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菊池重作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菊池重作
きくち じゅうさく
生年月日 1897年7月14日
出生地 日本の旗 日本 群馬県佐波郡茂呂村
(現・群馬県伊勢崎市
没年月日 (1980-12-09) 1980年12月9日(83歳没)
前職 実業家
現職 実業家
所属政党日本労農党→)
社会大衆党→)
日本社会党→)
日本共産党

選挙区 旧茨城3区
当選回数 1回
在任期間 1947年 - 1948年12月23日

在任期間 1936年 - ?
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菊池 重作(きくち じゅうさく、1897年明治30年)7月14日[1] - 1980年昭和55年)12月9日[2])は、日本社会運動家実業家政治家衆議院議員

経歴

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群馬県佐波郡茂呂村(現伊勢崎市)で生まれる[1]。織物製造業、養蚕販売業を営む[2]

1923年、群馬共産党事件を契機に社会運動に加わり、日本労農党に加入し小作争議の指導を行う[1]。全国農民組合茨城県連合会書記長、同会長、日本農民組合茨城県連合会執行委員長、社会大衆党茨城県連合会書記長などを務め、1936年水海道町会議員となるが、1938年人民戦線事件検挙され、懲役3年・執行猶予5年の判決を受けた[1]

戦後、日本社会党に入党し、1947年4月の総選挙茨城県第三区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務める。この間日本社会党茨城県連合会副委員長、同県連顧問などを歴任した[2]

衆院議員を退いた後は一時期日本共産党に加わり1950年参院選茨城県選挙区から出馬するも最下位で落選、実業家に専念し日本アビリアチーズ社長・菊池織物工業社長を務めた[2]。1980年12月、脳出血により自宅で死去した[3]

著作

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  • 『茨城農民運動史』風濤社、1973年。
  • 『茨城県農民運動史』〈ふるさと文庫〉筑波書林、1980年。

脚注

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  1. ^ a b c d 『市民・社会運動人名事典』138-139頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』211-212頁。
  3. ^ 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年、103頁。

参考文献

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  • 『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。