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藤原守仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 守仁(ふじわら の もりひと、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族藤原北家山蔭流、参議藤原安親の次男[1]官位従四位下伊予守

経歴

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村上朝にて六位蔵人に補せられる。また、藤原実頼家司も務めていた[2]

娘が関白藤原道隆の室でさらに所生の道頼藤原兼家の養子となっている。これもあってか、一条朝前期の藤原兼家・道隆執政期に伊勢守山城守近国受領を歴任。この間の正暦元年(990年従五位上に叙せられた。

藤原道長執政期でも伊予守と受領を務め、位階従四位下に至っている。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 塙書房 2005, p. 66.
  2. ^ 『小右記』寛仁2年閏4月19日条
  3. ^ 『西宮記』2-68
  4. ^ a b 『小右記』
  5. ^ 『朝野群載』第26 長保3年山城国司解
  6. ^ 『権記』
  7. ^ 『尊卑分脈』
  8. ^ 『大鏡』巻4

参考文献

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  • 『摂関期貴族社会の研究』塙書房 、2005年、66p
  • 『平安前期の家族と親族』校倉書房 、2008年、291p
  • 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年
  • 市川久編『蔵人補任』続群書類従完成会、1989年
  • 黒板勝美編『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年