織田信義
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永5年(1708年) |
死没 | 天明6年11月27日(1787年1月16日) |
改名 | 信義→竹翁(法号) |
別名 | 通称:十次郎、刑部、弥十郎 |
官位 | 従五位下・肥後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
氏族 | 織田氏(信貞系貞輝流→弥十郎家(信包系信当流)) |
父母 |
父:織田長喬、母:遠藤信澄娘 養父:織田信政 |
兄弟 | 男子、信義、信尹、女子 |
妻 |
正室:織田信政長女 継室:織田信清長女・お道 |
子 |
成瀬正常、信直、信昆、大河内政良 養子:信寛、信彭 |
織田 信義(おだ のぶよし)は、江戸時代中期の旗本。通称は十次郎、刑部、弥十郎。官位は従五位下・肥後守。丹波国柏原藩主・織田信包の四男信当を始祖とする旗本織田家3000石の4代当主。
生涯
[編集]旗本織田長喬の次男として誕生した。旗本織田信政の養子となる。享保13年(1728年)10月9日、養父・信政の隠居により家督を相続する。
享保20年(1735年)4月9日、小姓組に加えられる。その後、小姓組組頭や小普請組支配を経て、宝暦3年(1753年)4月7日、作事奉行となる。同年12月18日、従五位下・肥後守に叙任される。安永2年(1773年)12月3日、隠居し、養嗣子とした孫の信彭に家督を譲る。以後、竹翁と称する。
系譜
[編集]9男5女あり。