織田長定
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和2年(1616年) |
死没 | 寛文12年閏6月4日(1672年7月27日) |
別名 | 通称:左近 |
戒名 | 保善院殿高巌亮照大居士 |
墓所 | 奈良県桜井市芝の慶田寺 |
官位 | 従五位下・豊前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 大和戒重藩主 |
氏族 | 織田氏(長益系長政流) |
父母 | 父:織田長政 |
兄弟 |
長定、政時、大田原政清正室、 織田貞置室 |
妻 | 正室:金森重頼娘 |
子 | 長明、女子 |
織田 長定(おだ ながさだ)は、江戸時代前期の大名。大和国戒重藩2代藩主。官位は従五位下・豊前守。長政流織田家2代。
生涯
[編集]初代藩主・織田長政の長男として誕生。
万治2年(1659年)12月23日、父の隠居により家督を相続する。万治3年(1660年)12月28日、従五位下豊前守に叙任する。寛文4年(1664年)、駿府加番を命じられる。
寛文12年(1672年)閏6月4日、戒重において死去、享年57。法号は保善院殿高巌亮照大居士。墓所は奈良県桜井市芝の慶田寺。
系譜
[編集]子女は1男1女。