石飛文太
島根県立大社高等学校硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 島根県出雲市湖陵町 |
生年月日 | 1981年(42 - 43歳) |
選手情報 | |
ポジション | 内野手(二塁手) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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石飛 文太(いしとび ぶんた、1981年 - )は、島根県出雲市湖陵町出身の高校野球指導者[1]。島根県立大社高等学校国語科教諭[1]。
経歴
[編集]小学校3年時に地元の「湖陵スポーツ少年団」で野球を始める[2]。小学校5年時に第74回全国高等学校野球選手権大会に大社高校が出場し、地元の先輩がメンバーで名を連ねていた事から大社高校野球部に憧れを持つようになった[2]。
湖陵中学校を経て、大社高校に入学[2]。3年夏は主将として背番号4を背負いプレーし、島根県大会準々決勝まで勝ち進むも石飛は同試合には出場せずにランナーコーチャーとしてグラウンドに立った[2]。試合は江の川高校に敗退し、甲子園の出場は叶わなかった[2]。
高校卒業後は、兵庫県姫路市の姫路獨協大学教育学部に進学[3]。大学時代は準硬式野球部に所属[1]。大学在学時に中学校と高校の国語科教員免許を取得[3]。
大学卒業後は島根県に戻り、地元の出雲西高校でコーチや部長を務める[4]。
2011年に母校の大社高校に講師として赴任し、翌2012年には国語科教諭として採用[1]。野球部ではコーチを務めた[1]。
大社高校で5年間勤務した後、異動で他校の卓球部顧問を務め、2020年に大社高校に再び赴任し、野球部部長を務める[5]。同年秋からは監督に就任[6]。
監督として初めての夏の2021年は順調に勝ち上がり決勝まで進むも石見智翠館高校に敗退[6]。なおこの試合では後にプロ野球選手となる、石見智翠館高校のエース・山崎琢磨に島根県大会の決勝では初となる無安打無得点を記録されている[6]。
2024年夏は島根県大会で優勝し、第106回全国高等学校野球選手権大会に出場。32年ぶり9回目で石飛自身としては初の甲子園大会出場となった。同大会では初戦で同年選抜準優勝でエース・今朝丸裕喜擁する報徳学園高校、その後も創成館高校、早稲田実業学校高等部等の注目校を打ち破り、その快進撃から「大社旋風」として全国を沸かした[7]。準々決勝まで進むも神村学園高等部に敗退[7]。
人物
[編集]- 2024年夏の甲子園の大社旋風を受けて、お笑いコンビ・ダンビラムーチョのボケ担当・大原優一に似ていると話題となり、大原自身もXにおいて似ていると連絡が来ることを投稿している[8]。また、ダンビラムーチョのYouTubeチャンネルに石飛と大原が似ている点に触れたコント動画を投稿している。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “「大社で甲子園を目指すことが、無限大の地元愛」甲子園8強の石飛文太監督(43)”. 読売新聞. (2024年11月18日) 2024年12月7日閲覧。
- ^ a b c d e “大社高校野球部監督・石飛文太 出場なかった「最後の試合」、悔しさ胸に教師に 鬼軍曹から対話重視へ STAGE~私の現在地(中)~”. 山陰中央新報. (2024年9月13日) 2024年12月7日閲覧。
- ^ a b “大社高校野球部監督・石飛文太 国語教師として気づいた指導法 野球と同じ「自分がどうしたいかだよ」 STAGE~私の現在地(上)~”. 山陰中央新報. (2024年9月13日) 2024年12月7日閲覧。
- ^ “神話旋風…大社高・石飛文太監督は「ハートの熱い人」 夏の甲子園”. 毎日新聞. (2024年8月19日) 2024年12月7日閲覧。
- ^ “大社の監督・石飛文太(42歳)とは何者か?「文ちゃんの高校時代なあ…プレーの印象ないな」“あの神バント”安松大希が地元記者に語った「ある言葉」”. ナンバー. (2024年8月19日) 2024年12月7日閲覧。
- ^ a b c “膝をつき、流れる万感の涙…32年ぶりの甲子園へ 大社・石飛文太監督を巡るエピソード 高校野球島根大会【コータの野球ざんまい 第66回】”. 山陰中央新報. (2024年7月29日) 2024年12月7日閲覧。
- ^ a b “大社ナイン 堂々の帰校 全国に旋風 350人出迎え”. 山陰中央新報. (2024年8月21日) 2024年12月7日閲覧。
- ^ “元高校球児のダンビラムーチョ・大原「似てると言う連絡が…」甲子園出場中の指揮官にそっくり!?”. スポニチアネックス. (2024年8月16日) 2024年12月7日閲覧。