船越弘
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船越弘 ふなこし ひろむ | |
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生年月日 | 1907年5月7日 |
出生地 | 日本 広島県 |
没年月日 | 1967年9月7日(60歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部法律学科(独法)卒業 |
所属政党 |
(民主自由党→) 自由党 |
選挙区 | 旧広島3区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1949年 - 1952年8月28日 1953年4月19日 - 1955年1月24日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1960年1月23日 - 1967年9月7日 |
三次町議会議長 | |
在任期間 | 1947年5月 - ? |
三次町会議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1942年5月 - ? |
船越 弘(ふなこし ひろむ、1907年(明治40年)5月7日[1] - 1967年(昭和42年)9月7日[2])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、広島県三次市長。
経歴
[編集]広島県出身[2]。松山高等学校を経て、1932年(昭和7年)京都帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業[1][2]。
1942年(昭和17年)5月、三次町会議員に選出された[1][2]。2期在任し、1947年(昭和22年)5月、町議会議長となる[1][2]。双三郡町村会議長会長も務めた[2]。
1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に広島県第3区から民主自由党から出馬して初当選[1][3]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙で自由党から立候補したが落選[3]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙では再選され[1][3]、衆議院議員に通算2期在任した[2]。この間、自由党人事副部長、同政調会林業副部長などを務めた[2]。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙に立候補したが落選した[4]。
1960年(昭和35年)1月、三次市長に就任し、2期在任して、1967年9月に現職で死去するまで務めた[1]。産業振興、市民憲章の制定、公共施設の整備、総合開発基本構想の策定、林業構造改善事業の実施などに尽力した[1]。また、三江線全通促進期成同盟会長、中国縦貫自動車道建設広島県期成同盟会長、江の川改修促進期成同盟会長、三次市交通安全対策協議会長なども務めた[1]。
実業界では、広島県薪炭生産組合理事長、広島燃料興業取締役、船越林産取締役、米田物産副社長などに在任した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
公職 | ||
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先代 三浦正 |
広島県旧三次市長 第2代:1960年 - 1967年 |
次代 紙屋義孝 |