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大河内政良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大河内政良
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦元年(1751年
死没 天保5年8月2日1834年9月4日
別名 通称:十次郎、善十郎
官位 従五位下肥後守
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家治家斉斉匡
氏族 織田弥十郎家(信包系信当流)大河内氏
父母 父:織田信義、養父:大河内政義
兄弟 成瀬正常織田信直織田信昆
政良ら9男5女
養兄弟:織田信寛織田信彭
大河内政義養女
政成政直
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大河内 政良(おおこうち まさかた)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本。通称は十次郎、善十郎。官位従五位下肥後守

生涯

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旗本・織田信義の八男として誕生した。大河内政義常陸国真壁郡内で500石を領した旗本)の養子となる。

安永6年(1777年)8月13日、養父・政義の隠居により家督を相続する。天明2年(1782年)1月21日、小姓組に加えられる。以後、小納戸・西丸目付などを勤める。文化8年(1811年)3月24日、山田奉行に就任し、6月1日、従五位下・肥前守に叙任する。文化12年12月15日(1816年)に小普請奉行、文政6年(1823年)4月12日に普請奉行に転じる。

文政11年(1828年)10月15日、田安徳川家の家老に就任する。文政13年(1830年)11月、高齢者のための名誉職であった西丸旗奉行に転じる。

天保5年(1834年)8月2日死去、享年84。平戸藩松浦静山の著書『甲子夜話』に当時の幕臣長寿者として記載されている。

系譜

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