白山殖産
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒557-0062 大阪府大阪市西成区津守2-3-23 |
業種 | 不動産業 |
法人番号 | 4120001003548 |
代表者 | 白山 隆 |
資本金 | 1億円 |
純利益 |
9億8300万円 (2021年03月31日時点)[1] |
総資産 |
201億4200万円 (2021年03月31日時点)[1] |
従業員数 | 10人 (2018 年度) |
決算期 | 3月31日 |
白山殖産株式会社(しらやましょくさん-、英: Shirayama Shokusan Company Limited)は、大阪市西成区津守に本社を置く不動産会社である。
英国において旧グレーター・ロンドン・カウンシル(大ロンドン議会)庁舎のロンドン・カウンティ・ホールを買収し、所有している。
概要
[編集]白山家は江戸時代より津守新田の経営を行っており、近代になってからは津守の大地主として、白山殖産を設立し不動産業(都市開発)を営んでいる。
歴史
[編集]1637年(寛永14年)に淡路島にある白山神社の宮司の弟が、大坂瓦町の炭問屋である炭屋久右衛門の養子になり、炭屋五郎兵衛(すみやごろうべい、1690年死去)と改名し、炭問屋から廻船問屋へ業容を拡大したのが、白山家の始まりである[2]。2代目炭屋五郎兵衛(1721年死去)により廻船問屋への移行が進み、更に3代目炭屋五郎兵衛の時代には両替商へ転身し、1761年(宝暦11年)には江戸幕府より御用金1万両を命ぜられるほどに財をなしていた[3]。4代目炭屋五郎兵衛(1785年死去)は幕府より大坂所払いの処分を受け堺に移り、白山清右衛門(しろやまきちうえもん)に改名し、医術を学び、白山大中と改名し医院を開業する。その後1783年(天明3年)に処分が解け大坂に戻るが、妻が津守新田開発をしていた豪商の袴屋弥右衛門の娘である縁より、1784年(天明4年)に津守新田を譲渡され[4]、以後新田経営を行っていく[5][6]。
江戸末期には、主たる事業を札差から新田開発、都市開発といった不動産業へ移行し、1921年(大正10年)には白山殖産株式会社が設立される[7]。
その後は海外にも進出しており、1993年には廃止されたグレーター・ロンドン・カウンシル(大ロンドン議会)庁舎のロンドン・カウンティ・ホールを買収した[8][9]。また、2007年(平成19年)には特許分析・調査を事業とする株式会社パテント・リザルトを設立するなど、事業の多角化も行われている。
拠点・事業
[編集]白山殖産
[編集]子会社
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 白山殖産株式会社 第101期決算公告
- ^ http://osaka-asobo.jp/course/pdf/m/open/i/164
- ^ https://ameblo.jp/i-nakamuraya/entry-10760789122.html
- ^ 大阪市立図書館 (2013年3月31日). “津守新田の開発について”. 西成区に関するよくある質問と回答. 2013年11月23日閲覧。
- ^ http://blhrri.org/kenkyu/burakushi/burakushi_shiryo11.htm
- ^ 白山殖産『白山家のあゆみ』1984年4月。NCID BA61986773。に詳しい
- ^ http://www.patentresult.co.jp/about-us.html
- ^ http://www.official-documents.gov.uk/document/hc9495/hc03/0314/0314.pdf
- ^ なお、カウンティ・ホールの賃料収入をオランダ子会社に移して所得隠しをしたとして、2002年には大阪国税局から追徴課税を受けている。“白山殖産が9億円所得隠し 旧ロンドン市庁舎所有業者”. 47NEWS. 共同通信: 共同ニュース. (2002年10月2日) 2013年11月23日閲覧。
- ^ http://www.erest.co.jp/company.html
- ^ http://www.patentresult.co.jp