神宮茶室
神宮茶室(じんぐうちゃしつ)は三重県伊勢市の皇大神宮(伊勢神宮内宮)にある茶室である。「霽月」(せいげつ)という名がついている。
概要
[編集]宇治橋を渡った左手、神苑北端の五十鈴川と神宮司庁に囲まれた「紅葉苑」と呼ばれた地に建っている。
1974年(昭和49年)から1983年(昭和58年)まで財団法人伊勢神宮崇敬会の会長を務めた松下幸之助が、伊勢神宮の大宮司から茶室の寄付を依頼され戸惑った[1]ものの、茶室の献納を思い立ち、構想約10年を経過して実現した。 松下幸之助の米寿と松下電器産業グループの創業65周年を記念して、1983年3月に建設に着手、「300年保ち、歴史的遺産となるものを」という要望から[2]、約2年間の工期と総工費約10億円をかけて1985年(昭和60年)4月に完成した。
構成
[編集]真・行・草の3棟から構成される。
茶室の利用
[編集]内宮を訪れる賓客の接待や献茶式などで利用されるほか、伊勢神宮崇敬会の行事で年3回早朝参拝・神楽の奉納と共に神宮茶室での呈茶が行われる。 また、年2回行われる春・秋の神楽祭期間中、茶庭からの外観と大腰掛待合が一般に無料公開されている(ただし、雨天中止)。
沿革
[編集]- 1980年(昭和55年) - 松下幸之助が神宮に茶室献納を提案
- 1981年(昭和56年) - 神宮大宮司二條弼基が松下に建設候補地を提示
- 1982年(昭和57年)3月20日 - 敷地測量・調査を開始
- 1983年(昭和58年)
- 1985年(昭和60年)
- 4月11日 - 竣工式
竣工式
[編集]1985年4月11日の竣工式には、神宮少宮司慶光院俊、松下電器産業の社長であった山下俊彦を始めグループ関係者、茶道家元会会長代理で裏千家家元代理の千宗之・容子(まさこ)夫妻、 伊勢市長の水谷光男らが出席、工事の完成に感謝して玉串を奉納、茶室の目録が神宮側に贈呈され、テープカットと茶室「霽月(せいげつ)」の除幕式が行われた。
工事概要
[編集]工事データ
[編集]- 建物名称 - 神宮茶室
- 所在地 - 三重県伊勢市宇治館町字上館1番地
- 敷地面積 - 1,853.83 m2
- 建築面積・構造
- 茶室 - 354.3 m2 木造平家建
- 大腰掛待合 - 15.14 m2 木造平家建
- ポンプ小屋 - 10.41 m2 コンクリート造(一部木造)平家建
- 外便所 - 3.67 m2 木造平家建
工事関連業者
[編集]- 監理者 - 松下興産
- 設計者
- 施工者
松下幸之助が献納・寄贈した茶室
[編集]松下幸之助は生前、京都東山の松下の別邸「真々庵」のほか、松下電器産業や松下政経塾など自身が関係した施設に茶室を建設。 神宮以外にも日本全国各地に以下のような茶室を寄贈している[3]。 松下の名にちなみ松の字が使われているところが多い。
- 1962年(昭和37年) - 松庵 (京都美術倶楽部、京都市東山区)
- 1963年(昭和38年) - 芦鶴庵 (岡公園、和歌山県和歌山市)
- 1965年(昭和40年)
- 1967年(昭和42年) - 宝松庵 (京都国際会議場、京都市左京区)
- 1968年(昭和43年) - 松寿庵 (中尊寺、岩手県西磐井郡平泉町)
- 1969年(昭和44年) - 豊松庵 (大阪城公園西の丸庭園、大阪市中央区)
- 1970年(昭和45年) - 和松庵 (四天王寺本坊庭園、大阪市天王寺区)
- 1973年(昭和48年) - 廣知庵 (ホテルプラザ、大阪市北区)
- 1974年(昭和49年) - 紅松庵 (和歌山城西之丸庭園 (紅葉渓庭園)、和歌山県和歌山市)
- 1975年(昭和50年) - 鈴松庵 (椿大神社、三重県鈴鹿市)
- 1976年(昭和51年)
- 1978年(昭和53年) - 峯松庵 (古峯神社、栃木県鹿沼市)
脚注
[編集]- ^ “松下幸之助とお茶”. 松下資料館(公益財団法人 松下社会科学振興財団). 2020年1月14日閲覧。
- ^ “特集・神宮茶室で和敬静寂のひととき”. 神宮会館崇敬会. 2014年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月2日閲覧。
- ^ “中尊寺に寄付された茶室・松寿庵――PHP活動〈41〉”. PHP研究所. 2020年1月14日閲覧。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『神宮茶室造営工事覚帖』、 松下電器産業編著、 1985年。
- 『昭和の会所 - 伊勢神宮茶室 霽月』<住宅建築別冊>-28、 和風建築社編、 建築資料研究社、 1987年。
- 「立派な茶室が献納されます - 松下幸之助氏が米寿を記念して」『瑞垣』 第130号、46p、神宮司庁編、 1983年8月。
- 「神宮茶室が完成-10億円、伝統文化の粋集め」『伊勢新聞』1985年4月12日、11面。