伊達村定
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享4年4月25日(1687年6月4日) |
死没 | 享保8年10月20日(1723年11月17日) |
改名 | 卯之吉(幼名)、村定 |
別名 | 源五郎、兵庫(通称) |
戒名 | 龍章院寛海惟巌大居士 |
墓所 | 宮城県遠田郡涌谷町の見龍寺 |
主君 | 伊達吉村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 涌谷伊達氏 |
父母 | 伊達村元、伊達綱宗次女・類姫 |
兄弟 | 村定、村景、安子 |
妻 |
泉田虎時娘 側室 |
子 | 涼、愛、村盛、村胤、園ら |
伊達 村定(だて むらさだ)は、江戸時代中期の武士。陸奥国仙台藩一門第四席・涌谷伊達家5代(亘理氏23代)当主。
略歴
[編集]貞享4年(1687年)、伊達村元の子として誕生。仙台藩4代藩主・伊達綱村の偏諱を受け村定と名乗る。
父の跡を継いで涌谷伊達家の当主となるが、家督を相続して僅か5年後の享保8年(1723年)に死去。享年37。跡は長男・村盛が継いだ。
系譜
[編集]偏諱を受けた人物
[編集]関連項目
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