コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

筑波大学附属聴覚特別支援学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
筑波大学附属聾学校から転送)
筑波大学附属聴覚特別支援学校
地図北緯35度44分36.2秒 東経139度54分10.4秒 / 北緯35.743389度 東経139.902889度 / 35.743389; 139.902889座標: 北緯35度44分36.2秒 東経139度54分10.4秒 / 北緯35.743389度 東経139.902889度 / 35.743389; 139.902889
過去の名称 楽善会訓盲院
東京盲唖学校
東京聾唖学校
東京教育大学附属聾学校
筑波大学附属聾学校
国公私立の別 国立学校
設置者 国立大学法人筑波大学
設立年月日 1875年5月22日
創立記念日 5月22日
創立者 楽善会
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード E112110000010 ウィキデータを編集
所在地 272-8560
外部リンク 筑波大学附属聴覚特別支援学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

筑波大学附属聴覚特別支援学校(つくばだいがくふぞく ちょうかくとくべつしえんがっこう、: Special Needs Education School for the Deaf, University of Tsukuba)は、千葉県市川市国府台二丁目にある国立特別支援学校聾学校)。日本で唯一の国立の聴覚特別支援学校(聾学校)である。また、日本の聾学校で唯一、造形芸術科、歯科技工科を設置している。(歯科技工科は2022年度をもって生徒募集を停止)

概要

[編集]

1875年明治8年)5月22日慶應義塾初代塾長古川正雄(会頭)の発案により、津田仙中村正直岸田吟香(書記)、ボルシャルトヘンリー・フォールズがフォールズ宅で集まり、盲人学校を設立するための主体「楽善会」が発足。翌年、前島密小松彰杉浦譲山尾庸三が加わっている。1884年(明治17年)、聾唖者の教育も受け入れることとなり訓盲唖院と改称、1886年には楽善会から文部省に移管されて官立学校となり、1888年(明治21年)に東京盲唖学校と改称された。

1909年(明治42年)、盲唖分離が実現して東京盲学校が設立され、翌年に雑司ヶ谷の現在地に移転。東京盲唖学校は東京聾唖学校と改称された。東京聾唖学校は太平洋戦争中に戦災で指ヶ谷校舎を失い、1946年に現校地である千葉県市川市国府台に移転した。

戦後の学制改革では、国立の学校数を減らすことが意図され、東京教育大学附属学校の一つとなる。その後、筑波大学の設立に伴い1978年東京教育大学附属聾学校筑波大学附属聾学校に改称。さらに2007年には従来の「特殊教育」といった呼称などを廃し「特別支援学校」の名を冠する文部省の方針から筑波大学附属聴覚特別支援学校に名称が変更されている。

幼稚部、小学部、中学部、高等部普通科、高等部専攻科(ビジネス情報科、造形芸術科、歯科技工科)を設置している。1886年(明治19年)4月以来、寄宿舎を設置し、高等部普通科からは、全国から生徒を募集している。(2022年度をもって歯科技工科は募集停止)

教育

[編集]

幼稚園、小学校、中学校、高等学校に準ずる教育を行っている。

高等部専攻科

[編集]
  • 造形芸術科(2年課程)
  • ビジネス情報科(2年課程)
  • 歯科技工科 (3年課程)

その他

[編集]
  • 学校長は筑波大学の教授を兼任している。
  • 聴覚障害者の間では「附属」または「附属聾学校」と略し、一方で「聴覚特別支援学校」と改名されたことに抵抗を持つ人もいる[1]

沿革

[編集]
  • 1866年 - 福沢諭吉が「西洋事情」で、外国の盲聾唖教育を紹介した。
  • 1871年 - 山尾庸三(工学頭)が盲唖学校創設の建白書を太政官に提出。
  • 1875年 - 楽善会(らくぜんかい)が結成される。楽善会は、日本に聾学校や盲学校を作ろうという目的を持った者の集まり。
  • 1876年 - 明治天皇が楽善会に金3千円を下賜された。
  • 1880年1月5日 - 東京府築地楽善会訓盲院開校。2月13日、最初の盲生徒2名が入学。6月に聾生徒2名が入学。
  • 1884年 - 訓盲院を訓盲唖院に改める。
  • 1885年 - 楽善会訓盲院は文部省に移管。
  • 1887年 - 官立東京盲唖学校に名称変更。
  • 1890年 - 東京都文京区指ヶ谷に移転。
  • 1909年 - 官立東京盲学校が誕生。(現在の筑波大学附属視覚特別支援学校
  • 1910年 - 官立東京聾唖学校が誕生。東京盲唖学校はなくなる。師範部を卒業すると聾唖学校の教員資格が得られた。
  • 1946年 - 戦災で指ヶ谷校舎を失ったため、千葉県市川市国府台に移転。
  • 1949年 - 国立ろう教育学校の附属学校となり、国立ろう教育学校附属ろう学校に名称変更。
  • 1950年 - 東京教育大学国立ろう教育学校の附属学校となり、東京教育大学国立ろう教育学校附属ろう学校に名称変更。
  • 1951年 - 東京教育大学教育学部附属ろう学校に名称変更。
  • 1958年 - 東京教育大学教育学部附属聾学校に名称変更。
  • 1960年 - ろう教育研究会(現:聾教育研究会)が本校内におかれた。
  • 1971年 - 高等部専攻科歯科技工科を設置。
  • 1973年 - 東京教育大学附属聾学校に名称変更。
  • 1978年 - 筑波大学に移管され、筑波大学附属聾学校に名称変更。
  • 2000年10月 - 創立125周年式典。
  • 2003年9月 - フランス国立パリ聾学校と姉妹校提携。フランス国立パリ聾学校は世界初の聾学校。
  • 2004年
  • 2005年5月 - 創立130周年式典。
  • 2006年10月 - 第9回アジア太平洋地域聴覚障害問題会議が筑波大学附属聾学校と筑波技術大学が主管校となる。
  • 2007年

出身者

[編集]

関連校

[編集]

関連項目

[編集]

脚注・出典

[編集]

外部リンク

[編集]