第百四号哨戒艇
表示
(第104号哨戒艇から転送)
艦歴 | |
---|---|
起工 | |
進水 | |
竣工 | 1930年(オランダ) |
就役 | |
喪失 | 1945年8月24日 |
除籍 | 1945年9月15日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:795トン |
全長 | 70.15m |
水線長 | 66.5m |
全幅 | 7.95m |
吃水 | 2.80m |
機関 | レシプロエンジン 2基2軸 3,350馬力 |
燃料 | 重油 |
速力 | 15ノット |
航続距離 | |
乗員 | 定員105名(1943年9月1日)[1] |
兵装 | 8cm単装高角砲 1基 13mm単装機銃 2基 25mm単装機銃 4基 25mm連装機銃 2基 爆雷48発 |
同型艇 | 2隻 |
第百四号哨戒艇[2](だいひゃくよんごうしょうかいてい)は、大日本帝国海軍の鹵獲艦艇の一つ。元はオランダ領東インド政府の哨戒艇ファルク (Valk) 。
概要
[編集]1942年3月2日ジャワ島チラチャップ港で、閉塞船として自沈。浮揚後スラバヤの第百二海軍工作部が修理し、哨戒艇とした。本艇の前身ファルクと第百八号哨戒艇の前身アーレンドは姉妹艇。
艇歴
[編集]- 1930年オランダのフィジェノルド造船所で竣工
- 1942年3月8日ジャワ島チラチャップ港で、閉塞船として自沈
- 3月浮揚、スラバヤの第百二海軍工作部が修理
- 1943年9月1日 第百四哨戒艇と命名[3]、哨戒艇に類別[4]、本籍を佐世保鎮守府と定められる[5]。第二南遣艦隊附属に編入[6]。
- 1944年1月31日工事完了、第二南遣艦隊第二十一特別根拠地隊に編入、軍隊区分直卒部隊に配置[7]。その後船団護衛任務に従事
- 1945年4月30日 大阪警備府附属に編入、軍隊区分阪警海面防御部隊に配置[8]。
- 第百四号哨戒艇長
脚注
[編集]- ^ 昭和18年9月1日付 内令第1794号。この数字は特修兵、その他臨時増置された人員を含まない。
- ^ 昭和18年9月1日 海軍大臣 逹第203号。「昭和18年9月~12月 達(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070119700
- ^ 昭和18年9月1日付 達第203号。
- ^ 昭和18年9月1日付 内令第1780号。
- ^ 昭和18年9月1日付 内令第1817号。
- ^ 『日本海軍編制事典』、p. 383。
- ^ 第二十一特別根拠地隊戦時日誌、昭和19年1月1日-1月31日。
- ^ 第百四号哨戒艇戦時日誌、昭和20年5月1日-5月31日。
- ^ 昭和18年9月3日付 海軍辞令公報(部内限)第1206号。
- ^ a b 昭和20年3月30日付 秘海軍辞令公報 甲 第1759号。
- ^ 昭和20年9月26日付 海軍辞令公報 甲 第1929号。充員召集を解除されたことによる自動解職。
参考文献
[編集]- 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0