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Char

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹中尚人から転送)
Char
出生名 竹中 尚人
生誕 (1955-06-16) 1955年6月16日(69歳)
出身地 日本の旗 日本東京都品川区戸越
ジャンル ロック
職業
担当楽器
活動期間 1971年 -
レーベル ZICCA RECORDS
共同作業者
公式サイト 公式サイト(ZICCA.net)(日本語)
著名使用楽器
Char
YouTube
チャンネル
活動期間 2010年 -
ジャンル 音楽
登録者数 約5.28万人
総再生回数 約2029万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年4月21日時点。
テンプレートを表示

Char(チャー、1955年〈昭和30年〉6月16日 - )は、日本ギタリストシンガーソングライター音楽プロデューサー

サテライト・サービス放送番組審議会の委員でもある。本名:竹中 尚人(たけなか ひさと)。東京都品川区戸越出身。

来歴

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耳鼻咽喉科眼科の開業医を母に持つ[1]。7歳でピアノを習い始め、兄の影響から8歳でギターを手にする。本人曰く18歳までピアノを継続し、将来は音楽大学を志望していたとのこと。

ザ・ベンチャーズエリック・クラプトンジェフ・ベックジミ・ヘンドリックスなどから影響を受ける。日々ピアノよりもギターに没頭するのを心配した父親が、Charの部屋に入って「お前は将来何になりたいんだ」と問い詰めたところ、Charは「これ」と壁に貼ってあるジミ・ヘンドリックスのポスターを指差したというエピソードがある。

アマチュア時代

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11歳から13歳の時期に、同級生の新川博らと結成した『FOX』で活動。ヤードバーズドアーズローリング・ストーンズ等をレパートリーとしていた。14歳で『JAH(ヤッハ)』結成。3ピースバンドで、メンバーの名前の頭文字から命名した。ヤードバーズ、クリーム等をレパートリーとし、バンド・コンテストにも出場した。この時期に早くもプロ・デビューの話を持ちかけられるが、「生ギターでフォークみたいのやらない?」という内容が自身の目指すものと異なっていたために断る。

16歳の時に『GAS MASK』結成。ヤマハ・ライトミュージックコンテストに出場し、オリジナル曲を演奏した結果、地区ブロックで2位を受賞する。オリジナル曲以外は、グランド・ファンク・レイルロード等をレパートリーとしていた。


17歳で『Shock』結成。別バンド『Bad Scene』のデビュー曲のレコーディングを依頼され、並行して同バンドにも参加。『Shock』でもプロ・デビューの話が出たが、レコーディング中にメンバーの音楽的指向性の食い違いから途中で解散する。

1973年、『スモーキー・メディスン』結成。

『Shock』や『Bad Scene』にて日比谷野外音楽堂でライブをしていた頃、金子マリも別のバンドで同じステージに立っていた。ある日、街中で出会い連絡先を交換した。

『Bad Scene』解散後、同バンドの鳴瀬喜博、『Shock』の佐藤準藤井章司と共に新たなバンドの構想を練る最中、金子マリから「バックコーラスでもいいから参加したい」との電話連絡を受けて迎え入れた。同年8月には合歓の郷で合宿を行い、本格的な活動準備に入る。

1974年に、スタジオ・ミュージシャンとしての初仕事をこなす。レコーディング内容は、ギター奏法教材「ロック完全マスター」(立東社)という譜面集と併売されるカセットテープのデモ演奏として、エリック・クラプトン等の曲を収めるものだった。当時のスタジオ・ミュージシャンはジャズ系スタイルのプレイヤーが多く、ロック系ギタリストは少数だったため、練習していたスタジオで知り合ったスタジオ・ミュージシャンからの依頼だった。この時のエピソードとして、当時のレコーディング・エンジニア達はロック・エレクトリック・ギター歪みフィードバック奏法を認識しておらず、戸惑ったと回想している[2]

Charが当時エレックレコード所属アーティストのレコーディングにも参加していたため、知り合いのディレクターから依頼を受け、バンドは企画アルバムのレコーディングを行った(『ゴーゴー大パーティー第4回ロック・インパルス』:キングレコード / 1974年リリース盤に『マイティ・マウス』の変名でクレジットされている)。同時期、エレックレコードの若手レコーディング・エンジニアから「どうしてもバンドの音を残したい」と依頼され、夜中にスタジオ入りして朝方までにデモテープを完成させた。後日、そのデモテープを金子、鳴瀬の2人が各音楽関係会社に持ち込む。当時、鳴瀬以外は高校生だったが、演奏力やステージングがプロミュージシャンや音楽メディアの間でも話題となり、内田裕也の耳にも入る。当時、Charが客としてチケットを購入して見に行く予定だったとも言われている内田プロデュースのイベント第2回「フラッシュ・コンサート」(於:西武劇場)に出演予定だったサディスティック・ミカ・バンドが海外公演を行うために出演キャンセルした際、内田はその空席に『スモーキー・メディスン』を抜擢した。1974年5月号のニュー・ミュージック・マガジン誌では、アマチュア・バンドにもかかわらず「期待の新グループ、スモーキー・メディスン」として数ページに渡り写真と内田裕也のコメントを掲載。その演奏力、新鮮さ共に好評価されていた。

以降は様々なロックイベントに出演。当時日本最大のロックフェスティバルと呼ばれた郡山ワンステップフェスティバル1974にも出演が決まっていたが、その直前に『スモーキー・メディスン』は解散した。解散の理由は音楽的指向性の相違と言われているが諸説ある。

解散後のCharはフォーク系グループのレコーディングやライブでのバックバンド・ギタリスト、楽器メーカー主催のギター・クリニック等の活動が主となるが、『Mad Brothers』(jazz/fusion系)や『Charlie Funk Party』(パーティ・バンド)でも活動した。

プロデビュー後

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1976年6月キャニオン・レコード / SEE SAWからシングル「NAVY BLUE」でソロ・デビュー。9月にアルバム『Char』を発表(代表曲となる「Smoky」を収録)。1977年6月リリース「気絶するほど悩ましい」は、外部の作詞(阿久悠)、作曲(梅垣達志)で自身のロック指向とは異なる『歌謡ロック』路線となりアイドル系ギタリスト&ボーカリストとして人気を博す。1978年には「逆光線」、「闘牛士」とヒットを飛ばし、同時期に登場した世良公則&ツイスト原田真二と共に『ロック御三家』と呼ばれた[3]

他の二組が自作曲で世に出たのとは違い、自身のシングル曲が職業作家からの提供曲だったことについては「俺がやったのは歌謡曲とロックの中間だったよね。俺はロックの音楽家だけど、シングル盤は歌謡曲でいいと思ったわけさ。ロックやっててメジャーの世界に出るにはそれしかなかったよね」と当時のインタビューで述べている[3]。アイドル性を狙うもバンドにルックスの悪いメンバーがいたために若い女性ファンは取り込めなかったという[3]

また、曲のヒットでテレビの歌番組に出演することが増え、そこで当時一世を風靡していたピンク・レディーの想像を絶する忙しさを知り、五木ひろし新沼謙治といった演歌歌手と共演することで歌謡界の本物のプロの凄さを目の当たりにし、自分の道を極めなければいけないと思ったと述懐している。

1978年7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にて、楽曲の半分でゴダイゴと共演。リリース後に行われたゴダイゴとの共演LIVEで、男性のみが入場可能だった『男だけのコンサート』を行う。

同年9月、音楽活動以外に俳優にも挑戦。TBSの時代劇特番『雲を翔びこせ(渋沢栄一伝)』にて主人公の渋沢栄一西田敏行)の嫁、千代(池上季実子)の兄、長七郎役を演じる。

同時期、本人の本来の指向とは異なるアイドル然とした歌謡界での活動に見切りを付け、新たに本格的なロックバンド結成を構想。

イエロー~金子マリ&バックスバニーのジョニー吉長ザ・ゴールデン・カップス~スピード・グルー&シンキ等のルイズルイス加部と共に『JOHNNY, LOUIS & CHAR』を結成。活動準備のため合歓の郷で合宿。

並行して続けていたソロ活動においては、1978年秋発売の「BLUE CHRISTMAS」が東宝映画『ブルークリスマス』劇中歌となったが、6thシングルとしての日本語歌詞バージョンとは別にChar自身が歌う英語歌詞バージョン(こちらはBGM数曲を併せたサウンドトラックとして構成)も同時発売される異色の体制となった。作曲は同映画の音楽監督である佐藤勝。映画の中では英国人バンドが歌う曲として扱われている。

その後『JOHNNY, LOUIS & CHAR』のステージ・デビュー(芸術祭イベント)の模様はTV収録されたが、その放映前に自身に対して「ある事件(覚醒剤取締法違反)」の謂れのない嫌疑がかけられたため活動休止を余儀なくされ、オンエアされることなく御蔵入りとなる。同時期に予定されていたコンサートツアー『JOHNNY, LOUIS & CHAR・ウルトラコンサート』も中止となる。

1979年カルメン・マキの支援を受け、彼女のツアーメンバーとして復帰。

同年に『JOHNNY, LOUIS & CHAR』が再始動。7月14日に開催された『Free Spirit』と題されたフリー(無料)コンサートには雨天にもかかわらず全国からファンが殺到し、日比谷野外音楽堂の動員記録を樹立する(当日の模様は同年11月、3万枚限定盤LPとして『Free Spirit』のタイトルでリリースされた)。

1980年5月『Trycycle』、1981年『OiRA』を発表。

所属レコード会社の移籍に伴いバンド名を『ピンククラウド』と改名。バップから、1981年5月『KUTKLOUD』、9月『CLOUD LAND/桃源郷』、1983年11月『PINK CLOUD』、1984年11月『PLANT BLEND』を発表。レコード会社との契約に「バンドとしてのアルバム4枚、各メンバーのソロ・アルバムを出す」と言う条件があり、この時期は精力的な活動期間でもあった。この間には東京・銀座に『Smoky Studio』を設立。ジョニー吉長のソロ・アルバム『LOVE CHILD』がこけら落としとなり、Charのプロデュースによる他アーティストのアルバムも数多生まれた。

1985年、2度目のレコード会社移籍。東芝EMIに所属し、7月に日比谷野外音楽堂で、観客を入れず収録したミニ・アルバムを発表。この頃、単身で渡英して半年間を過ごす。バンド活動は年間で数回程度となる。

1986年3月、忌野清志郎とアニメ県立地球防衛軍のサウンドトラックとして『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で『S.F.』を発表。同年は『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』でのLIVEを学園祭や野外イベントで行った。

一度目のレーベル立ち上げ

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1988年 - 1997年、電話通販専門のインディーズレーベル「江戸屋Record」を運営。1988年6月、ソロ・アルバム『PSYCHE』を発表。6月7日には『JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で汐留PITにて久しぶりのLIVEを行う。会場では『PSYCHE』が先行発売され、9月にはLIVEの模様を収録した『1988,6,7 JOHNNY, LOUIS & CHAR』のタイトルでビデオも発表。以後『ピンククラウド』としての活動と並行して新たなユニットでの活動も始める。

1991年には、イベントがきっかけで組まれた石田長生とのアコースティック・デュオ『BAHO(馬呆)』名義で『TREMENDOUS』を発表。以降も不定期ではあるが活動を続けた。

1992年4月、『PSYCHEDELIX』を発表。これは『PSYCHE』発売時の1988年、ソロ・ライブを行う際に佐藤準アン・ルイスジム・コープリージャズ・ロッホリーと組んだ『Char & THE PSYCHEDELIX』が元となったバンド『PSYCHEDELIX』が制作した1枚目のフル・アルバムである。このバンドではフル・アルバムを3枚発表することになる。

1994年、『PINK CLOUD』解散。

1995年、『PSYCHEDELIX』の3枚目のフル・アルバム『Stand』の製作途中に、ベースのジャズ・ロッホリーが方向性の違い等から脱退。『PSYCHEDELIX』はCharとジムのユニットとなり、ベースは途中からCharが演奏している。

1996年、『PSYCHEDELIX』としてミニ・アルバム『Smoky』を発表。

1998年、Char自身もレコード会社をポリドール・レコードに移籍。2007年まで在籍しアルバム9作品(内、ベスト盤2枚、REMIX盤1枚も含む)をリリースした。

1999年、 『C,B&A(チャー・ボガートアピス)』で国内ツアーを敢行。

2002年、インスト・アルバム『Sacred Hills ~聖なる丘~』をロンドンにてレコーディング、

その際ジェフ・ベックの自宅スタジオにてセッションを行う。

2005年、プライベートスタジオでのアナログ・ワンマン・レコーディング・アルバム『天邪鬼Amano-Jack』リリース。

2006年、 布袋寅泰と“HOTEI vs Char”名義でコラボレーション・シングル「Stereocaster」を発表。

二度目のレーベル立ち上げ

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2010年、ネット販売専門の新レーベルZiccaを立ち上げ、自身のルーツをアレンジし収録したTRADROCKシリーズとして『Eric』『Jeff』『The B』『The V』『Jimmy』『Jimi』『Char By Char』を発表した。

それまで行ったりライブをした事の無い地方都市会場を主に不定期ではあるが『TRADROCK By Char』ツアーで各所を廻っている。また、現在イベントのみで活動するユニットで奥田民生山崎まさよしとの『3人の侍』(Samurai‐3)がある。

2011年RSRでは斉藤和義も加わり、『4人の侍』として登場した。

2015年  還暦アニバーサリー アルバム『ROCK 十』(ロックプラス)リリース。

干支に因んだ12名のアーティストに作詞作曲、提供を依頼した。

以下コラボアーティスト(敬称略)

同年 日本武道館にて還暦ライヴを開催。

アルバム「ROCK 十」参加のアーティストがサプライズで登場。

以下登場アーティスト(敬称略)

泉谷しげる、佐橋佳幸、布袋寅泰、ムッシュかまやつ、奥田民生、松任谷由実、佐藤タイジ、JESSE、福山雅治、山崎まさよし

ゲストに東京スカパラダイスオーケストラのホーン隊、OKAMOTO’S ベースのハマ・オカモト、ハウスバンドには佐橋佳幸福原美穂が参加。宮藤官九郎提供のVTRパートでは、阿部サダヲも出演。

2018年 Fender Custom Shopより、日本人初のプロファイルドシグネイチャーモデルとしてChar SignatureStratocastar CHAR 1959 STRATOCASTER® BURGUNDYを発売。「MASTERBUILT」と「CUSTOM BUILT」の2モデルを展開し、「MASTERBUILT」はフェンダー最上級の職人の一人であるマスタービルダー、ポール・ウォーラーによって限定20本作製。

2020年   FENDER × ZICCA

CHAR 2020 MUSTANG - Zicca Limited Model -をZICCA AX 限定発売。

基本色オリンピックホワイトに加え、

fender社がMUSTANGを発表した1964年には東京オリンピックが行われたことと、2020年東京オリンピック開催に因んだ5色のカラーバリエーションを展開。

2021年  初期3作に連なる4枚目のマスターピースとして、アルバム『Fret To Fret』をリリース。

日本武道館でデビュー45周年ライヴを開催

Char & Fender All Stars 名義の Fender 75th Anniversary Charity Project 、チャリティ・ソング「We Love Music」を発売。

2022年 5月には桑田佳祐からのオファーを受け「時代遅れのRock'n'Roll Band」のレコーディングに佐野元春世良公則野口五郎と共に参加した[4]。同年12月31日には同曲で『第73回NHK紅白歌合戦』に出場した[5]

同年 1976年デビュー・アルバム期のライヴ音源『CHAR LIVE 1976』をリリース。

2023年  全てを“独り”で手がけた“スタジオ・クラフトの結晶”ともいうべきインスト・アルバム『SOLILOQUY』リリース。

同年 多様な音楽性を飲み込み、トリオ・バンドによる表現の可能性を大きく広げた Johnny, Louis&CharPINK CLOUDのトリビュート アルバム『Afterword』をリリース。

2024年 澤田浩史(b)、柴田俊文(key)、タリー・ライアン(d)という新バンド編成で、過去の代表曲から2023年に発表された『SOLILOQUY』に収録されたナンバーまで“最新の表現”でパフォーマンスしたライブアルバム 『LIVEVIL』をリリース。

人物

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  • 「Char」の名前の由来は諸説あるが、本人談では「名前に「ひさ~」が付く人に多いみたい」と語られることが多い。
(例1 = 本名:「尚人(ひさと)」 → 「ちゃと」 → 「ちゃー」。例2 = 本名:「久子(ひさこ)」 → 「ちゃこ」 → 「ちゃー」)
  • ファッション・モデルだった妻のKanna S. McFaddinは、作詞家としてChar関連作品に数多くの歌詞を提供。
Char曰く『公私ともに共同作業者』と語ることも多い。
  • ロックバンド、RIZEThe BONEZJESSEは長男。
  • デビュー初期にはフェンダーのギター、ムスタングを使用。そのムスタングを手にしたのは偶然で、解体現場のアルバイトで貯めたお金で友人のカズ南沢より手に入れたストラトキャスター(塗装を剥いだナチュラル/ローズ)を盗まれてしまい、同じフェンダーを買いなおしたかったが当時は高くて買えず、アメリカン・スクールの友人宅のガレージセールで安くムスタングを見つけたからである(1964年製のwhite)。
  • Charのデビュー当時は『Charの使用ギター』として注目を集めたがアメリカで人気は低く、1977年 - 1978年に生産されたムスタングの多くは日本に輸入された。ムスタングは、ストラトキャスターより弦長の短いショートスケールのため、他のフェンダーギターより弾きやすく、代表曲「SMOKY」のDm9のヴォイシングなどは、ムスタングでなければ思いつかなかったかもしれないと語っている(Charは、前述の名前の由来やムスタングの話題のように、何度も答えて飽きている質問であったり、雑誌のインタビュアーが釈迦に説法をするような人物で気に入らない場合は、冗談や遊びの答えではぐらかすことがままある)。しかしながら、21世紀に入ってからはストラトキャスターの使用も以前と比較すると格段に多くなっており、時期によってはムスタングよりも多く使用している。
  • 2011年には米国フェンダー社とエンドースメント契約をし、Char Signature Stratocaster® "Charizma"が製作される運びになった[6]
  • さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)ではギターに夢中な少年少女の憧れの的として出演、アドバイスやセッションをしている。そのうちの二人が並木瑠璃山岸竜之介だった。
  • 高校時代の音楽仲間には、クリス・ペプラーがいた。
  • ジム・コウプリー(ドラム、元UPP)と一緒に活動することが多かったが、レコーディングで渡英した時にジムと親交のあるジェフ・ベックの家を訪問してセッションを行った。
  • 石井竜也と親交が深く、米米CLUBの活動初期の頃は事務所の一部を貸していたり、米米のデビュー前のライブに急遽ドラマーとして参加したことがあった。曲にクレジットはないが、米米CLUBのヒット曲「浪漫飛行」をアレンジしている。本人も石井と共演した際に度々「まだギャラ貰ってないぞ」と発言している[注 1]1991年、2人で覆面ユニット『P-SMOKE』としてミニ・アルバムを発表。(サントリーウイスキー『SMOKY』のCM曲として収録曲『ホワット・アー・ユー・アップ・トゥ・ネクスト』が使われた)。1996年には石井が監督を務めた映画『ACRI』に合わせた同名ユニットACRIも結成。フル・アルバム『ACRI』を発表。米米CLUB再結成のきっかけになったのが自身の誕生日パーティーだったこともあり、現在も石井のコンサートなどにも客演するなどしている。
  • 石田長生とのユニット、BAHOのライブは、他のアーティストをおちょくったり、世相を笑い飛ばすなど、終始笑いが絶えない。演奏でも、「かえるの合唱」をマジメに歌ったり、ザ・ベンチャーズの代表曲「ダイアモンド・ヘッド」がいつの間にか「マイム・マイム」に変わっているなど、ほとんどジョークのような演奏を繰り広げている。2人が1、3、5弦と2、4、6弦の三本ずつだけ張ったギターを持ち、ザ・ベンチャーズの楽曲を演奏するという芸をしたことがある。
  • 2015年6月2日徹子の部屋』(テレビ朝日系)に初出演。司会の黒柳徹子とはそれ以前に『ザ・ベストテン』(TBS系)でも共演経験がある(1978年5月4日放送にて「闘牛士」でスポットライトに出演した)。『徹子の部屋』でのトークにて、親交のある松任谷由実最終回の出演を希望していることを語った[7]

ディスコグラフィー

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シングル

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発売日 タイトル c/w
キャニオン・レコード / SEE-SAW
1st 1976年6月25日 NAVY BLUE SHININ' YOU, SHININ' DAY
2nd 1977年6月25日 気絶するほど悩ましい FURUETE NEMURE
3rd 1977年12月10日 逆光線 TOKYO NIGHT
4th 1978年3月25日 闘牛士 マドンナを堕落させよう
5th 1978年8月21日 GIRL TOMORROW IS COMING FOR ME
6th 1978年11月5日 BLUE CHRISTMAS THE LEADING OF THE LEAVING
ポリドール
7th 1998年8月1日 TODAY DAN DAN DANG
8th 1998年10月28日 LET IT BLOW YOU GOT THE MUSIC
9th 1999年2月24日 Touch my love again THRILL
10th 2000年2月2日 Share the wonder 11 years
Back then and Now
11th 2000年5月31日 R-1 (Route One) HOPE
12th 2001年10月24日 Long Distance Call Water Business
Second Hand Jam
ユニバーサルミュージック
13th 2002年6月26日 A FAIR WIND Sacred Hills
2004年11月1日 45 OVER DRIVE A Fair Wind
14th 2005年10月19日 PIANO Moon Light Serenade
15th 2006年5月3日 OSAMPO Cat Food

配信限定シングル

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発売日 タイトル
2017年4月2日 人間の証明のテーマ / EXILE ATSUSHI & Char
2021年6月16日 White Room (Live in Japan) / ジャック・ブルース, Char, 屋敷豪太
2021年11月10日 We Love Music feat. あいにゃん, INORAN, Ken, J, すぅ, TOMOMI, ハマ・オカモト, HARUNA, Michiya Haruhata, 日野 "JINO" 賢二, MAMI, MIYAVI, 山内総一郎 & Rei / Char & Fender All Stars

コラボレーション・シングル

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名義 発売日 タイトル c/w
東芝EMI
HOTEI vs Char 2006年11月8日 Stereocaster

アルバム

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オリジナル・アルバム

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発売日 タイトル
キャニオン・レコード / SEE-SAW
1st 1976年9月25日 Char
2nd 1977年11月 Char II have a wine
3rd 1978年8月10日 THRILL
4th 1981年2月 U.S.J
Vap
5th 1982年11月 MOON CHILD
江戸屋レコード
6th 1988年6月 Psyche
7th 1988年12月 PSYCHE II
ポリドール
8th 1999年3月31日 I'm gonna take this CHANCE
9th 2001年7月25日 BAMBOO JOINTS
ユニバーサルミュージック
10th 2002年9月25日 Sacred Hills 〜聖なる丘〜
11th 2003年11月26日 MR.70'S YOU SET ME FREE
12th 2005年12月7日 天邪鬼 Amano-Jack
ZICCA RECORDS
13th 2015年5月22日 ROCK+

ミニ・アルバム

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発売日 タイトル
江戸屋レコード
1st 1989年8月 WHEN I WAKE UP IN THE MORNING
2nd 1989年12月 BLACK SHOES
3rd 1994年6月22日 MUSTANG

ベスト・アルバム

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発売日 タイトル
キャニオン・レコード / SEE-SAW
1st 1982年7月 THE BEST OF Char
ポニーキャニオン
2nd 1987年12月5日 プレイバック・シリーズ Char
江戸屋レコード
3rd 1991年10月21日 FLASHBACK MEMORIES
4th 1993年9月1日 DAYS WENT BY 1988〜1993
ポニーキャニオン
5th 1996年11月21日 CHARACTER
BMGメディアジャパン
6th 1999年4月21日 CHAR EDOYA COLLECTION 1988-1997
7th 1999年12月16日 ALL AROUND ME 〜Char Plays Ballad〜
ユニバーサルミュージック
8th 2006年7月19日 SINGLES 1976-2005
ポニーキャニオン
9th 2011年5月18日 ゴールデン☆ベスト Char
10th 2013年6月19日 ザ・プレミアムベスト Char
11th 2014年11月19日 Light Mellow Char

ライブ・アルバム

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発売日 タイトル
江戸屋レコード
1st 1997年3月 Char Electric guitar Concert
ポリドール
2nd 2000年2月2日 CHAR PSYCHE 1988
3rd 2000年6月28日 Char played With and Without
ZICCA RECORDS
4th 2011年6月16日 TRADROCK“Char”by Char
5th 2012年4月26日 ZIG ZAG ZONE
6th 2012年4月26日 TRADROCK“Acoustic”by Char
7th 2013年10月2日 414 -Live at Hibiya Open Air Concert Hall-
8th 2015年11月27日 "Rock+" Eve -Live at Nippon Budokan

トリビュート・アルバム

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発売日 タイトル
ポニーキャニオン
1st 1997年6月18日 Psyche-Delicious

リミックス・アルバム

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発売日 タイトル
ポリドール
1st 1999年6月23日 Mix-Char

カバー・アルバム

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発売日 タイトル
ZICCA RECORDS
1st 2010年2月22日 Eric By Char
2nd 2010年3月21日 Jeff By Char
3rd 2010年4月28日 The B By Char
4th 2010年6月16日 The V By Char
5th 2010年11月28日 Jimmy By Char
6th 2010年12月21日 Jimi By Char

CD BOX

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発売日 タイトル
ZICCA RECORDS
1st 2012年10月26日 ZICCA PICKER 2012 vol.1〜vol.20
2nd 2014年1月25日 ZICCA PICKER 2014 vol.1〜vol.28
3rd 2016年7月23日 ZICCA PICKER 2016 vol.1〜vol.24
4th 2018年3月28日 ZICCA PICKER 2018 "TOHOKU" vol.1〜vol.6
5th 2018年7月20日 ZICCA PICKER 2017 "Acoustic" vol.1〜Vol.8
6th 2018年7月20日 ZICCA PICKER 2018

映像作品

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  1. 20th Anniversary〜Electric guitar Concert〜(1999年12月23日)
  2. THE CLIPS(2000年9月20日)
  3. LIVE IN NIPPON BUDOKAN 2001〜BAMBOO JOINTS〜(2002年2月21日)
  4. No Generation Gap(2004年7月7日)
  5. 彩気 Psyche(2005年10月26日)
  6. Amano-Jack Movin’ The documentary on studio work & Live tour of Char(2006年12月13日)
  7. ROCK+EVE LIVE AT NIPPON BUDOKAN(2015年11月27日)
  8. ROCK FREE CONCERT(2015年12月7日)

タイアップ曲

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楽曲 タイアップ
Touch my love again よみうりテレビ日本テレビ系『どっちの料理ショー』エンディングテーマ
Share the wonder maxell 企業CMソング
R-1 (Route One) ダイハツアトレーワゴン エアロダウンヒット』CMソング
HOPE Jスカイスポーツ 2000年サイクルロードレース世界4大会 イメージソング
Long Distance Call もしもし、ホットライン イメージソング
Round Trip ANA機内放送『White Room』テーマソング
Water Business ダノンevian』イメージソング
A FAIR WIND テレビ朝日系『ニュースステーション』オープニングテーマ
OSAMPO NHKみんなのうた
Stereocaster FMフェスティバル『LOCK ON ROCK』キャンペーンソング

参加作品

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出演

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テレビ

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テレビドラマ

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ラジオ

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CM

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脚注

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注釈

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  1. ^ この件については2008年6月3日に放送されたTV音楽番組THE M』(日本テレビ系)にて「浪漫飛行 制作秘話」的な再現VTRが流され、~メロディーが浮かんだ石井はCharに曲を聴いてもらうため、自宅を訪問
    石井:「米米には合わないかな?」
    Char:「今の米米にはこういう曲も必要なんじゃないの?」
    そして歌メロの~WOW WOW~はCharアイディアだった~とも語られた。石井は後からココに歌詞をつけるつもりだったが、「そのまんまでいいや。」とそのままにした~とも語られていた。

出典

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参考文献

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外部リンク

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