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訓子府駅

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訓子府駅
  • 営業当時の訓子府駅構内
  • (列車は帯広行きCR70形気動車。2006年4月)
くんねっぷ
Kunneppu
西富 (2.1 km)
(1.8 km) 穂波
地図
所在地 北海道常呂郡訓子府町大町
北緯43度43分43.26秒 東経143度44分17.25秒 / 北緯43.7286833度 東経143.7381250度 / 43.7286833; 143.7381250座標: 北緯43度43分43.26秒 東経143度44分17.25秒 / 北緯43.7286833度 東経143.7381250度 / 43.7286833; 143.7381250
所属事業者 北海道ちほく高原鉄道
所属路線 ふるさと銀河線
キロ程 123.5 km(池田起点)
電報略号 クネ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1911年明治44年)9月25日[1]
廃止年月日 2006年平成18年)4月21日
備考 ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅
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旧訓子府駅(2008年6月)
1977年、国鉄池北線時代の訓子府駅と周囲500 m範囲。右が北見方面。かつては木材や川砂利搬出が盛んな駅の一つであったが[2]、駅裏のストックヤードは閑散としている。千鳥式の相対ホーム2面2線と駅裏側に2本の貨物線、駅舎横の池田側に貨物ホームと引込み線、そこから池田側にある木工場前へ引込み線が伸びる。駅舎横北見側すぐの所には駅裏への人道跨線橋(自由通路)があるが、1999年に撤去されている。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

訓子府駅(くんねっぷえき)は、北海道常呂郡訓子府町大町にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線廃駅)である。国鉄JR北海道池北線時代の電報略号クネ事務管理コードは▲120506[3]

歴史

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年表

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駅名の由来

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アイヌ語の「クンネ[8]」〔黒い・ところ(川)〕から[9]

駅構造

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のりば
1番のりば…上り置戸・池田方面
2番のりば…下り上常呂・北見方面
備考
  • 社員配置駅(駅長1名配置、ただし駅長不在のときは置戸駅から助勤で対応)、平日の日中のみ営業。廃止前1ヶ月程度の期間は土日祝も営業していた。改札業務はしなかった。
  • 農業交流センター「くる・ネップ」との合築である。
  • 代替運行する北海道北見バス回数券・定期券発売は訓子府商工会で行うため、ふるさと銀河線の有人駅で唯一、代替バスの案内所にならなかった。
  • 先代駅舎の出入口脇には円形の花壇が設置されていたが、これは当初小型の噴水で、その後夏季には金魚等を飼う水槽としても利用されていた。

駅周辺

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訓子府町の中心駅。町の機能が集中している。

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書き1日平均欄に示す。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1916年(大正05年) 33,010 (90.4) [10]
1936年(昭和11年) 56,037 (153.5)
1945年(昭和20年) 128,311 (351.5)
1948年(昭和23年) 209,390 (573.7)
1953年(昭和28年) 230,708 (632.1)
1963年(昭和38年) 382,111 (1,044.0)
1973年(昭和48年) 264,079 724 [11]
1974年(昭和49年) 271,694 744
1975年(昭和50年) 251,574 687
1976年(昭和51年) 253,072 693
1977年(昭和52年) 239,023 655
1978年(昭和53年) 229,664 629
1979年(昭和54年) 222,499 608
1980年(昭和55年) 218,673 599
1981年(昭和56年) 203,783 558
1982年(昭和57年) 200,326 549
1983年(昭和58年) 198,334 542
1984年(昭和59年) 190,052 521
1985年(昭和60年) 184,126 505
1986年(昭和61年) 173,560 476
1987年(昭和62年) 170,897 467
1988年(昭和63年) 168,000 460
1989年(平成元年) 217,245 595
1990年(平成02年) 210,384 576
1991年(平成03年) 207,740 569
1992年(平成04年) 198,952 545
1993年(平成05年) 188,045 515
1994年(平成06年) 172,312 472
1995年(平成07年) 158,674 435
1996年(平成08年) 108,824 (298.1)

駅跡

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駅舎は引き続き農業交流センター「くる・ネップ」として利用されており1番ホームも残っているが、線路と2番ホームは撤去され公園とバスの転回場になっており、構内踏切跡は歩道に転用されている。

隣の駅

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北海道ちほく高原鉄道
ふるさと銀河線
西富駅 - 訓子府駅 - 穂波駅

脚注

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  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、894頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、237頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ 『官報』1911年09月21日 鉄道院告示第71号(国立国会図書館)
  5. ^ 訓子府町史 昭和42年3月出版 P594、758。
  6. ^ 訓子府町史編さん委員会 編『訓子府町史』訓子府町、1967年、757頁。doi:10.11501/3005948https://doi.org/10.11501/30059482022年6月15日閲覧 
  7. ^ 続訓子府町史編さん委員会 編『続訓子府町史』訓子府町、1998年3月、839頁。doi:10.11501/3005983https://doi.org/10.11501/30059832022年6月15日閲覧 
  8. ^ アイヌ語ラテン翻字: kunne-p
  9. ^ アイヌ語地名リスト キト~コム P41-50P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
  10. ^ 訓子府町史編さん委員会 編『訓子府町史』訓子府町、1967年、763-767頁。doi:10.11501/3005948https://doi.org/10.11501/30059482022年6月15日閲覧 
  11. ^ 続訓子府町史編さん委員会 編『続訓子府町史』訓子府町、1998年3月、836, 864頁。doi:10.11501/3005983https://doi.org/10.11501/30059832022年6月15日閲覧 

関連項目

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