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羽衣 (衣装)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

羽衣(はごろも/はねごろも/うい)は、中国や日本の神仙・天女伝説をはじめ、世界各地の幾つかの伝統や伝承にみつかる鳥羽でこしらえた(とされる)衣装、または昇天・飛翔の能力をもたらす衣装である。

ゲルマン神話における「羽衣」(fjáðrhamr)は、文字通りならば「羽の皮[衣]」で、着ると神々や巨人に「鳥変身力」・「飛翔力」をもたらすが、あるいはその「能力」発揮の婉曲的表現ともとれる。他にも三人のヴァルキュリャ白鳥処女説話英語版があり、天女の羽衣伝説と通ずる。また、このヴァルキュリャの夫のひとり、鍛冶師ヴェルンドが、鳥の羽でこしらえた「人工翼」をもちいて脱出した話があり、これが「羽衣」の類似品、または「羽衣」そのものとされる。

中世アイルランドでも、筆頭詩人に羽衣を着用する栄誉が与えられた。

ハワイのアフウラは神話に登場するのみでなく、鳥ので製作された羽衣(特にマント)の例が現存する。他にもポリネシア文化圏や南米の羽衣も存在する。

日本

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日本にも伝わる天女が「羽衣」を持つ伝承が知られる。

また、女性に化けた鶴が自身の羽毛を使って機織りを行った『鶴の恩返し』は伝承としてよく知られる[1][注 1]

日本書紀にて小彦名命が鷦鷯(ミソサザイ)の羽根を以て衣とし、日本の上代における鳥羽の衣装への使用を物語っている[注 2][2]

漢字で「羽衣」「羽織」と表現されるとおり羽毛を用いた布や衣装は日本にも存在し、植物素材を用いたと違って雨露を通さず、保温性と軽さを備えた素材として羽毛が珍重されていた[2](上代のみならず § 近世以降の日本の例も参照)。

鳥毛立女屏風 第2扇 (部分)
―正倉院御物。奈良時代。絵画、ヤマドリの羽も使用[注 3]

奈良時代に正倉院に収められた鳥毛立女屏風は、一見、白描中国語版にみえるが、彩色もあり、衣服に鳥(ヤマドリ)の羽毛が貼られていた[4]。とりわけ、6扇あるうちの第2扇の立女の衣装(上図)[3]は独特で、"花弁状の形を上から下まで鱗状に重ねて"おり「羽衣」だとされる[5]。これは唐の時代に羽毛を織物にして衣服に仕立ていたことの影響とみられる[4]。さらにいえば、これは"(中国の)神仙の(羽毛でできた)羽衣の系統"であると小杉一雄は位置づけている[6]

日本の羽衣伝説のうち、『近江国風土記』逸文にみえる、伊香の小江(現・余呉湖)の伝承の、白鳥になりすました天女らは、「天の羽衣」を持っていた。しかし『丹後国風土記』にみえる天女は「衣裳」をまとっていたとのみ記される(ただし、"やはり羽衣の類とみなされていただろう"と、推察されている)[7]

竹取物語』(平安期成立?)では、かぐや姫が空飛ぶ車に乗って月の宮に飛翔するため、迎えの天人たちが持参したという「羽衣」は飛行手段たりえないが[注 4][8]、考察ではかぐや姫が天女(仙女)たるに必要な品、と位置づけされる[11]

絹製やヒレの形状

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西村重長による絵「羽衣」。左上に(ヒレ状の)羽衣をつけた天女が見える。

柘枝仙媛の伝説では、古例ではいかにしてこの姫が天女として飛び立ったか不詳であるが、平安時代の異聞では「ひれ」つまり肩巾領巾をかけて飛び立ったことになっている[12]

すなわち"古代の人々が「領巾」と称した薄絹の細長いスカーフ"[注 5]が、少なくとも後世における「羽衣」図像の標準的な形状となっている[13]

能の『羽衣』で、天女の役の能楽師が舞うときに身に着ける「羽衣」は、白っぽい薄地の絹(きらびやかな厚手の絹のこともある)が使われる。これは本来の天の羽衣のあくまでヒントとなるものであるが[14][注 6]、薄い透目の絹は、古代中国でも珍重され、弥生時代の遺跡にも出土があるから、民俗学専門の意見ではないが、上代の仏教美術の天女像[注 7]と"羽衣伝説に登場する天女とは同源"ではなかろうか、と繊維学(絹)の権威の布目順郎(ぬのめ・じゅんろう)は推論する[15]

ただし、「天女」のことを辞書等でひもとくと仏教の天女の解説がみられるが、竹取説話の天人も、じつは仏教でなく神仙思想(道教)の影響を受けている、と論じられる[16]。奈良時代頃に中国からもたらされた羽衣伝承も、神仙の鳥の羽でできた衣をイメージていた、という小杉論は上述した[6][注 8]

中国

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いわゆる『羽衣天女』説話の類話(白鳥処女説話英語版系)としては、姑獲鳥の逸話があり(の『玄中記中国語版』(、4世紀)所収「姑獲鳥・毛衣女」)があり、「衣毛為. 飛鳥、脱毛為女人(毛を着ると鳥になり、毛を脱ぐと女になる)」とみえる[18][19]。中国最古例に挙げられるが、これと近い年代の『捜神記』に類話がみられる[18](「羽衣女」説話)。

青銅羽人像
青銅羽人像
―前漢・長安城址で出土

中国の神仙思想の羽衣には、古くをたどれば中国の「羽人」があるという。文献上は『楚辞』など例が乏しいが[20]、他ににも図像例が知られるが。前漢(西漢)の青銅羽人像(上図)は、羽をもち(有翼)着衣であるが[21]、前漢の墓の壁画では、"蓑のようなケープ状の羽衣"(うい)を着た2例を挙げることが出来る[21]

羽人は本来は神界に生まれ出づる存在で、仙人(僊人)と同一視されていた。しかし、仙人の意味合いが、だんだん人間が修行すればなれる存在、神仙境に棲めるようになった道士だ、というように変遷していったと考察されている[21]。『漢書郊祀志等には、武帝のおかかえの方士欒大中国語版(五利将軍)が羽衣の着用を許されたとあるが、これには俗世とはなれたものの衣服の意味合いがあったようである。初唐の学者顔師古の注に「羽衣は鳥の羽を以て衣を為る、其は神遷の飛翔するの意を取る也」としている[6][22]

初唐(あるいは武周)の則天武后については、寵愛する張昌宗英語版に「集翠」すなわちカワセミ(翡翠)の羽毛製の羽衣を与えて着させたとある(薛用弱中国語版撰『集異記』)[5][注 9]

盛唐にいたると、玄宗の編曲とされる「霓裳羽衣の曲」にまつわる作り話において(『太平広記』所収)、玄宗が仙人の羅公遠に連れられて仙女が舞っているを聞いた曲であるとされている。「」「羽衣」は舞う仙女たちが身に着けていたものとみなされるが、皆「素練(しろい練り絹の)寛衣(広くゆとりある衣装)」を着ていたともあるので、仙人の羽衣が絹だったという認識がうかがえる[24]

後世には、白鳥処女型に分類されるが、かならずしも「羽衣」とはいえない「衣」をうばって牛飼い(牽牛)が天女(織姫)を妻にしたという、いわゆる「七夕・天人女房」型が、中国各地で民話として伝わっている。また連れ帰られた彼女を追って牛飼いも天に昇るのだが、その手段は天の衣装や帯以外にも、牛や牛の皮で飛ぶことが多い[25]。牛皮で飛べるというのは不自然であるが、呉暁東の説では織姫の原型は蚕(蚕女)であるので、「蚕馬」(『捜神記』)において、馬の皮が蚕の繭になったという養蚕起原神話が影響したとする[27]。この説を抜きにしても、中国では織姫のことを(植物繊維の織物等でなく)とくに養蚕の神(天より折りて人間に養蚕を伝えた存在)とみなしている[28]。すなわち、織姫のように、天上の天女は蚕の繭から糸を紡ぎ、織られた絹の衣服を着ていたという通念は(少なくとも後世には)あたりまえであった[29]

鶴の腹毛を織り込んだ布は鶴氅(かくしょう)または鶴氅衣と呼ばれ、これも(唐代の頃には)衣装として実在した[2]。唐や宋の宮廷の衛兵の制服となっていたほか、平民は男女が着[30]、これもまた方士や道士が着るものともされた[31][30]

近世以降の日本

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キジの羽根を用いた陣羽織
キジの羽根を用いた陣羽織

桃山時代から江戸初期にかけては陣羽織が武将の間で流行し、素材として水鳥やヤマドリ、ニワトリクジャクツルの羽根などが用いられた。製法は織物地に羽根の軸を綴じつけたもの、羽毛を並べて根元を紙で挟んで貼り合わせたのち屋根を葺くように縫い合わせたものなど様々[32]で、山鳥の赤い胸毛を生地とし、白い羽根で瓢箪を表した豊臣秀吉愛用の瓢紋鳥毛陣羽織稲葉山城の戦いの軍功として伊木忠次に与えられ、伊木家に伝えられた[2][33]。また、江戸中期に作られ伊達重村所要と伝わる孔雀毛織陣羽織の生地にインドクジャクの上尾筒の羽毛が織り込まれている[32]

江戸後期に記された経世論『経済要録』には、羽毛を使用した織物として以下のような記述が見られる[34]

活物の毛に織物となす者甚だ多し(略)の毛の毛、の毛等も綿に打混て毛布を織たるも甚だ美なる者なり、秋田の白鳥布も其名最高し

ゲルマン神話

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北欧神話における羽衣は、神やヨートゥン族(巨人族)がもちいて鷹や鷲の姿になれる架空の器具(あるい形態/変身能力)である。好例として、女神フレイヤは「羽衣」(古ノルド語: fjaðrhamr)あるいは「鷹の羽衣」(古ノルド語: valshamr)を持ち、これは他者に貸しだすことができる;また巨人のスィアチも同様に「鷲の羽衣」・「鷲の変わり身」[注 10]古ノルド語: arnarhamr[注 11])を所持していた[37][38][39]

女神フレイヤの羽衣は、古・新エッダの、「スィアチのイズン略奪」や「トールの槌取りもどし」のエピソードに登場するが、いずれもロキが借用して用務をこなす運びとなっている[40]

女神フリッグも羽衣を所持していたが、これもロキが使用していたときに巨人のゲイルレズに捕獲され、解放条件として丸腰のトールをおびき寄せる役目を指示される[41]

ゲルマン神話(北欧神話)における羽衣については、より広義な「飛行能力」というトピックで扱う例がみられる。その広義においては、オーディンの鳥変身と飛翔や、名匠ヴェルンドの飛行も含まれる[37]。なぜ「羽衣」にとどまらず、「飛行能力」という、より広義の枠が必要か、というと、オージンの「鷲の羽衣」は、文字通り「羽衣」衣装にとる論説もあるが[43][44][45]、異論として、「衣」は言葉の綾で、「鷲の姿に変った」という意味だというのが現代では一般的解釈であり[49]、魔術による変身である、との見解もある[52]。また、 ヴェルンドの飛行も、変身魔法の環(腕輪)を使ったという説があり、あるいは飛行装置として「(人工の)翼」(「羽衣(fjáðrhamr)」みたいなもの)を使ったという原文記述もある[注 12](詳細は § 鍛冶師ヴェルンド参照)。

スィアチのイズン略奪

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スィアチのイズン略奪の説話(原典は新エッダ「詩語法」)では、鷲の姿に化けた巨人スィアチが神族たちの食事にあらわれ強引に相伴しようとし、ロキが攻撃するが、鷲に連れ去られ、解放とひきかえに女神イズンの拉致の片棒をかつぐ。イズン失踪はロキの関与が露見して裁判、ロキはイズン奪還を約束。決行のため女神フレイヤの鷹の羽衣を借りうけ、ヨートゥンヘイムへと飛び立つ[54][58][59][39][60]

この事件についてはスカルド詩『長き秋[注 13]にも言及があり、フレイヤの衣は「鷹の飛行皮」(hauks flugbjalfa) と言い回しされている[61][64]。同詩では巨人は「鷲の衣/姿」(gemlishamr)を使用する、とある[65]

トールの槌取りもどし

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スリュムの歌』にみえる、いわゆる「トールの槌取りもどし」のエピソードでも、鎚の行方をさぐりにロキが巨人国に遣わされることになり、その旅のため、フレイヤの羽衣をかりうけて飛んでいき、帰ってくる[66][67][68]

トールとゲイルレズ

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ロキはまた、フリッグの羽衣を借りて巨人国(ヨートゥンヘイム)の[注 14]ゲイルレズの砦(または「〜宮廷」、Geirröðargarða)[注 15][73]を訪れ、鷹(ハヤブサ)の姿でいるときに捕まってしまう。羽衣は「鷹/ハヤブサの皮」( valshamr)と呼ばれている[注 16][76]

オーディン

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スウェーデン・ゴットランド島絵画石碑
鷲はあごひげをたくわえておりオーディンの仮の姿。右、詩の蜜酒をもつグンレズ、巨人スットゥング。

オーディン神は、動物の姿に変身することができるとされ、『ユングリング家のサガ』に言及されている[78][79]。また、 詩の蜜酒の逸話(「詩語法」に挿話)には[80][46] 、オーディンが鷲の羽衣を着た、というようにも解される表現があるが[43]、これは「鷲の皮衣(arnarhamr)に着替えた」というより「鷲の形(arnarhamr)になった」と解釈するほうが、現今学会では主流のようである[49]。ある考察者(ルッジェリーニ)によれば、オーディンは変身の魔術を使えるので羽衣のようなアイテムを必要としないが、巨人のスットゥングはおそらく羽衣を使役しているのだろう、としている[52][注 17]

ヴェルスンガ・サガ

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ヴェルスンガ・サガ』で英雄シグルズの家系「ヴェルスング家」を興したヴェルスングは、レリル王英語版の子であったが、それまで王妃が懐妊しなかったため、王がオーディンとフリッグに救いを求めた。すると神々はその手下、ヴァルキュリャにして巨人の娘フリョーズ英語版を子宝のリンゴを届ける使いに出した。フリョーズは 「カラスの羽衣」(krákuhamr)に着替え(すなわち「カラスの姿」に扮して)、王に届けた[83][87][88][89]

白鳥の乙女

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白鳥処女説話英語版の典型例であるが、『ヴェルンドの歌』(鍛冶師ヴェルンドのエッダ詩)序文によれば、三人の白鳥処女にしてヴァルキュリャたちは、「白鳥の羽衣」(álptarhamir; 単数形:álptarhamr)を所持しており、これらをもって白鳥に変身することができた[90][91]。その乙女らは鍛冶師ヴェルンドら3兄弟の妻となった[96][97]

これと相似や関連性が指摘されるのが、「皮」(hamir)を持つ8人のヴァルキュリャである(『ブリュンヒルドの冥府への旅英語版』に言及)[98][99][91]

鍛冶師ヴェルンド

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ゴットランド島の石碑(9・10世紀)。
名匠ヴェルンドの鍛冶場(中央)と、王女ベズヴィルド英語版(左)の間を、巨鳥のようなヴェルンドが飛びぬけてゆく

鍛冶の巨匠ヴェルンド古ノルド語: Völundr)は、なんらかの手段を持って飛翔し、ニーズズ英語版(ニズハド)王の捕獲から逃亡することがエッダ詩『ヴェルンドの歌』で語られる[93][102]。この作品(エッダ詩)の原文には「翼」や「羽衣」を使ったと明言はされていない、しかし、別の作品(散文エッダ、以下詳述)から翼(≈羽衣)を使ったことが書かれているので、補遺文として「そして彼は翼をこしらえ、[移動手段を]足から[その翼に]替えてニーズズからの脱走をもくろんだ」と挿入する訳出例もみられる[103]。また、鳥の羽よりこしらえた羽衣を使った、とも解説される[104]。あくまでエッダ詩の文言に限っていえば、ヴェルンドは、兵に奪われた「水かきのついた足」を取り戻した、と解される言葉を発しており、これは白鳥のような水鳥に変身することを可能にするアイテム(たとえば環か指輪)を取り戻したのかもしれない、と推論される[93][102]。別の解釈では、ここは「足」ではなく「翼」と意訳したほうが正しく[106]、すなわち「羽衣、あるいは人造の翼」を得て飛び去ったのだ、としている[108][109][注 18]

詩文のうがった解釈で「翼」と書かれているとするならば、これは『シズレクのサガ』(ドイツ文学の古ノルド語訳)の「ヴェーレントの話」の部に収められた説話[111]と合致する。サガによれば、ヴェルンド(サガではヴェーレントと表記)の兄弟エギル英語版[注 19]は、鳥を射落として羽を集め、その素材をもらったヴェルンドが一対の翼を作ったとされている[93]。そのあたりの展開は、8世紀の鯨骨彫刻のフランクスの小箱英語版の描写でも傍証される[93][107][112][113]

サガの記述によれば、ヴェーレントが作成した道具は「翼」(古ノルド語: flygill)であるが、この単語は他に例を見ず、ドイツ語で「翼」を意味するフリューゲル(Flügel)を一度限りで流用した外来語とされる[114][115]。そしてその「翼」は、グリフォンハゲタカダチョウ[注 20]の羽でできた羽衣(古ノルド語: fjaðrhamr)のようであった、としていて、「羽衣」そのものとはしていない[119][120][121]。ただし、この「翼」を意味する単語は単数形で使われており、複数(一対)でないとつじつまが合わないから、要するに「羽衣」と同義語としているのだ、という解釈もされる[123]

サガの元になった低地ドイツ語の原典では[126]、おそらく「翼」の意味で使ったのだろうが、ノルド語への翻案者が「羽衣」のようなものと脚色したのではないか、と考えられる[116][112]。サガでは、兄弟のエギルは羽の素材集めだけでなく[127]、飛行試行もさせられる[120][112][128]。さらには、ヴェーレントが飛び立ち逃げると、エギルはこれを射落とせと王に命じられ、しかし以前からしめしあわせたように血袋を命中させ、死を偽装した[120][129]

比喩表現

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既に指摘したように、hamr の単語は、「皮(衣)」(物体)とも、「形」(抽象的なアイデア)ともとれるのであって[36]、一見フレイヤは「羽衣」を持っていて他者に貸し与えられるようにおもえるが[37]、近年の学者はこれを女神の「属性 attribute」 (飛翔能力をあたえるなにか)であるなどと注釈している[130]。フランスのヴァンサン・サムソン(Vincent Samson)は、hamr とはじつは、抜け出した魂[注 21]が具現したものであるとしており、フランソワ=グザヴィエ・ディルマン英語版も、hamr を「魂の外部的的な形」[注 22]と定義している、と指摘する[131]

ケルト素材のゲルマン言語訳

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「羽衣」ではないが、マリー・ド・フランスが古フランス語に起こしたブルターニュの詩集(レー)の古ノルド語訳、『ストレングレイカル英語版』では、狼の姿への変身のことを hamr と形容している[131]

ブラドッドの翼

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別の例では、ブリトン人の伝説の王ブラドッド[注 23]が、人工の翼(alia)を飛行装置として使い空を飛んだ話(ラテン語の『ブリタニア列王史』に所収)があるが[136]、これが古ノルド語や中英語の翻案では「羽衣」と形容される。古ノルド語の『ブリトン人のサガ英語版Breta sögur)』では、王の翼は「羽衣」(fjaðrhamr)と記述されるが[137][53]、あくまで飛行服の意味であって、鳥への変身の意味ではない[53]

一方、ラヤモン英語版が中英語におこした『ブルート英語版』でも、ブラドッド王の翼は、「羽衣」(中英語: feðer-home)と記述される[138][139]

織物

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オーセベリ船とともに埋葬されていたタペストリー断片英語版にも、鳥人のようなものが描かれているが、神々が羽衣を着た姿かもしれない。ただ、何者かの特定や性別はむつかしい[140]

ケルト文化

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ブリトン人の国の王が空飛ぶ翼ブラドッドを製作したと偽史(『ブリタニア列王史』)に伝わり、他国で「羽衣」と翻案されてことは既に述べた。

中世アイルランド史上も、詩人が特別な羽衣を着用したとされる(以下詳述)。

詩人のマント

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アイルランドでは、フィリ英語版fili)と呼ばれる特級詩人がトゥゲン(tuigen)という羽衣を着用した(アイルランド語 en は「鳥」の意)。中世の『コルマクの語彙集英語版』に言及されている[141]。文中では古代ローマのトガのような貴重品だとの(ラテン語の)説明があるが、鳥の皮や羽をつかった色彩ゆたかな衣装だったことが詳述される[142][143][144][注 24]

伝・コルマク英語版の記述によれば、トゥゲンは「鳥の覆い」を意味する名前であるとする。"なぜならば、詩人の羽衣(トゥゲン)は、腰帯(ベルト)より下の部分が白や多色の鳥皮[注 25]でできており、羽衣(トゥゲン)の腰帯から首までの部分は、牡鴨の[青]首や冠[羽]でできている"、とされる[142][143][144][148]

この羽衣(トゥゲン)については、中世の『権利の書英語版』にも記載があるとされるが、これはあくまで訳者オドノヴァン英語版の解釈に従えば、のことである。『権利の書』ではベネン・マク・セスクネン(Benén mac Sescnéin)の詩の引用があるが、オドノヴァン訳では、"カシェルの王たち英語版の権利は、アイルランドの筆頭詩人[注 26]とそのタデン(Taiḋean))のもとにあり"としており、タデン(Taeidhean) とはトゥゲンと同じ、「羽衣」のことだとしている[153][154][153][144]。しかし辞書ではタデン(taíden)とは"団、兵団"等の意であり[155]マイルズ・ディロン英語版による英訳ではタデンは「集会」であり「羽衣」と無関係である[156]

トゥゲン(tuigen)の羽衣については、『二賢者の対話英語版』にも言及がある[157]。その作品によれば、アルスター王国に帰参したネーデ[?] (Néde、アドナ・マク・ウティジル[?]英語版の子)が、父の持っていた筆頭詩人(オーラヴ)の地位を、就任したばかりの後継者フェルヘルトネ(Ferchertne)から奪い戻す。そしてネーデは、オーラヴの椅子に座り、(オーラヴの)ローブ(tuignech)を着たが、それは三色から成っていた[159][161] 、すなわち、中位は鮮明な鳥の羽、裾のほうにはフィンドルーネ(findruine、琥珀金英語版)が散りばめられ、上半は黄金色だった[162]。以上は散文の記述で、筆頭詩人の「ローブ」はトゥゲンより変化した語(「トゥグネヘ」)が充てられているが、このあと排されたフェルヘルトネが、自分を追いやった相手の正体を見破ろうとする問答が詩体で語られており、そこにトゥゲンの言及がある(ネーデは若さをごまかすために草か苔であごひげをあつらえていたが見破った)[163][164]

トゥゲンは、17世紀、エオヒド・オーホウサ[?]英語版に寄せた挽歌にも、比喩的にだが言及される[157]

古ノルウェー語で書かれた『王の鏡英語版』では、アイルランドの奇異(第11章)のなかで、鳥の羽の生えるアイルランドの狂人について記述される:[165]

これまた別件だが、さしずめ奇異に思われるだろうはずなのが、「ゲルト」と呼ばれる人間たちだ。人間がゲルトに変わるのは、次の様な次第らしい:敵対する勢力が衝突し、二つの隊列になって揃い、両側がおそろしい鬨の声を挙げると、臆病で若輩で戦団にくわわったためしのない者どもが、ときおり、とてつもない恐怖にとらわれ、正気を失い、皆から逃げうせて、森に入り、獣のように餌をあさり、野獣のように人と会うのを避ける。また、伝えられるところ、このような人族が二十年森の中で暮らすと、鳥のように体に羽が生え、霜や冷気から守ってくれる。しかし、鳥のように飛翔できる大きな羽はない。されど、絶大な迅速さで、人やグレイハウンドさえも近寄らせないという。なぜならば、サルやリスにせまる速さで樹木を駆け上がることができるのだ。
―原文は古ノルド語[166]、英訳[167]より重訳。

上述の「ゲルト」が羽を生やすという話は、アイルランド語 geilt (「狂人」の意)に言及しており、とりわけ『王の鏡』で記述されたように、恐怖から戦線を離れ狂人と化した者を指すとされる[165]。この geilt の語を用いた例として、「狂気のスヴネ」(Suibne Geilt、英語では"Mad Sweeney")という伝説上の人物の綽名に用いられており[165]、この人物は鳥のような羽を生やしたと、『スヴネの狂気英語版』に記述される[168][169]

ギリシア神話の伝令神ヘルメースは、有翼のサンダル(ラテン語ではタラリア)を履くとされるが、ギリシア古典(『アエネーイス』等)のアイルランド語翻案では、伝令神さは「鳥の覆い」や「羽衣(羽のマント)」とされている[170]

ハワイ

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羽衣をまとうナヒエナエナ王女
ロバート・ダンピア英語版(画)、1825年
羽衣[注 27]
ケアウホウ英語版(ハワイ島)展示品

ハワイ先住民の伝統では羽衣(「羽のマント」等とも表現)は[注 28]アフウラʻahu ʻula)と称し、原則的には、大族長や王族(アリイ)しか身にまとうことはできなかった[175][176][177][178]

赤い羽根の素材は、ほぼたいてい赤色のベニハワイミツスイ(イイヴィ、ʻiʻiwi)のものが使われた[175][179][180]。黄色い羽根は、全体的には黒いが、羽根裏にわずか黄色を貯えた羽根の部分が採取された。すなわちフサミツスイ属 オオ ʻōʻōキゴシクロハワイミツスイ (ハワイ名:マモ mamo)が対象[180][175][183]

王族用の御物には、カヒリ英語版kāhili)と称する、羽根を先端につけた竿のような国家象徴の儀仗があった[186][176][180][187]ナヒエナエナ姫の肖像画(⇒右図を参照)では、カヒリを持ち、羽衣を纏っている[188]。姫は、羽衣と羽根のコロネット英語版(小冠)を着、これにパウ( pāʻū[189])というスカートを合わせていた[190]。パウは普通は樹皮布(カパ/タパ)製であるが[191]、ナヒエナエナ姫は羽根でしつらえた豪華なパウを所有していたことが知られており、彼女の葬式でもお披露目された[190][192][193][注 29]

その他の著名例:

  • カメハメハ大王の羽衣 -すべてマモの羽根で覆われており、歴代のハワイ王が用いた[194]
  • キワラオ の羽衣 -キワラオ英語版王が召していたが、腹違いの弟カメハメハがこれを弑して入手した。指導者の象徴で、族長が戦時の陣羽織としたという[178]

ハワイの神話

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ハワイの神話では、神族の英雄が敵を灰燼と帰すというのカパ外套(異話では羽根スカート)をもらい受ける。英雄アウケレヌイアイク(ʻAukelenuiaʻīkū)の伝承によれば、アウケレは、モオイナネア(Moʻoinanea)という神竜[注 30]の女族長から祖母であると明かされ、竜の尻尾の切れ端が変化した「灰のカパ」(kapa lehu)を賜る。このカパ外套を纏えば、英雄が触れる敵はみな灰と化してしまう。祖母はこの武装でもって、運命の妻となるナマカオカハイ英語版の求婚に旅立たせるが、それは彼女は闖入者を攻撃でもって迎えることがあらかじめ予知できていたからだ。ただナマカには「灰のカパ」の攻撃は効かないという。その理由は明言されないが、ナマカもまた神竜の孫か子孫で、やはり敵を灰にするパウ(スカート)とカヒリを授けられていた[195]。異本(再話)では、アウケレのほうがモオイナネア(Ka-moʻo-inanea)より羽根スカートとカヒリを授かるが、これらを"震わすと.. 敵を灰燼と帰す"とされる[196][197]

また、上述のナヒエナエナ姫の所有した羽根の衣装についての、ある研究者の考察によれば、 これには厄祓い的な守護力("女性の生殖器の力")が込められているとみなされており、それは女神ペレが妹のヒアカ英語版に渡したパウに比類するとしている[199]

マオリ

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ポリネシア文化圏に共通して、特に赤い羽根を尊ぶ風習があり(トンガ、フィージー、タヒチ、サモア等)、交易もされていた。羽根をあしらった衣装も他のポリネシア圏でみられたが、羽衣(羽のクローク)は、ハワイをのぞけばニュージーランドに限られるという[注 31][200][201]

ニュージーランドのマオリ族の羽衣はカフ・フルフル(マオリ語: kahu huruhuru)と呼ばれ、長方形の例が残存する[注 32][202][203]。もっとも珍重されたのは族長の象徴[204][205]である赤色の羽根で、その羽衣はカフ・クラ(kahu kura、「赤いケープ」の意)と称し[注 33]、赤羽根の素材にはミヤマオウム属マオリ語: kaka)の羽が必ず使われた[202]

今現在も階位や尊敬を示す物品として利用される[207][208]

ブラジル

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ブラジル沿岸のトゥピ族英語版、特にトゥピナンバ族英語版にも羽衣の伝承がある。その特別な羽衣は、現地語(トゥピ・グアラニー語族)でグアラ=アブク(guará-abucu[209]gûaráabuku[210])というが、グアラ(guará)という鳥(ショウジョウトキ)の赤羽根をもちいることからそう呼ばれる[211] [209]。フードがついており[212]、体ぜんたいを羽根が覆って鳥への変身を表しており[211]、尻の部分のピース(enduap)まで付属していた[209]。この羽衣は、 トゥピ族のシャーマン(pajépaîé)が儀式で着用するもので、宗教的・神聖的な意味合いを持つとされる[213][211]。さらには合戦で武装する時も着用することが知られるが[214]、これについては軍人は生贄の儀式において鳥の姿を借りるものであり、その敗者(人身御供の対象)もまた鳥を模した格好にさせられるのだ、と解説される[211]

注釈

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  1. ^ § 中国の「鶴氅衣」も参照。
  2. ^ 衣装ではないが、鸕鶿草葺不合尊が産屋をの羽根で葺いたエピソードも参照。
  3. ^ 正倉院サイトにて高品質カラー画像あり[3]
  4. ^ 天人たちも「雲」によって飛んでいるので、「羽衣」で飛んでいるのではない。
  5. ^ あるいは"弁天様や吉祥天女がふわりと肩に被いている細長い布"。
  6. ^ 舞台のものは「天衣無縫」ということばにはそぐわないから、あくまでアレンジ("それにふさわしく変形されたもの")とも布目順郎はしている。
  7. ^ (飛鳥・奈良時代の)"寺院や敦煌壁画"にみられる天女像。
  8. ^ 古くは中国でも「羽人」≃「仙人/僊人」の纏うのは鳥の羽のイメージがあるが(小杉)、盛唐の「霓裳羽衣の曲」説話では道士に玄宗がみた天女が来たのは白い練り絹だとされる(安藤)。また『貞享記』によれば、天羽衣は生絹(練っていない絹)とあるが(布目)[17]、これは江戸時代の資料である。
  9. ^ 後世では、清朝の皇妃が被った「翠羽目」の冠の例が複数知られる。宋朝の肖像画に遡るという[23]
  10. ^ 有形の器物、あるいは無形の能力。ルッジェリーニの論文にもあるように、hamrという語は、じつは「皮」という第一義と、「姿・形」という第二義をもつとされる[35][36]
  11. ^ 古ノルド語: arnar古ノルド語: örn '鷲'の単数形属格)+hamr
  12. ^ ただし、散文サガの邦訳者である石川光庸は、「翼」=「羽衣」であると主張する。
  13. ^ 『Haustlöng』
  14. ^ 「ヨートゥンヘイム」という地名そのものでなく、婉曲表現(ケニング)が使われる。この詩語法のくだりで引用される『ソール頌歌』(トール頌歌)において、トールの行先が "ymsa kindar iðja"[69] とされており、英訳では "seat of Ymir's kin [Giantland]"、とある[70]
  15. ^ 語尾はgarðrの複数形である。谷口の解説は「ゲイルレズの砦」だが、「ゲイルレズの宮廷(宮々Courts)」 のような英訳がみられる[71] § トールの槌取りもどしの『スリュムの歌』のÁsa garða[66]も"courts of the Æsir"と英訳する例がみえる[67]
  16. ^ 谷口の解説では「鷹の羽衣
  17. ^ オーディンのヘイティ英語版(異名、詩的呼称)「arnarhamr(鷲頭)」があるが、これはスットゥングから逃亡する時に鷲の姿になった件への言及の可能性がある[63]
  18. ^ 第3の解として、ヴェルンドはアイテムなしで変身する能力を本来もっており、これを取り戻したのだとする説があるが、少数意見である[110]
  19. ^ エッダ詩ではエギルが兄だが、サガの和訳(石川)ではヴェーレントの弟とされている。
  20. ^ 古ノルド語: "fleginn af grip eða af gambr eða af þeim fugl er struz heitir"。石川光庸の邦訳も「グリフィン」とするが、これがHaymes 英訳 "winged haunch of a vulture, or of a bird called ostrich"では端折られている。ちなみにドイツのフランツ・ロルフ・シュレーダー英語版の著書や[116]、アルフレド・ベッカーの書物にはみえる[112]。古ノルド語 gripr という単語も、これが唯一の用例であり[117][118]、すなわち孤語(ハパックス・レゴメノン)である[112]
  21. ^ 原書はフランス語だが、ドイツ訳では「遊行魂」のような表現(Exkursionsseele)が使われるが、自由魂ドイツ語版と同義とされる。
  22. ^ "forme extérieure de l'âme".
  23. ^ ちなみに Bladud は "狼戦士 wolf-fighter"の意味だとアーチボルド・セイスは解釈した[132]。ウェールズ語に直したこの人名は「狼の首領」である旨、イヴォル・ウィリアムズ英語版は詳述している[133]
  24. ^ ロバート・アトキンソン英語版(1901年)は、本来、そのような鳥皮製の衣装が使われたか疑問視しており、その名前(仮説的な語釈)から、そのような事後的な(ex post facto)説明が発展した可能性もあるとみる[145]。アトキンソンの解釈は、eDIL 辞書にも付記されている[141]
  25. ^ croiccenn、与格: chroicnib[146]
  26. ^ オドノヴァンは原語の suaiḋを"chief poet" と訳すが、語弊がある。通常"chief poet"と英訳されるオーラヴ(ollam; ard-ollam)かエケス(éces; éices[149])であろう[150]。そして当該の単語suíは辞書では "知識人、学者、聡明な人、賢者"や"より具体的には修道院長や詩学長"とあり[151] 、ディロンは"賢者 sage"と訳している[152]
  27. ^ ビショップ美術館蔵C.9558の一点も、同様のデザインである。[171]
  28. ^ 「羽衣」の表記は、赤松秀景(『民族』誌、1927年)等にみえる[172]清野謙次は、「羽根衣」と表記[173]荒俣宏訳書では「羽根のマント[174]
  29. ^ このパウ(pāʻūの別の意義だが、羽根の束(ʻuo])を作成する時、黄羽根のまわりにつけた赤羽根もまたパウと呼ぶそうである[189]
  30. ^ モオアクア(moʻo akua)族、単にmoʻo族とも。
  31. ^ Cf. マオリ § で知られる。
  32. ^ これに対し、ハワイの羽衣は長方形から円形状のものに推移したことはすでに述べた。
  33. ^ このマオリ語の kahu kura は、kを落とせばハワイ語の ʻahu ʻula(羽衣)と同語だとヒロアは指摘する[206]

出典

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  2. ^ a b c d 杉山 (1942), p. 41.
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  4. ^ a b 関根眞隆鳥毛:鳥毛立女屏風 とりげりつじょびょうぶ」『正倉院の宝物』保育社 、1988年、77頁。ISBN 9784586507634https://books.google.com/books?id=GeFzKyAYAyYC&pg=PA77 
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  6. ^ a b c 小杉 (1988), p. 2.
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  8. ^ 安藤 (2012), pp. 7, 9.
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  10. ^ 渡辺 (1983), pp. 38–39.
  11. ^ 安藤 (2012), pp. 10–11引き堀内秀晃[9]安藤 (2012), p. 11引き渡邊秀夫[10]
  12. ^ 堅田修「柘枝仙媛伝承の原像」『大谷学報』第60巻第3号、大谷学会、1980年11月、1–13頁、NAID 120005768647  @ otani.repo
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  27. ^ 呉 (2016)[26]丁 (2023), pp. 51, 52–53, 55–56が引用。
  28. ^ 丁 (2023), pp. 48–49, 50.
  29. ^ 丁 (2023), p. 56: "繭から取った糸で織られた天衣を着た天上に住む織姫"
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  40. ^ 谷口 (1976)「シャチのイズン略奪」、p. 43;「トールの槌取りもどし」、p.44。「羽衣」と表記。
  41. ^ 谷口 (1976)「トールとゲイルレズ」、pp. 60–62。
  42. ^ 谷口 (1976)(案内書)、「オーディンと詩人の蜜酒」、pp. 69–71
  43. ^ a b 谷口の解説では"オーディンは鷲の羽衣を身に着けると..飛び立った。..スットゥングは..これも鷲に姿を変えて..追った"[42]
  44. ^ Egeler (2009), p. 443] "Odin als auch der Riese Suttungr einen arnarhamr ('Adlerhemd')" すなわち「鷲のシャツ」
  45. ^ a b Vigfússon & Powell (1883), pp. 465: "[Odin] turned himself into the eagle's coat, and.. Suttung.. betook himself to his eagle-skin [オーディン]は鷲のコートに変わり、..スットゥングはその鷹の皮を使用した"
  46. ^ a b Finnur Jónsson ed. (1900), p. 73.
  47. ^ Snorri Sturluson (1916). The Prose Edda. Translated by Arthur Gilchrist Brodeur. American-Scandinavian Foundation. pp. 94–96. ISBN 9780890670002. https://books.google.com/books?id=_T1cAAAAMAAJ&pg=PA94. "[Odin] turned himself into the shape of an eagle and.. Suttung.. too assumed the fashion of an eagle" 
  48. ^ Snorri Sturluson (1992). The Prose Edda: Tales from Norse Mythology. Translated by Jean I. Young. University of California Press. pp. 101–102. ISBN 9780520234772. https://books.google.com/books?id=uHwH2EmplcIC&pg=PA101. "[Odin] changed himself into an eagle and.. Suttung.. took on eagle shape" 
  49. ^ a b 原文では「鷲の羽衣」(arnarhamr)がオーディンと巨人スットゥングの変身の両方の表現に使われている[46] 。これを古くはヴィッグフースソンとパウエルが文字通り「上衣」と「皮」のように英訳したが[45]、より近年では、その「鷲の姿(に変わった)」等と訳出する[47][48]
  50. ^ Vigfússon & Powell (1883), p. 465: "turned himself into the similitude of a serpent" vs. "turned into the eagle's coat"
  51. ^ Ruggerini (2006), p. 206.
  52. ^ a b この説話では、さきにオーディンは「蛇の姿(生き写し)に変り」という場面があり、同じ動詞(brásk、bregðaの過去形)がオーディンの鷲への変身にもつかわれる。よって;ヴィッグフースソンとパウエルのように、この動詞を一貫しておなじく英訳すると後者が「鷲のコートに変った」という(おかしな)表現になってしまう[50]。ルッジェリーニの考察では動詞 taka 「着る」が使われておらず、bregða i をもちいるのは、セイズのような黒魔術のたぐいが使われていることを示唆する、という[51]
  53. ^ a b c McKinnel, John (2014a). “Chapter 8. Myth as Therapy: The Function of Þrymskviða”. In Kick, Donata; Shafer, John D.. Essays on Eddic Poetry. University of Toronto Press. pp. 201 and note 13. ISBN 9781442615885. https://books.google.com/books?id=77SFAwAAQBAJ&pg=PA201. "13 See e.g. Breta sögur, in Hauksbók.. Eiríkur Jónsson and Finnur Jónsson (Copenhagen, 1892-6), 231-302 (p. 248); this was translated from the Latin of Geoffrey of Monmouth.. Geoffrey simply refers at this point to the wings which King Bladud orders.." . Originally    (2000). “Myth as Therapy: The Function of Þrymskviða”. Medium Ævum 69 (1): 1–20. doi:10.2307/43631487. JSTOR 43631487. 
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  57. ^ Byock tr. (2005).
  58. ^ 新エッダ原典は、『詩語法』(Skaldskaparmál) G1, G56[55][56]。1848年編本では「ブラギの語り」56(Sveinbjörn Egilsson ed. (1848), p. 208ff, Bragaræður 56)に組み込まれているが、Faulkes (1995)英訳では『詩語法』序盤のほうの56節を充てている(pp. 59–60)。バイオック英訳も参照[57]
  59. ^ Davidson, Hilda Roderick Ellis (2002). The lost beliefs of northern Europe. London: Routledge. p. 109. ISBN 9781134944682. https://books.google.com/books?id=vueIAgAAQBAJ&pg=PA109 
  60. ^ 谷口の解説では、巨人は「鷲の形」(宴でも森でも)をしていたが、追いかける場面では「鷲の羽衣をつけ」る、とある[39]。原文でも最初に宴に現れたときは"古ノルド語: í arnarhami"と前置詞を使うので「鷲の姿でいる」という解釈になり、追跡する場面では"古ノルド語: tekr an arnarhamin"と「鷲の皮を着る」という表現に切り替わっている[35]
  61. ^ スノッリに拠るHaustlöng の引用、 Skaldskaparmál 22, Faulkes tr. (1995), pp. 86–88: "hawk's flight-skin"
  62. ^ Ruggerini (2006), pp. 204, 209.
  63. ^ a b Gunnell, Terry (1995). The Origins of Drama in Scandinavia. Boydell & Brewer Ltd. p. 82. ISBN 9780859914581. https://books.google.com/books?id=c8Elw62Qaf0C&pg=PA82 
  64. ^ ルッジェリーニは「鷹の飛行毛皮」"hawk's flying-fur"[62]、ガンネルは「鷹の皮」hauks bjalfi "hawk's skin"[63]とそれぞれ英訳している。
  65. ^ Ruggerini (2006), pp. 203, 206.
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  68. ^ 谷口 (1976)(案内書)、「トールの槌取りもどし」、pp. 44–46
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  70. ^ Faulkes tr. (1995), p. 83.
  71. ^ Faulkes tr. (1995), p. 80: "how Thor went to Geirrod's courts"
  72. ^ Sveinbjörn Egilsson ed. (1848), p. 284.
  73. ^ Skaldskaparmál 18, "..Þórr fór til Geirröðargarða".[72]
  74. ^ Faulkes tr. (1995), Skáldskaparmál 18 & 19.
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  76. ^ 英訳だと"falcon-feathered cloak"等。Skaldskaparmál G18.[55]。他の英訳に Faulkes (1995)[74]; Thorpe (1851).[75]
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  79. ^ Grimstad (1983) では神々が "羽衣を着て donning a feather coat"変身することへの解説をしているが、脚注(n18, p. 206)で、『ユングリング家のサガ』がオーディンの動物変身に触れている、とする。
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  87. ^ 原文と全訳を当たればよいが、原典では"óskmey (願いの乙女)"という表現がつかわれ、ヴァルキューレと解釈される。二次資料では石川栄作の梗概ではオーディンが"巨人フリームニルの娘フリョーズ"と名前がつかわれ[84]、谷口の解説では"ヴァルキューレに林檎を"届けさせた[85]、とあるが、いずれもカラスへの変身が割愛される。小林論文では、"オーディンは彼に使える戦いの乙女 ヴァルキューレに子宝のリンゴを..レリルに届けるように命じ.. 彼女はそのリンゴを受け取るとカラスに姿をかえて飛んで行き"等とある[86]
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  102. ^ a b Grimstad (1983), p. 191による各学説総覧では、第二解釈("second interpretation")の派で、変身の環を解いている;さらには、ヴェルンドの妻(白鳥処女・ヴァルキュリア)の所持品の環の可能性もあると仮設される。むろん環は白鳥変化の能力を与えるものである。この説にくみする学者のグループは(n20) Richard Constant Boer (1907), "Völundarkviða" Arkiv för nordisk filologi 23 (Ny följd. 19): 139–140, Ferdinand Detter (1886) "Bemerkungen zu den Eddaliedern", Arkiv för nordisk filologi 3: 309–319, Halldór Halldórsson (1960) " Hringtöfrar í íslenzkum orðtökum” Íslenzk tunga 2: 18–20 Otto Luitpold Jiriczek Deutsche Heldensagen, pp. 10–15, Alois Wolf (München, 1965 ) "Gestaltungskerne und Gestaltungsweisen in der altgermanischen Heldendichtung", p. 84.
  103. ^ ヴィグフッソン&パウエル編訳、下部、散文英訳に"Then he made him wings to serve in the place of feet that he might escape from Nidhad"斜体で""Vigfússon & Powell (1883), The Lay of Weyland, pp. 173
  104. ^ 谷口 (1976)「鍛冶師ヴォルンド」、p. 78。"彼は鳥の翼から羽衣をこしらえていた"
  105. ^ Grimstad (1983), p. 191.
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  108. ^ ヤン・デ・フリース [1952] pp. 196–197は、古ノルド語のfitjar(原文では à fitjum と活用)は、「水かきのついた足」と必ずしも訳することはなく、「翼」ともとれる(同源語に古サクソン語 federac中期低地ドイツ語 vittekが見いだせる)と主張したが、マッキネル(McKinnel)は、この解釈には問題があるとしている[107]
  109. ^ Grimstad (1983), p. 191は、この箇所の解釈についての各学説をまとめて、主流は"翼"派と"魔法の環"派だとしている[105]。羽衣(人工翼)派としては(n19Georg Baesecke (1937), A. G. van Hamel (1929) "On Völundarkviða" Arkiv för nordisk filologi 45: 161–175, Hellmut Rosenfeld (1955), Philip Webster Souers (1943)らが、ヤン・デ・フリース(1952)以前に提唱している。
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  123. ^ 石川光庸 (1990), p. 15, 訳注 (78)。しかしながら挿絵(p. 17)として掲載された木版画[122]では、あくまで腕に通した一対の翼に見える。
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  127. ^ McKinnel (2002), p. 201.
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  154. ^ ジョイスも標準表記をtaidenとし、"tuigen, stuigen"と同義とする[144]
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参照文献

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一次資料

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二次資料

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(東洋)

(ハワイ他ポリネシア圏)

(ゲルマン他ヨーロッパ圏)

関連項目

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