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第百四号哨戒艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第104号哨戒艇から転送)
艦歴
起工
進水
竣工 1930年(オランダ)
就役
喪失 1945年8月24日
除籍 1945年9月15日
性能諸元
排水量 基準:795トン
全長 70.15m
水線長 66.5m
全幅 7.95m
吃水 2.80m
機関 レシプロエンジン 2基2軸 3,350馬力
燃料 重油
速力 15ノット
航続距離
乗員 定員105名(1943年9月1日)[1]
兵装 8cm単装高角砲 1基
13mm単装機銃 2基
25mm単装機銃 4基
25mm連装機銃 2基
爆雷48発
同型艇 2隻

第百四号哨戒艇[2](だいひゃくよんごうしょうかいてい)は、大日本帝国海軍鹵獲艦艇の一つ。元はオランダ領東インド政府の哨戒艇ファルク (Valk) 。

概要

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1942年3月2日ジャワ島チラチャップ港で、閉塞船として自沈。浮揚後スラバヤの第百二海軍工作部が修理し、哨戒艇とした。本艇の前身ファルクと第百八号哨戒艇の前身アーレンドは姉妹艇。

艇歴

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  • 1930年オランダのフィジェノルド造船所で竣工
  • 1942年3月8日ジャワ島チラチャップ港で、閉塞船として自沈
    • 3月浮揚、スラバヤの第百二海軍工作部が修理
  • 1943年9月1日 第百四哨戒艇と命名[3]、哨戒艇に類別[4]、本籍を佐世保鎮守府と定められる[5]第二南遣艦隊附属に編入[6]
  • 1944年1月31日工事完了、第二南遣艦隊第二十一特別根拠地隊に編入、軍隊区分直卒部隊に配置[7]。その後船団護衛任務に従事
  • 1945年4月30日 大阪警備府附属に編入、軍隊区分阪警海面防御部隊に配置[8]
第百四号哨戒艇長
  1. 小松孝 大尉/少佐:1943年9月1日[9] - 1945年3月20日[10]
  2. 丸山春喜 大尉/少佐:1945年3月20日[10] - 1945年9月15日[11]

脚注

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  1. ^ 昭和18年9月1日付 内令第1794号。この数字は特修兵、その他臨時増置された人員を含まない。
  2. ^ 昭和18年9月1日 海軍大臣 逹第203号。「昭和18年9月~12月 達(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070119700 
  3. ^ 昭和18年9月1日付 達第203号。
  4. ^ 昭和18年9月1日付 内令第1780号。
  5. ^ 昭和18年9月1日付 内令第1817号。
  6. ^ 『日本海軍編制事典』、p. 383。
  7. ^ 第二十一特別根拠地隊戦時日誌、昭和19年1月1日-1月31日。
  8. ^ 第百四号哨戒艇戦時日誌、昭和20年5月1日-5月31日。
  9. ^ 昭和18年9月3日付 海軍辞令公報(部内限)第1206号。
  10. ^ a b 昭和20年3月30日付 秘海軍辞令公報 甲 第1759号。
  11. ^ 昭和20年9月26日付 海軍辞令公報 甲 第1929号。充員召集を解除されたことによる自動解職。

参考文献

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  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0

関連項目

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