藤原陳政
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時代 | 平安時代中期 |
---|---|
生誕 | 未詳 |
死没 | 寛弘4年(1007年)? |
官位 | 正四位下、播磨介 |
主君 | 花山天皇→一条天皇 |
氏族 | 藤原北家山蔭流 |
父母 | 父:藤原安親、母:未詳 |
兄弟 | 為盛、守仁、時清、茂秀、兼清、清通、陳政、季随、成忠、正雅、源時中室、藤原相如室、藤原登朝室 |
妻 | 未詳 |
子 | 親業、惟佐、藤原実成室 |
藤原 陳政(ふじわら の のぶまさ)は、平安時代中期の貴族。藤原北家山蔭流、参議・藤原安親の子。官位は正四位下・播磨介。
経歴
[編集]一条朝初頭の永延2年(988年)五位・伊賀守の官位にあった。永祚元年(989年)頃に春宮権大進に任ぜられると、のち春宮亮に昇格するなど、春宮・居貞親王に仕えるとともに、正暦3年(992年)備中守、長徳2年(996年)頃に内蔵頭を兼帯している。
のち、播磨介を務め、寛弘2年(1005年)に重任されている。またこの間の長保6年(1004年)正月の叙位において、陳政は内裏造宮の功により昇叙されることになっていたが、弟の季随にこれを譲った[1]。
寛弘4年(1007年)正月に病気により播磨介を辞退する申文を提出するが[2]、これ以降諸記録に表れないことからまもなく没したか。
官歴
[編集]- 永延2年(988年) 3月21日:見五位伊賀守[3]
- 永祚元年(989年) 5月8日:見春宮権大進(春宮・居貞親王)[3]
- 正暦3年(992年) 正月20日:兼備中守、春宮亮如元[3]
- 長徳2年(996年) 10月1日:見内蔵頭[3]
- 長保2年(1000年) 正月22日:見冷泉院別当。12月2日:見春宮権亮[4]
- 長保3年(1001年) 2月29日:見内蔵頭
- 長保6年(1004年)正月3日:見播磨介[5]
- 寛弘2年(1005年) 12月21日:重任播磨介[6]
- 時期不詳:正四位下[7]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。