親不孝通り (曖昧さ回避)
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親不孝通り(おやふこうどおり)とは、繁華街・歓楽街やその道路にしばしばつけられる通称であり、各地に存在する[1]。
地名
[編集]日本
[編集]北海道
[編集]- 旧朝日町(現在の士別市朝日町中央)にかつて存在した飲食店街[2]。
- 深川市の繁華街[3][4]。
- 足寄町の飲食店街[5]。
- 三笠市の飲食店街[6]。
- 本別町の道の駅の南側にある飲食店街、旧称「マーケット通り」[7]。
- 釧路市栄町の飲食店街[8]。2005年に「ほろ酔い通り」へと改称[8]。
- 帯広市の西一条通りと西二条通りの間を並走する「幸通り」[9][10]。かつては「神田館通り」「ミマス館通り」とも呼ばれた[9][10]。
- 苫小牧市錦町1丁目の、1条通りと国道36号線との間を並走する「新1条通り」[11]。
- 八雲町の八雲駅前の飲食店街[12]。
- 奥尻町奥尻の塩釜川沿いの飲食店街[13][14]。
- 函館市松風町10丁目の、さかえ通と浅草通りとの間を並走する「菊水小路」[1]。
- 木古内町の木古内駅前の飲食店街[15]。
青森県
[編集]- 大間町の法香寺の前から北側の大間バス停へと抜ける路地[16][17]。「親不幸通り」[17]、「親富幸通り」[18]という表記も見受けられる。並行する隣の路地は「新親不孝通り」[17]または「新親富孝通り」[18]と呼ばれる。
- むつ市田名部町と横迎町との間の道路[16]。
- むつ市大畑町の寶國寺と正教寺との間の道路[16]。
- 五所川原市川端町の飲食店街[19]。
岩手県
[編集]- 久慈市巽町の歓楽街[20]。
- 遠野市新穀町の6丁目と7丁目との境界に沿う細い道路[21]。
- 釜石市大町1丁目の8番地と9番地との間を走る細い道路[22][23]。2016年に「親富幸通り」へと改称[23]。
秋田県
[編集]栃木県
[編集]埼玉県
[編集]千葉県
[編集]東京都
[編集]- 台東区の吉原遊廓と江東区の洲崎遊廓とを南北に結んでいた「
大門 ()通り」[29][30]。「吉原 (東京都)#吉原及び近辺の名所」および「洲崎 (東京都)#大門通り」を参照。 - 中央区銀座5丁目5番地と6番地との境界に沿い、並木通りとすずらん通りとの間を並走する「西五番街通り」[31]。もしくはそれら3つの通りと直交して銀座5丁目と6丁目との境界を走る「みゆき通り」[32]。
- 港区新橋3丁目の19・20番地と21・22・23番地との間を走る、新橋駅前の「西口通り」[33]。
- 八丈町の飲食店街[34]。
神奈川県
[編集]- 横浜市中区の末広町を貫通して曙町と伊勢佐木町の境界を通り、国道16号線(兼神奈川県道21号横浜鎌倉線)の北側を並走する「浜っ子通り」[35][36]。「曙町 (横浜市)#歴史」や「末広町 (横浜市中区)#地理」を参照。
新潟県
[編集]愛知県
[編集]京都府
[編集]大阪府
[編集]和歌山県
[編集]広島県
[編集]福岡県
[編集]佐賀県
[編集]パラオ
[編集]- 日本統治時代のパラオのコロール島に存在した歓楽街[49][50]。
地名以外
[編集]- 川口松太郎の短編小説[51]。連作短編集『非情物語』の中の一篇[52]。
- 川口浩の歌謡曲。藤間哲郎作詞、鎌多俊与作曲、1959年2月発売[54]。
- 舟木一夫の歌謡曲。山川啓介作詞、いずみたく作曲[55]。
脚注
[編集]- ^ a b “(知っとーと?)全国にあります『親不孝』通り”. 朝日新聞: p. WEST3. (2015年12月26日西部夕刊)
- ^ 後藤耕作 (2016年5月21日朝刊地方 上北). “開拓の歩み地図に刻む 旧朝日町民有志が作成”. 北海道新聞: p. 26
- ^ “平成21年 第3回 深川市議会定例会会議録 (第2号)”. 深川市議会 会議録. 深川市 (2009年9月4日). 2022年8月3日閲覧。
- ^ “平成22年 予算審査特別委員会記録(第3号)”. 深川市議会 会議録. 深川市 (2010年3月18日). 2022年8月3日閲覧。
- ^ “足寄物語~Ashoro Stories その17 あしょろ銘店探訪#5「海平」”. あしょろ観光協会 (2022年9月15日). 2023年3月6日閲覧。
- ^ 安田忠郎『炭鉱(ヤマ)へゆく 日本石炭産業の生と死の深淵』JCA出版、1981年9月、108頁。
- ^ 林佑哉 (2016年2月18日). “かつてにぎやか「親不孝通り」 まちマイ本別”. 十勝毎日新聞. 2023年3月6日閲覧。
- ^ a b 矢田信仁 (2005年7月20日朝刊地方 釧A). “「親不孝」→「ほろ酔い」に 釧路市栄町の飲食店街 公募し20点から選ぶ 「名変わっても来て」”. 北海道新聞: p. 24
- ^ a b 帯広市史編纂委員会(編)『帯広市史』帯広市役所、1984年2月、624頁。
- ^ a b “帯広平原通りを中心とした帯広商店街物語”. 帯広平原通商店街振興組合ホームページ. 帯広平原通商店街振興組合. 2018年5月26日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典 (1‐2) 北海道 下巻 総説・地誌編・資料編』角川書店、1987年10月、341頁。
- ^ 梁井朗 (2005年6月10日朝刊地方 函C). “<経済レーダー>「やくも屋台村」15日オープン 駅にも近く「新名所に」 黒豚、焼き鳥など8店 来月からビアガーデンも”. 北海道新聞: p. 29
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典 (1‐2) 北海道 下巻 総説・地誌編・資料編』角川書店、1987年10月、1219頁。
- ^ 稲垣森太 (2017年3月24日夕刊地方 館C). “<道南学芸員りぽーと>コラムリレー50 奥尻の飲食街観察 往時のにぎわい遠く”. 北海道新聞: p. 13
- ^ “盛り場物語 道南編8 木古内・新道 演歌の天国 夢のいさり火輝いて”. 北海道新聞: p. 1. (2001年10月24日夕刊全道)
- ^ a b c “下北の親不孝通りを行く 飲んべえ天国 今も昔も”. 東奥日報: p. 7. (2017年1月3日朝刊)
- ^ a b c “親不幸通り | 店舗・スポット”. 大間町観光協会. 2018年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月22日閲覧。
- ^ a b “親富幸(おやふこう)通り | 店舗・スポット”. 大間町観光協会. 2019年8月22日閲覧。
- ^ 森栗茂一「東北の河原町の特色」『国立歴史民俗博物館研究報告』第67号、国立歴史民俗博物館、1996年3月29日、245-265頁、ISSN 0286-7400、2019年6月27日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典 (3) 岩手県』角川書店、1985年2月、487-488頁。
- ^ “ガイドマップ【遠野の休日】” (PDF). 遠野市観光協会公式サイト遠野時間. 遠野市観光協会. p. 8. 2018年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月9日閲覧。
- ^ “東日本大震災 共に歩もう・岩手”. 河北新報. (2015年1月10日)
- ^ a b “「親富幸通り飲食店会」設立、釜石市大町1丁目界隈〜にぎわい創出へ29店加盟”. かまいし情報ポータルサイト 縁とらんす. 復興釜石新聞. (2016年8月3日) 2018年5月18日閲覧。
- ^ 小泉信一 (2018年3月28日東京夕刊). “(スナックをたどって:3)紫は名店の証し”. 朝日新聞: p. 2
- ^ “夜の街 にぎわいを 大田原中心部の有志 「親不孝通り」地図を作製”. 下野新聞: p. 30. (2016年6月23日朝刊)
- ^ a b “大田原市 県北の中核 着実に発展(ずーむあっぷ49)栃木”. 朝日新聞. (1990年3月21日朝刊栃木面)
- ^ 社団法人埼玉県建築士事務所協会 (2011年). “本庄” (PDF). 平成22年度 歴史のみち広域景観形成プロジェクト調査報告. 埼玉県. 2022年8月3日閲覧。
- ^ “千葉市内の不良少年グループを解体 県警少年課 千葉”. 朝日新聞. (1996年12月25日東京地方版千葉)
- ^ 山浦敏之、斉藤照徳 著「大門通り」、吉田之彦、渡辺晋、樋口州男、武井弘一 編『東京の道事典』東京堂出版、2009年、232頁。ISBN 978-4-490-10757-9。
- ^ “[いまどきの博物館](2)ガラス工場と一体化 見学ついでに制作体験”. 読売新聞: p. 5. (1994年2月27日東京朝刊)
- ^ “私の提言 銀座4 当局の協力がほしい 土地っ子の声も入れて”. 読売新聞: p. 13. (1963年9月26日東京中央版)
- ^ 檜山四郎『戦後少年犯罪史 増補版』酒井書店、1988年、97頁。ISBN 4782201850。
- ^ 椎名誠『新橋烏森口青春篇』小学館〈小学館文庫〉、2015年3月、150頁。ISBN 978-4-09-406135-2。(電子書籍版、2019年6月27日閲覧。)
- ^ 小泉信一 (2018年4月4日東京夕刊). “スナックをたどって:8)スナガールが巡る、島の27店”. 朝日新聞: p. 2
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典 (14) 神奈川県』角川書店、1984年6月、1008頁。
- ^ 白神義夫「ハマの盛り場」『調査季報』第60号、横浜市政策局、1978年12月、16頁、NDLJP:9587324。
- ^ “[あっ「トキ」だ!? 島内モニタリング]4 スナックとき 夜の街群れなす笑顔”. 新潟日報: p. 17. (2017年1月20日朝刊、10版)
- ^ “糸魚川大火1年 夜の街にもお邪魔しました 仲間や常連の支援に感謝 「明るく前向いていこう」”. 新潟日報: p. 3. (2017年12月21日、おと3-10版)
- ^ “面影を探して 90年目の昭和 駅西(5) 予備校 「日陰者」も悪くない”. 中日新聞: p. 18. (2015年2月21日朝刊)
- ^ 木田真雄 (2000年7月27日名古屋朝刊). “名古屋駅西銀座通商店街 若者こちらへも(元気まちへ)【名古屋】”. 朝日新聞: p. 29
- ^ 栗山良八郎「京都・河原町――『古都の顔』は個性を取り戻せるか」『プレジデント』第28巻第10号、プレジデント社、1990年10月1日、260頁。
- ^ a b “志望決定のための注目48大学重要データと在学生の証言”. 朝日ジャーナル臨時増刊 手づかみ大学ガイド'89: pp. 104-105. (30巻45号、1988年11月11日)
- ^ a b 山内太地、石渡嶺司「偏差値50からの大学選び」『季刊インターコミュニケーション』13巻2号、通巻48号、NTT出版、2004年。
- ^ a b “[遠近おちこち]紀伊田辺(6)飲食街「味光路」”. 読売新聞: p. 1. (2003年12月5日大阪朝刊)
- ^ “どうしょーるん JR広島駅前予備校街(南・東区) 「背水の陣」支える人情 牛かたどった石像 祈り込めさい銭 たこ焼き店 合格の笑顔心待ち 1947年創業 歴史知る自転車店”. 中国新聞. (2005年1月8日中国朝刊広島圏域)
- ^ “「親富孝」から「親不孝」へ原点回帰!『親不孝通り』の今昔物語”. ファンファン福岡. 西日本新聞社 (2017年9月8日). 2018年5月3日閲覧。
- ^ “佐賀県/むつごろう=スナックやクラブなど約二十軒が道路の両側に並ぶ鹿島市…”. 西日本新聞: p. 22. (2002年12月19日朝刊)
- ^ “「相生通り」から元気発信 25日、鹿島でフェス”. 佐賀新聞. (2018年2月18日). オリジナルの2018年12月6日時点におけるアーカイブ。 2020年9月24日閲覧。
- ^ 佐藤太郎『戦艦武蔵』再建社、1952年、68-69頁。doi:10.11501/1659795。 (復刻版電子書籍、グーテンベルク21社、ASIN B00AQRYK5S、2012年)
- ^ 山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争 秘められた女たちの戦記』光人社、1991年、178頁。ISBN 476982078X。
- ^ 川口松太郎「親不孝通り」『川口松太郎全集』 16巻、講談社、1969年、220-251頁。NDLJP:1674526/115。
- ^ 尾崎秀樹「解説」『川口松太郎全集』 16巻、講談社、1969年、412頁。NDLJP:1674526/211。
- ^ “親不孝通り”. 映画.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ “親不孝通り”. 国立国会図書館オンライン. 2024年11月6日閲覧。
- ^ “親不孝通り/舟木一夫-カラオケ・歌詞検索”. joysound.com. 2024年8月23日閲覧。