山下俊彦
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やました としひこ 山下 俊彦 | |
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生誕 |
1919年7月18日 大阪府 |
死没 | 2012年2月28日(92歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 大阪市立泉尾工業学校卒業 |
山下 俊彦(やました としひこ、1919年7月18日 ‐ 2012年2月28日)は、日本の実業家。松下電器産業(現在のパナソニック)の3代目社長。
大阪府出身[1]。位階は従三位。大阪市立泉尾工業学校卒業[2][3]。
実業学校卒の叩き上げで、創業者・松下幸之助による異例の大抜擢を受けて取締役26名中序列25番目から社長に就任した[4][5]。この抜擢人事は、体操選手の山下治広が披露した跳馬の技にちなんで「山下跳び」と呼ばれた[6]。
1991年から1995年まで日本社会人団体馬術連盟の会長も務めた。
略歴
[編集]- 1938年 - 松下電器産業に入社[2][3]。
- 1948年 - 退社[7]。
- 1956年 - 松下電子工業に復帰[7][8]。
- 1962年 - 関連会社のウエスト電気に常務取締役として出向[9]。
- 1965年 - 松下電器産業冷機事業部長に就任[10]。
- 1974年2月 - 松下電器産業取締役に就任[11]。
- 1977年2月 - 松下電器産業株式会社 社長に就任[12][13]。
- 1986年2月 - 社長退任[14][13]。取締役相談役[13]。
- 1990年 - 勲一等瑞宝章を受章。
- 1995年 - 相談役[15]。
- 1999年7月 - 特別顧問[15]。
- 2012年2月28日 - 老衰のため死去[16]。92歳没。叙・従三位
関連書籍
[編集]- 高多清在 『山下俊彦が語る人が育ついい話』山下俊彦(談) 中経出版 1992年 ISBN 978-4806106111。
脚註
[編集]- ^ 山下(1987) 36ページ
- ^ a b 山下(1987) 38ページ
- ^ a b 北 334ページ
- ^ コッター 217ページ
- ^ “山下俊彦氏が死去 元松下電器産業(現パナソニック)社長”. 日本経済新聞. (2012年3月1日) 2014年3月20日閲覧。
- ^ 北 335ページ
- ^ a b 山下(1987) 40ページ
- ^ “【時代のリーダー】山下俊彦・松下電器産業相談役”. 日経ビジネスオンライン. (2009年2月5日) 2014年3月20日閲覧。
- ^ 山下(1987) 45ページ
- ^ 山下(1987) 49ページ
- ^ 山下(1987) 56ページ
- ^ 立石 254ページ
- ^ a b c 山下(1987) 241ページ
- ^ 立石 302ページ
- ^ a b 「訃報:山下俊彦さん死去…元松下電器社長、92歳」 『毎日新聞』、2012年3月1日
- ^ “松下電器元社長の山下俊彦氏死去 抜てき人事「山下跳び」”. 共同通信. (2012年3月1日) 2014年3月20日閲覧。
参考文献
[編集]- ジョン・P・コッター 著、高橋啓 訳『幸之助論 「経営の神様」松下幸之助の物語』金井壽宏監訳、ダイヤモンド社、2008年。ISBN 9784478003121。
- 北康利『同行二人 松下幸之助と歩む旅』PHP研究所、2008年。ISBN 9784569697994。
- 山下俊彦『ぼくでも社長が務まった』東洋経済新報社、1987年。ISBN 9784492220825。
- 立石泰則『復讐する神話 松下幸之助の昭和史』文藝春秋〈文春文庫〉、1992年。ISBN 4167221020。
- 岩瀬達哉『ドキュメント パナソニック人事抗争史』講談社、2015年。ISBN 4062194708。
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