:製軸工場から当駅まで専用軌道(馬引き)敷設[5]。
- 1932年(昭和7年):駅舎改築[6]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日:網走本線のうち、池田 - 北見間を池北線に改称。同線所属となる。
- 1973年(昭和48年):人道跨線橋設置。
- 1982年(昭和57年)3月29日:貨物取扱い廃止[1][7]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承[1]。
- 1989年(平成元年)6月4日:北海道ちほく高原鉄道に転換[1]。
- 1999年(平成11年):人道跨線橋撤去。
- 2000年(平成12年)11月1日:駅舎改築。
- 2006年(平成18年)4月21日:ふるさと銀河線廃線により廃止。
駅名の由来
[編集]→「訓子府町 § 町名の由来」も参照
アイヌ語の「クンネプ[8]」〔黒い・ところ(川)〕から[9]。
駅構造
[編集]- 相対式ホーム2面2線の地上駅。
- のりば
- 1番のりば…上り置戸・池田方面
- 2番のりば…下り上常呂・北見方面
- 備考
- 社員配置駅(駅長1名配置、ただし駅長不在のときは置戸駅から助勤で対応)、平日の日中のみ営業。廃止前1ヶ月程度の期間は土日祝も営業していた。改札業務はしなかった。
- 農業交流センター「くる・ネップ」との合築である。
- 代替運行する北海道北見バスの回数券・定期券発売は訓子府商工会で行うため、ふるさと銀河線の有人駅で唯一、代替バスの案内所にならなかった。
- 先代駅舎の出入口脇には円形の花壇が設置されていたが、これは当初小型の噴水で、その後夏季には金魚等を飼う水槽としても利用されていた。
駅周辺
[編集]訓子府町の中心駅。町の機能が集中している。
- 北海道道335号訓子府停車場線
- 北海道道50号北見置戸線
- 訓子府町役場
- 北見警察署訓子府駐在所
- 訓子府郵便局
- きたみらい農業協同組合(JAきたみらい)訓子府支店
- 北見信用金庫訓子府支店
- 北海道訓子府高等学校
- 訓子府町温水プール「KAPPA」
- 訓子府町図書館
- 訓子府温泉保養センター
- 常呂川
- 北海道北見バス「訓子府駅」停留所 - 代替バス運行開始による新設停留所。鉄道廃止前の路線バスは北海道道50号沿い「訓子府」停留所で扱っており、駅廃止と同時に「駅」停留所が設置された。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書き1日平均欄に示す。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1916年(大正 | 5年)33,010 | (90.4) | [10] | |
1936年(昭和11年) | 56,037 | (153.5) | ||
1945年(昭和20年) | 128,311 | (351.5) | ||
1948年(昭和23年) | 209,390 | (573.7) | ||
1953年(昭和28年) | 230,708 | (632.1) | ||
1963年(昭和38年) | 382,111 | (1,044.0) | ||
1973年(昭和48年) | 264,079 | 724 | [11] | |
1974年(昭和49年) | 271,694 | 744 | ||
1975年(昭和50年) | 251,574 | 687 | ||
1976年(昭和51年) | 253,072 | 693 | ||
1977年(昭和52年) | 239,023 | 655 | ||
1978年(昭和53年) | 229,664 | 629 | ||
1979年(昭和54年) | 222,499 | 608 | ||
1980年(昭和55年) | 218,673 | 599 | ||
1981年(昭和56年) | 203,783 | 558 | ||
1982年(昭和57年) | 200,326 | 549 | ||
1983年(昭和58年) | 198,334 | 542 | ||
1984年(昭和59年) | 190,052 | 521 | ||
1985年(昭和60年) | 184,126 | 505 | ||
1986年(昭和61年) | 173,560 | 476 | ||
1987年(昭和62年) | 170,897 | 467 | ||
1988年(昭和63年) | 168,000 | 460 | ||
1989年(平成元年) | 217,245 | 595 | ||
1990年(平成 | 2年)210,384 | 576 | ||
1991年(平成 | 3年)207,740 | 569 | ||
1992年(平成 | 4年)198,952 | 545 | ||
1993年(平成 | 5年)188,045 | 515 | ||
1994年(平成 | 6年)172,312 | 472 | ||
1995年(平成 | 7年)158,674 | 435 | ||
1996年(平成 | 8年)108,824 | (298.1) |
駅跡
[編集]駅舎は引き続き農業交流センター「くる・ネップ」として利用されており1番ホームも残っているが、線路と2番ホームは撤去され公園とバスの転回場になっており、構内踏切跡は歩道に転用されている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、894頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、237頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 『官報』1911年09月21日 鉄道院告示第71号(国立国会図書館)
- ^ 訓子府町史 昭和42年3月出版 P594、758。
- ^ 訓子府町史編さん委員会 編『訓子府町史』訓子府町、1967年、757頁。doi:10.11501/3005948 。2022年6月15日閲覧。
- ^ 続訓子府町史編さん委員会 編『続訓子府町史』訓子府町、1998年3月、839頁。doi:10.11501/3005983 。2022年6月15日閲覧。
- ^ アイヌ語ラテン翻字: kunne-p
- ^ “アイヌ語地名リスト キト~コム P41-50P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ 訓子府町史編さん委員会 編『訓子府町史』訓子府町、1967年、763-767頁。doi:10.11501/3005948 。2022年6月15日閲覧。
- ^ 続訓子府町史編さん委員会 編『続訓子府町史』訓子府町、1998年3月、836, 864頁。doi:10.11501/3005983 。2022年6月15日閲覧。