安行領在家
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安行領在家 | |
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北緯35度51分16.49秒 東経139度42分43.3秒 / 北緯35.8545806度 東経139.712028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 川口市 |
地区 | 神根地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.119 km2 |
人口 | |
• 合計 | 27人 |
• 密度 | 230人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
333-0836[2] |
市外局番 | 048 (川口MA)[3] |
ナンバープレート | 川口 |
安行領在家(あんぎょうりょうざいけ)は、埼玉県川口市の大字。郵便番号は333-0836[2]。
地理
[編集]川口市の北部に位置する。一部をさいたま市緑区と接する。芝川が西側を流れ、農地や学校用地としての面積が多い。
歴史
[編集]もとは江戸期より存在した足立郡安行領に属する在家村であった[4]。地名は荘園制下の存在に由来するものと考えられている[4]。村の中央を芝川が流れていたので、水利の面では良かった。
沿革
[編集]- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1874年(明治7年)- 安行領を冠称して安行領在家村に改称される(同郡内の現さいたま市桜区在家と区別するため)[4]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行より、安行領根岸村・安行領在家村・道合村・神戸村・木曾呂村・東内野村・石神村・西新井宿村・新井宿村・赤山村・源左衛門新田・赤芝新田が合併し、神根村が成立する。安行領在家村は神根村の大字安行領在家となる。
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 神根村が川口市に編入され、川口市の大字となる。
- 1979年(昭和54年)9月1日 - 大字安行領在家の一部から在家町、柳根町・北園町が成立[5]。
世帯数と人口
[編集]2018年(平成30年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
安行領在家 | 11世帯 | 27人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 川口市立在家小学校 | 川口市立在家中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]地区内に鉄道は敷設されていない。武蔵野線東浦和駅が最寄りとなる。
道路
[編集]- たたら荘前通り
施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “かわぐちの人口第5表町丁字別人口”. 川口市 (2018年3月8日). 2018年3月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年3月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年3月22日閲覧。
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 83頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 増補6-7頁。
- ^ “住所から基本学区の学校を探す”. 川口市 (2008年2月28日). 2018年3月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県(増補版)』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
関連文献
[編集]- 「在家村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ139足立郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997/103。