羽栗郡
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羽栗郡(はぐりぐん)は、岐阜県(美濃国)にあった郡。現在の羽島郡全域と羽島市の一部などを含む領域に存在した。
郡域
[編集]1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。
- 岐阜市の一部(境川以南)
- 羽島市の一部(竹鼻町・竹鼻町神楽・竹鼻町丸の内・竹鼻町錦町・竹鼻町西野町・新生町・足近町各町・小熊町各町・福寿町各町・正木町坂丸・正木町不破一色・正木町森・正木町森新田・正木町光法寺・正木町南及)
- 各務原市の一部(川島各町・成清・神置・下中屋・大佐野・上中屋・松本)
- 羽島郡笠松町・岐南町の全域
歴史
[編集]→分割以前の歴史については「葉栗郡」を参照
古くは尾張国葉栗郡の一部だった。安土桃山時代の天正14年6月24日(1586年8月9日)、木曽川の大洪水で流路が変わり葉栗郡が分断されてしまったため[1]、豊臣秀吉の命により、天正17年(1589年)に美濃側に分断された部分を美濃国に移し[2]、区別のために葉から羽に字が変更された。ただし、同様に分断された中島郡(中島郡 (愛知県)と中島郡 (岐阜県)に分断)や海西郡(海西郡 (愛知県)と海西郡 (岐阜県)に分断)は改称されていない。
近世以降の沿革
[編集]知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 美濃郡代 | 9村 | 笠松村、徳田新田、奈良津新田、印食新田、田代村、成光村、若宮地村、北及村、南及村 |
幕府領 藩領 | 美濃郡代 尾張藩 | 2村 | 不破一色村、徳田村 |
藩領 | 磐城平藩[3] | 2村 | 上印食村、下印食村 |
尾張藩 | 24村 | 竹ヶ鼻村、円城寺村、西小熊村、川口村、直道村、天王森村、浅平村、平方村、南之川村、北宿村、加納新田[4]、三宅村、野中村、薬師寺村、南宿村、栗木村、本郷村、間島村(現・羽島市)、坂井村、柳津村、市場村、小荒井村、島村、東小熊村 | |
藩領 旗本領 | 尾張藩 平岡隼人 | 1村 | 伏屋村 |
幕府領 旗本領 | 美濃郡代 中川甲五郎 | 2村 | 森村、坂丸村 |
幕府領 旗本領 | 美濃郡代 津田二之助 | 1村 | 三ツ屋村 |
旗本領 | 津田二之助 | 4村 | 長池村、藤掛村、光法寺村、おはけ村 |
旗本領 | 中川甲五郎 | 3村 | 北船原村、南船原村、町屋村 |
旗本領 | 坪内鉉次郎 | 4村 | 無動寺村、成清村、大佐野村、笠田村 |
旗本領 | 坪内輪三郎 | 3村 | 小網島村、松本村、上中屋村 |
旗本領 | 坪内飛騨守 | 8村 | 中野村、米野村、松倉村、間島村(現・各務原市)、松原島村、江川村、下中屋村、平島村 |
- 慶応4年
- 明治元年12月7日(1869年1月19日) - 戊辰戦争の処分により磐城平藩が減封。郡内の領地が笠松県の管轄となる。
- 明治初年
- 領地替えにより名古屋藩領の一部(市場村・小荒井村および島村の一部)が笠松県の管轄となる。
- おはけ村が長池村に合併。
- 明治4年
- 明治5年(1872年)9月 - 大区小区制により美濃国を175区に分割。
- 明治6年(1873年)4月 - 岐阜県内管内区画を改正して12大区175小区に分割。本郡は第2大区となり、1小区から7小区まで設置される。
- 明治7年(1874年)(63村)
- 明治8年(1875年)(52村)
- 1月 - 以下の各村の統合が行われる。[11]
- 松倉村 ← 下中屋村[字伊八島]、松倉村
- 伏屋村 ← 伏屋村、成光村[12]
- 河田島村 ← 円城寺村[飛地]、河田島分村[13]
- 円城寺村 ← 円城寺村、栗木村[14]
- 徳田村 ← 徳田村、印食新田
- 北及村 ← 北及村、柳津村[字及新田分]
- 門間村 ← 南船原村、北船原村、町屋村
- 坂丸村 ← 加納新田、坂丸村
- 市場村 ← 市場村、柳津村[字市場新田]
- 坂井村 ← 坂井村、柳津村[字直道新田分]
- 笠松村・徳田新田・奈良津新田が合併し、改めて笠松村となる[15]。
- 長池村および三ツ屋村の一部が合併し、改めて長池村となる[15]。
- 田代村・藤掛村および三ツ屋村の残部が合併し、改めて田代村となる[15]。
- 6月1日 - 天王森村・川口村が合併して川森村となる。
- 東間島村・石田村が合併して神置村となる[16]。
- 1月 - 以下の各村の統合が行われる。[11]
- 明治12年(1879年)
- 明治13年(1880年)10月 - 上中屋村の一部が分立して小網島村となる[18]。(53村)
- 明治22年(1889年)7月1日 - 町村制の施行により、笠松町(現存)、竹ヶ鼻町(現・羽島市)、川島村、下中屋村、神置村、成清村、大佐野村、上中屋村、松本村(現・各務原市)、中野村、円城寺村、無動寺村、江川村、米野村(現・笠松町)、野中村、三宅村、伏屋村、若宮地村、平島村、下印食村、徳田村、上印食村、薬師寺村(現・岐南町)、長池村、田代村、北及村、門間村(現・笠松町)、柳津村(現・岐阜市)、南宿村、市場村、北宿村、直道村、坂井村、小荒井村、南之川村、島村、西小熊村、東小熊村、川森村、本郷村、平方村、浅平村、間島村、坂丸村、不破一色村、森村、光法寺村、南及村が発足[19]。それにともない以下の変更が行われる[20]。(2町46村)
- 笠松村が町制施行して笠松町となる。
- 竹ヶ鼻村が町制施行して竹ヶ鼻町となる。
- 松原島村・河田島村・笠田村・松倉村・小網島村が合併して川島村となる。
- 足近新田が島村に合併。
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「羽栗中島郡役所」の管轄区域をもって羽島郡が発足[21]。同日羽栗郡廃止。
行政
[編集]- 羽栗・中島郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)2月18日 | |||
明治30年(1897年)3月31日 | 中島郡との合併により羽栗郡廃止 |
脚注
[編集]- ^ 『KISSO』Vol.59、国土交通省中部地方整備局木曽川下流河川事務所、6-10頁
- ^ 『新撰美濃志』及び同書を底本とする『古事類苑』「美濃國」の記載では、天正10年(1582年)に木曽川沿いの三郡(葉栗郡、中島郡、海西郡)のうち、百二十余村を分割して美濃国に移したとされる。
- ^ 切通陣屋が統治した。
- ^ 記載は加納村。「角川日本地名大辞典」では中島郡所属。
- ^ 明治元年4月18日太政官第247号
- ^ 『岐阜縣令達全書』では、明治元年4月15日(1868年5月7日)とする。
- ^ 明治元年閏4月25日太政官第347号
- ^ 明治4年7月14日太政官布告第313号
- ^ 明治4年11月22日太政官布告第614号
- ^ 明治7年9月岐阜県第187号布達
- ^ 明治8年1月岐阜県第17号布達
- ^ 現在の岐南町伏屋3丁目付近
- ^ 円城寺村の枝郷。現・各務原市川島河田町および川島竹早町・川島緑町の各一部。
- ^ 現在の笠松町円城寺のうち、岐南町薬師寺9丁目の西に位置する地域。
- ^ a b c 笠松町のあゆみ、岐阜県笠松町。
- ^ 小崎利準権令の仲裁による。
- ^ 明治12年2月18日岐阜県甲第10号布達
- ^ a b 明治14年3月25日岐阜県甲第35号布達
- ^ 明治22年6月27日岐阜県令第40号
- ^ 明治22年6月27日岐阜県令第39号
- ^ 岐阜県下郡廃置及郡界変更法律(明治29年4月18日法律第86号)施行による。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 21 岐阜県、角川書店、1980年9月1日。ISBN 4040012100。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 『新撰美濃志』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、岡田啓著、明治33年(1900年)10月25日発行
- 『古事類苑. 第3冊』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、神宮司廳編、大正元年(1912年)10月25日発行
- 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室、23-24、30、52頁
関連項目
[編集]先代 葉栗郡(尾張国) |
行政区の変遷 1589年 - 1897年 |
次代 羽島郡 |