細田富男
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選手情報 | |||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||
競技 | 陸上競技(短距離走) | ||||||||||||||||||||
種目 | 100m | ||||||||||||||||||||
所属 | 八幡製鉄 | ||||||||||||||||||||
大学 | 日本大学 | ||||||||||||||||||||
生年月日 | 1926年1月19日 | ||||||||||||||||||||
生誕地 | 山梨県 | ||||||||||||||||||||
没年月日 | 2008年7月27日(82歳没) | ||||||||||||||||||||
死没地 | 東京都 | ||||||||||||||||||||
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細田 富男(ほそだ とみお、1926年1月19日 - 2008年7月27日[1])は、日本の短距離走選手。
経歴
[編集]山梨県出身[1]。日本大学に進学、1949年には日本学生陸上競技対校選手権大会の100メートル競走で優勝した。
1950年、日本大学法文学部法律学科を卒業[2]、八幡製鉄(現・日本製鉄)に入社。同年の日本陸上競技選手権大会の100メートル走で優勝[3]。
1951年、ニューデリーで開催されたアジア競技大会に出場し、100mと200mでは3位[4]、400mリレーでは田島政次、大橋敏宏、生駒一太とともに優勝した[5]。
1952年ヘルシンキオリンピックに男子100メートル競走で出場した[6]。1953年には第1回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会100メートル競走で優勝。
2008年7月、すい臓がんのため東京都品川区の病院で死去した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c 「細田富男氏死去/ヘルシンキ五輪陸上短距離代表」『Shikoku News』27 July 2008。12 September 2017閲覧。
- ^ 「連載 日大・オリンピック 3」(pdf)『日本大学大学史編纂課だより』第4巻、2013年1月29日、2020年2月26日閲覧。
- ^ “男子100m 過去の優勝者・記録”. 日本陸上競技連盟. 2020年2月26日閲覧。
- ^ “Asian Games Results”. GBR Athletics. 2024年8月15日閲覧。
- ^ “Men's relay medallists”. Incheon 2014. 2014年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月15日閲覧。
- ^ “Tomio Hosoda Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月11日閲覧。
- ^ “【おくやみ】細田富男氏(元日鉄ドラム常務)”. 日刊工業新聞. (2008年7月29日) 2020年2月26日閲覧。