真珠港駅
真珠港駅 | |
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駅跡(2016年5月) | |
しんじゅこう Shinjukō | |
◄賢島 (0.3 km) | |
北東に賢島駅、その南に賢島港 | |
所在地 |
三重県志摩郡阿児町神明 (現・志摩市阿児町神明) |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
所属路線 | 志摩線 |
キロ程 | 24.8 km(鳥羽起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)7月23日 |
廃止年月日 | 1969年(昭和44年)7月1日 |
備考 | 貨物駅 |
真珠港駅(しんじゅこうえき)は、かつて三重県志摩郡阿児町神明(現・志摩市阿児町神明)にあった近畿日本鉄道志摩線の駅(廃駅)である。当駅は賢島にある[1]英虞湾に面した貨物駅であり[2]、志摩線の終着駅であった[3]。
歴史
[編集]1929年(昭和4年)7月、賢島駅から0.3 kmのところに開業する[4]。当時の運行事業者は志摩電気鉄道(志摩電鉄)であり、鳥羽で参宮線に貨車が乗り入れできるよう、軌間は狭軌(1067 mm)で建設された[2]。志摩電鉄は真珠養殖資材の輸送により成長を遂げ[5]、賢島は真珠養殖資材基地となった[6]。真珠港駅は当初から貨物駅であり[7]、賢島駅ですべての乗客を降ろし、そのまま真珠養殖資材を載せた貨車を引いて真珠港駅へ向かう姿が廃止となるまで見られた[8]。
戦後、三重県の真珠産業は活況を呈し、長年真珠収量日本一の座を保った[5]。しかし密殖による病気の発生、水質汚染、世界的な真珠価格の暴落を背景に[5]、志摩地方の真珠養殖業は1965年(昭和40年)頃から斜陽化していく[6]。これにより真珠養殖資材基地としての賢島の役割は失われ[6]、志摩電鉄を引き継いだ三重交通は貨物輸送の不振で鉄道部門の経営が悪化し、他の路線と共に近畿日本鉄道へ志摩線を譲渡した[5]。
志摩線を譲り受けた近畿日本鉄道は志摩地方の観光地としての潜在力を認知しており[5]、1964年(昭和39年)6月、社内に「伊勢志摩開発委員会」を設置し「伊勢志摩総合開発計画」を策定した[9]。同計画では鳥羽地区と志摩地区での開発を企画し、特に志摩を重視した[9]。そして1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)に合わせて名古屋・大阪方面から志摩線へ近鉄特急の直通運転を実施することとなり、志摩線の軌間を標準軌(1435 mm)に改めることとなった[2]。これにより、国鉄貨車との相互乗り入れが不可能となることから、賢島 - 真珠港間は存在意義を失って1969年(昭和44年)7月1日に廃止された[4][10]。真珠港駅の廃止と同時に、志摩線を行く貨車も姿を消した[8]。
廃駅後
[編集]駅としては廃止されたものの、しばらくは車両の留置線として存続した[11](賢島車庫[12])。この留置線は賢島駅構内という扱いで[13]、賢島駅改良工事の際に、特急列車ホームより一段下がったところにあった普通列車ホームを特急列車ホーム側へ移設する工事に伴って1993年(平成5年)に撤去された[12]。
1997年(平成9年)時点では賢島駅南口から廃線跡の細長い草むらが海へ向かって伸びており、真珠港駅跡は空地となっていた[11]。また付近の「急傾斜地崩壊危険区域」の看板には廃線となった区間が描かれたまま残っていた[11]。2003年(平成15年)7月16日には賢島 - 真珠港間の廃線跡に沿った阿児町道(現・志摩市道)に地元のボランティア団体「好きです賢島里の会」がツツジ100株とハナスベリヒユ250株を植栽した[14]。2014年(平成26年)時点で鉄道遺構を現地で確認することができなくなっており[15]、2016年(平成28年)時点で真珠港駅跡は駐車場と化した[12]。
2016年(平成28年)3月、「賢島今昔物語第2弾」と題した企画展が志摩市歴史民俗資料館で開催され、その中の展示の1つとして営業当時の真珠港駅とその跡地を比較した写真が公開された[16]。
年表
[編集]- 1929年(昭和4年)7月23日:志摩電気鉄道の鳥羽 - 当駅間開通時に開業[17][18]。
- 1944年(昭和19年)2月11日:志摩電気鉄道ほか6社が合併、三重交通が発足し同社志摩線の駅となる[19]。
- 1964年(昭和39年)2月1日:三重交通の鉄道事業が三重電気鉄道に分離譲渡され、同社の駅となる[20]。
- 1965年(昭和40年)4月1日:近畿日本鉄道との合併により同社の駅となる[20]。
- 1969年(昭和44年)7月1日:賢島 - 当駅間廃止に伴い廃駅[10]。
利用状況
[編集]真珠養殖資材の積み下ろし[8]、水産物の出荷などに利用された[2]。
年度 | 発送(t) | 到着(t) | 収入(千円) |
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1958年[21] | 1,574.0 | 5,258.0 | データなし |
1967年[22] | データなし | 137 | |
1968年[23] | データなし | 0 | |
1969年[24] | データなし | 29 |
脚注
[編集]- ^ 小寺美保子「ひとえきがたり 賢島駅(三重県、近鉄志摩線)志摩の玄関口、サミットに期待」朝日新聞2015年9月18日付夕刊、be火曜5ページ
- ^ a b c d 浅野(1997):104ページ
- ^ 「賢島今昔 サミットの舞台 ◇1◇ 賢島駅 三角屋根の"終着駅"」中日新聞2016年5月10日付朝刊、伊勢志摩版16ページ
- ^ a b 近畿日本鉄道株式会社(2010):386ページ
- ^ a b c d e 野田(1997):175ページ
- ^ a b c 阿児町 編(1977):149ページ
- ^ 荻野好弘"サミット候補地 賢島を知ろう 志摩で「今昔展」繁栄の歴史紹介"朝日新聞2015年6月5日付朝刊、三重版29ページ
- ^ a b c 平井一敏「みえ駅ものがたり 近鉄志摩線 賢島 『海の軽井沢』目指す 改札横に真珠2万個で海表現」中日新聞2009年4月15日付朝刊、三重版18ページ
- ^ a b 近畿日本鉄道株式会社(2010):316ページ
- ^ a b 浅野(1997):104 - 105ページ
- ^ a b c 浅野(1997):105ページ
- ^ a b c 安田(2016):44ページ
- ^ 近畿日本鉄道株式会社(2010):436 - 437ページ
- ^ 築山栄太郎「道路の草刈り、清掃、植栽 ボランティア活動に町支援 阿児 推進事業スタート」中日新聞2003年7月17日付朝刊、伊勢志摩版18ページ
- ^ 原口(2014):12ページ
- ^ 安永陽佑「賢島の今昔 再びたどる 志摩市資料館で写真展」中日新聞2016年3月2日付朝刊、広域三重19ページ
- ^ 曽根 監修(2010):19ページ
- ^ 『官報 第776号(昭和4年7月31日) 地方鉄道運輸開始』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 曽根 監修(2010):19, 21ページ
- ^ a b 曽根 監修(2010):19, 22ページ
- ^ “昭和33年度 私鉄旅客・貨物輸送状況(三重交通)”. 『昭和33年 三重県統計書』. 三重県総務部統計課 (1961年3月). 2016年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月31日閲覧。
- ^ “132.各駅別私鉄旅客貨物輸送状況”. 『昭和42年 三重県統計書』. 三重県企画部統計課・三重県統計協会 (1969年3月). 2016年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月31日閲覧。
- ^ “151.各駅別私鉄旅客貨物輸送状況”. 『昭和43年 三重県統計書』. 三重県企画部統計課 (1970年3月). 2016年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月31日閲覧。
- ^ “123.各駅別私鉄旅客貨物輸送状況”. 『昭和44年 三重県統計書』. 三重県企画部統計課 (1971年3月). 2016年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月31日閲覧。
参考文献
[編集]- 阿児町 編『阿児町史』阿児町企画環境課、1977年4月、723p. 全国書誌番号:77007104
- 浅野明彦(1997)"近畿日本鉄道志摩線旧線【白木〜五知、志摩磯部〜志摩横山、賢島〜真珠港】"宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くⅣ』(JTBキャンブックス、JTB、1997年12月、223p. ISBN 4-533-02857-8):104-105.
- 近畿日本鉄道株式会社 『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』 近畿日本鉄道、2010年12月、895p. 全国書誌番号:21906373
- 曽根悟 監修『週刊 歴史でめぐる 鉄道全路線 大手私鉄NO.02 近畿日本鉄道①』朝日新聞出版、2010年8月22日、34p. ISBN 978-4-02-340132-7
- 野田哲広(1997)"三重県志摩地方における観光地域の形成―阿児町神明地区を事例として―"金沢大学文学部地理学報告.8:175-176.
- 原口隆行(2014)"厳選! 愛されステーション2 賢島"『週刊私鉄全駅・全車両基地 No.06 近畿日本鉄道②』(朝日新聞出版、2014年1月26日、35p. 全国書誌番号:22347638).12p.
- 安田就視『昭和の終着駅 関西篇 写真に辿るなつかしの終着駅』鉄ぶらブックス010、交通新聞社、2016年3月29日、144p. ISBN 978-4-330-66016-5
関連項目
[編集]外部リンク
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- 近鉄 志摩線 - 留置線時代の写真が掲載されている。