伊達村盛
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳5年6月15日(1715年7月15日) |
死没 | 享保21年3月13日(1736年4月23日) |
改名 | 村重(初名)、村盛 |
別名 | 三郎、安芸 |
戒名 | 泰陽院春巌慈光大居士 |
墓所 | 宮城県遠田郡涌谷町の見龍寺 |
主君 | 伊達吉村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 涌谷伊達氏 |
父母 | 伊達村定、泉田虎時娘 |
兄弟 | 涼、愛、村盛、村胤、園ら |
妻 | 中村成義娘 |
子 |
順姫 村胤 |
伊達 村盛(だて むらもり)は、江戸時代中期の武士。陸奥国仙台藩一門第四席・涌谷伊達家6代(亘理氏24代)当主。
略歴
[編集]正徳5年(1715年)、伊達村定の子として誕生。享保2年(1717年)1月24日、父に伴われて仙台藩5代藩主・伊達吉村に謁見する。
享保4年(1719年)2月25日、母(泉田虎時の娘)が病死する。享保8年(1723年)12月15日、父が没すると家督を継ぐが、まだ9歳ということもあり、仙台藩より目付が政務を代行する。享保9年(1724年)10月7日、元服のため伊達吉村に謁見し、偏諱を受けて村重(むらしげ)と改め、安芸を称する。しかし同年12月18日、名を村盛と改めた。享保16年(1731年)8月28日、中村成義の娘を妻に迎えて、一女をもうける。
享保21年(1736年)3月13日、死去。享年22。
系譜
[編集]偏諱を受けた人物
[編集]- 村盛時代
関連項目
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