第20回ベルリン国際映画祭
第20回ベルリン国際映画祭(独:Internationale Filmfestspiele Berlin 1970, 英:20th Berlin International Film Festival)は1970年6月26日から7月7日までの開催予定だったが、審査員団が閉幕二日前の7月5日に辞任したためコンペティション部門は中止され、主要な賞は授与されなかった[1]。
概要
[編集]『o.k.』スキャンダルと映画祭の中止
[編集]1970年のベルリン国際映画祭では、コンペティション部門で上映されたミヒャエル・ヘルホーファン[注釈 1]の作品『o.k.』をめぐって混乱が起き、映画祭は受賞作を決定しないまま中断された[注釈 2]。
この作品は西ドイツ製作の戦争映画で、一人の少女が兵士達にレイプされ殺害される事件を扱っていた。映画の舞台は西ドイツ南部のバイエルンに設定されているものの、ベトナム戦争中の1966年11月にベトナムで実際に起きた米兵による誘拐レイプ殺害事件(192高地虐殺事件)を題材としているのは明白であり、“反ベトナム戦争映画”と言える作品だった[注釈 3]。この作品が6月30日に上映されると、翌7月1日、アメリカ人映画監督のジョージ・スティーヴンスを審査委員長とする審査員団は審査員9名による投票結果に基づき[注釈 4]、映画祭の作品選出委員会に対して、コンペティション出品作品を再検討するように求めた。そのため審査員団への批判、他の監督たちによる出品の取り下げ、検閲をめぐる論争、さらに若者たちが映画館を占拠するなどの抗議行動が発生した[3]。結果として映画祭終了の2日前、7月5日に審査員たちが辞任したため、金熊賞をはじめとする各賞の選出は行われない事態となった[4]。その後、受賞作不在の事態はベルリン国際映画祭で発生していない[5]。
こうした混乱を受けて映画祭は、翌年の第21回から「ヤング・フォーラム」部門[注釈 5](のちに「フォーラム」部門に改称)を新設した[3]。
上映作品
[編集]コンペティション部門
[編集]- 長編映画のみ記載。アルファベット順。邦題がついていない場合は原題の下に () 付きで英題。
題名 原題 |
監督 | 製作国 |
---|---|---|
Aranyer din Ratri (Days and Nights in the Forest) |
サタジット・レイ | インド |
Baltutlämningen (A Baltic Tragedy) |
ヨハン・ベルゲンストラール | スウェーデン |
Black Out | ジャン=ルイ・ロワ | スイス |
ボルサリーノ Borsalino |
ジャック・ドレー | フランス |
地の群れ | 熊井啓 | 日本 |
Dionysus | ブライアン・デ・パルマ | アメリカ合衆国 |
El Chacal de Nahueltoro | ミゲル・リッティン | チリ メキシコ |
El Extraño caso del doctor Fausto | ゴンサロ・スアレス | スペイン |
純愛日記 En kärlekshistoria |
ロイ・アンダーソン | スウェーデン |
暗殺の森 Il conformista |
ベルナルド・ベルトルッチ | イタリア フランス 西ドイツ |
Klann - grand guignol | パトリック・ルドゥー | フランス ベルギー |
L'urlo (The Howl) |
ティント・ブラス | イタリア |
エデン、その後 L'éden et après |
アラン・ロブ=グリエ | フランス チェコスロバキア |
ジュールの恋人 La ragazza di nome Giulio |
トニーノ・ヴァレリ | イタリア |
Le Temps de mourir (The Time to Die) |
アンドレ・ファルワジ | フランス |
Los Herederos (The Inheritors) |
デイヴィッド・スティーヴェル | アルゼンチン |
O Profeta da Fome (The Prophet of Hunger) |
Maurice Capovila | ブラジル |
o.k. | ミヒャエル・ヘルホーファン | 西ドイツ |
Ore'ach B'Onah Metah (Customer of the Off Season) |
モーシェ・ミズラヒ | イスラエル フランス |
Os Deuses E Os Mortos (Gods and the Dead) |
ルイ・グエッラ | ブラジル |
青春の渚 Out of It |
ポール・ウィリアムス | アメリカ合衆国 |
何故R氏は発作的に人を殺したか? Warum läuft Herr R. Amok? |
ミハエル・フェングラー ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー |
西ドイツ |
審査員
[編集]- ジョージ・スティーヴンス (アメリカ/監督) - 審査委員長
- Klaus Hebecker (西ドイツ/ジャーナリスト・映画評論家[注釈 6])
- David Neves (ブラジル/監督)
- アルベルト・ラットゥアーダ (イタリア/監督)
- ドゥシャン・マカヴェイエフ (ユーゴスラヴィア/監督)
- ビリー・ホワイトロー (イギリス/女優)
- Manfred Durniok (西ドイツ/プロデューサー)
- Véra Volmane (フランス/ジャーナリスト)
- Gunnar Oldin (スウェーデン/ジャーナリスト・映画評論家[注釈 7])
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ Michael Verhoeven(1938年 - )。ドイツの映画監督、俳優。ミヒャエル・フェアヘーヘンとも表記。日本で劇場公開された作品としては、ゾフィー・ショルを描いた『白バラは死なず(Die weiße Rose)』(1982年)がある。2006年の『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』日本公開記念で開催された「白バラ映画祭」で来日、シンポジウムに登壇している[2]。
- ^ ドイツ語版Wikipediaの第20回映画祭記事、映画『o.k.』記事、英語版Wikipediaの第20回映画祭記事などに詳細な記述がある。
- ^ 同じ事件を主題にブライアン・デ・パルマがのちに『カジュアリティーズ』(1989年)を制作している。
- ^ 審査員会議での投票結果を、ドイツ語版Wikipedia記事は6票対3票、英語版Wikipedia記事は7票対2票としている。
- ^ Internationale Forum des Jungen Films. 「ヤング・フォーラム」の新設は当時のベルリン市文化相(Senator für Wissenschaft und Kunst von Berlin)であったヴェルナー・シュタイン(Werner Stein)(社会民主党・SPD)の提案による[3]。のちに名称は「フォーラム(Forum)」に変更されている。
- ^ 肩書はドイツ語版Wikipediaに基づいて記載。
- ^ 肩書は英語版Wikipediaに基づいて記載。
出典
[編集]- ^ “Berlinale | Archiv | Chroniken | Chroniken | 1970: 20. Internationale Filmfestspiele Berlin” (ドイツ語). Berlinale. 2023年2月26日閲覧。
- ^ “映画『白バラの祈り』監督来日、公開記念シンポジウム”. クリスチャントゥデイ (2006年1月28日). 2023年2月27日閲覧。
- ^ a b c ドイツニュースダイジェスト 2020.
- ^ “Berlinale | Archive | Annua| Archives | 1970 | Yearbook” (英語). Berlinale. 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月26日閲覧。
- ^ “ベルリン国際映画祭 受賞一覧”. 映画データベース - allcinema. 2023年2月27日閲覧。
参考文献
[編集]- “ベルリン国際映画祭70年史 社会とともに歩み続けるベルリナーレ”. ドイツニュースダイジェスト (2020年2月26日). 2023年2月26日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式サイト (ドイツ語・英語)