西立野
表示
西立野 | |
---|---|
西福寺三重塔 | |
北緯35度51分31.48秒 東経139度44分51.31秒 / 北緯35.8587444度 東経139.7475861度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 川口市 |
地区 | 戸塚地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.650 km2 |
人口 | |
• 合計 | 3,847人 |
• 密度 | 5,900人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
333-0813[2] |
市外局番 | 048 (川口MA)[3] |
ナンバープレート | 川口 |
西立野(にしたての)は、埼玉県川口市の大字。郵便番号は333-0813[2]。
地理
[編集]川口市の東部の大宮台地(鳩ヶ谷支台)上に位置する。東西に長い区域となっている。地区の北側の境を赤堀用水路が蛇行しながら流れ、一の橋放水路が分岐する[4]。かつて美園村に属したエリアで、東には安行西立野が隣接する。地区の一部は埼玉県立安行武南自然公園に位置する。地区東部に戸塚安行駅(一部)が所在し、駅前通りが東西を走ることから宅地化が急速に進んでいる。
沿革
[編集]もとは江戸期より存在した足立郡に属する立野村であった[5]。立野は館野とも記された[6]。植木の生産は幕末より行なわれていた[5]。
- はじめは幕府領、寛永年間(1624年〜1645年)より関東郡代伊奈氏の知行地となるが、1792年(寛政4年)に再び幕府領となる[5]。なお、検地は延宝6年に実施[6]。
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。それに伴い、郡内に同名の村(旧草加町大字東館野、現在の草加市氷川町の一部)が存在していたため、西を冠称して西立野村に改称される[7][5]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、戸塚村・西立野村・長蔵新田・久左衛門新田・藤兵衛新田が合併し[8]、戸塚村の大字西立野となる。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 戸塚村・大門村・野田村が合併し、美園村が成立する[9][10]。美園村の大字となる。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 美園村から一部が川口市に編入され[7]、川口市大字安行西立野となる[11](西立野とは現在も別の町丁)。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 美園村の南側(旧戸塚村と旧大門村の一部)が川口市に編入され[9][10]、川口市の大字となる[12]。
- 1994年(平成6年)10月1日 - 区画整理が完成し、一部が長蔵1丁目に変更[13]。
世帯数と人口
[編集]2018年(平成30年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
西立野 | 1,687世帯 | 3,847人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[14]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 川口市立戸塚南小学校 | 川口市立戸塚西中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]地区内の地下を埼玉高速鉄道線が通り[4]、埼玉高速鉄道戸塚安行駅の南端部が地区内に所在する。1番出口は西立野にある。
道路
[編集]- 東京外環自動車道 - 安行(西)交差点付近で僅かに掠める[4]。
- 国道298号 - 同上
- 埼玉県道・東京都道103号吉場安行東京線
- 埼玉県道381号東大門安行西立野線
- 埼玉県道161号越谷川口線 - 南東部の境界で僅かに掠める。
施設
[編集]- 川口北警察署 - 2026年開署予定
- 川口市立戸塚西中学校
- 西福寺 - 三重塔がある。
- しらぎく保育園
- 二宮神社
- 稲荷神社
- 百観音公園
- 福田児童公園
脚注
[編集]- ^ a b c “かわぐちの人口第5表町丁字別人口”. 川口市 (2018年3月8日). 2018年3月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年3月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年3月22日閲覧。
- ^ a b c 『「街の達人」でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、66-67頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 547頁。
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 立野村.
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 656頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 595頁。
- ^ a b 『わがまち浦和』 巻末付録(頁番号なし)。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 991頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 995頁。
- ^ [1]
- ^ “住所から基本学区の学校を探す”. 川口市 (2008年2月28日). 2018年3月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。
- 「立野村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ139足立郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997/105。