大河内政良
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 宝暦元年(1751年) |
死没 | 天保5年8月2日(1834年9月4日) |
別名 | 通称:十次郎、善十郎 |
官位 | 従五位下・肥後守 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家治→家斉→斉匡 |
氏族 | 織田弥十郎家(信包系信当流)→大河内氏 |
父母 | 父:織田信義、養父:大河内政義 |
兄弟 |
成瀬正常、織田信直、織田信昆、 政良ら9男5女 養兄弟:織田信寛、織田信彭 |
妻 | 大河内政義養女 |
子 | 政成、政直 |
大河内 政良(おおこうち まさかた)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本。通称は十次郎、善十郎。官位は従五位下・肥後守。
生涯
[編集]旗本・織田信義の八男として誕生した。大河内政義(常陸国真壁郡内で500石を領した旗本)の養子となる。
安永6年(1777年)8月13日、養父・政義の隠居により家督を相続する。天明2年(1782年)1月21日、小姓組に加えられる。以後、小納戸・西丸目付などを勤める。文化8年(1811年)3月24日、山田奉行に就任し、6月1日、従五位下・肥前守に叙任する。文化12年12月15日(1816年)に小普請奉行、文政6年(1823年)4月12日に普請奉行に転じる。
文政11年(1828年)10月15日、田安徳川家の家老に就任する。文政13年(1830年)11月、高齢者のための名誉職であった西丸旗奉行に転じる。
天保5年(1834年)8月2日死去、享年84。平戸藩主松浦静山の著書『甲子夜話』に当時の幕臣長寿者として記載されている。