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神崎武雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神崎 武雄(かんざき たけお、1906年6月18日 - 1944年9月17日)は、日本の小説家。孫は漫画家押切蓮介(神崎良太)[1]

人物

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福岡県門司市(現・北九州市門司区)出身。早稲田大学中退後、都新聞東京新聞の前身紙)に入社[2]1940年新鷹会に入会し、『オール讀物1942年11月号に掲載された「寛容」は第16回直木賞を受賞した。

その後、海軍報道班員として南方シンガポールに派遣された。その最中の1944年6月に妻が出産後間もなくして亡くなったとの訃報が届き、海軍省から帰還命令が出て、空母「雲鷹」に便乗したが、9月17日に南シナ海でアメリカ軍潜水艦の雷撃を受けて沈没し、戦死した[3]

国柱会の信者であった[4]

脚注

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  1. ^ 新装版でろでろ刊行!押切蓮介がホラーギャグのルーツ語る”. 2013年12月26日閲覧。
  2. ^ 神崎武雄』 - コトバンク
  3. ^ 神崎政靖「三十年目に知った父の最後」、『日蓮主義』第5850号、国柱会、1976年9月、p.32-38。
  4. ^ 田中智学先生に影響を受けた人々

関連項目

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  • 田岡典夫(第16回直木賞を同時受賞した作家)