コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田村村顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
田村村顕
時代 江戸時代中期
生誕 宝永4年5月24日1707年6月23日
死没 宝暦5年8月3日1755年9月8日
改名 喜七郎・弁之助(幼名)、典顕(初名)、村顕
戒名 霊鳳院殿故左京兆尹性海玄理大居士
墓所 東京都港区高輪東禅寺
官位 従五位下隠岐守左京大夫
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重
陸奥一関藩
氏族 伊達氏(宇和島伊達家)→田村氏
父母 父:伊達宗贇、母:中里氏
養父:田村誠顕
兄弟 伊達宗相、曽智、岩次郎、伊達村年村顕、初、民、百助、桑折宗恒、清、長、久米、悦、幾久
田村誠顕の三女・
女子4人
養子:村隆
テンプレートを表示

田村 村顕(たむら むらあき)は、江戸時代中期の大名陸奥国一関藩の第3代藩主。官位従五位下隠岐守左京大夫

略歴

[編集]

宝永4年(1707年)5月24日、伊予国宇和島藩の第3代藩主・伊達宗贇の次男として宇和島にて誕生した。享保11年(1726年)10月に田村誠顕の養子となり、翌年に誠顕が死去したために跡を継いだ。従兄(父・宗贇の兄・綱村の子)で仙台藩主・伊達吉村から偏諱を受け村顕と名乗る。

藩政に見るべきところはないが、鷹狩や狩猟を好んだと言われている。宝暦5年(1755年)8月3日に死去した。享年49。子は女児しかいなかったため、吉村の五男・村隆が養子となって家督を継いだ。

系譜

[編集]

父母

正室

子女

  • 娘4人

養子、養女