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2023年5月31日 (水) 08:01時点における版
13時ショー | |
---|---|
ジャンル | ワイドショー |
司会者 |
黒柳徹子 三本和彦 高井正憲 棟方宏一 |
言語 | 日本語 |
製作 | |
プロデューサー | 中島力 |
制作 | NETテレビ |
放送 | |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
番組開始から1975年3月まで | |
放送期間 | 1972年10月2日 - 1975年3月28日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 13:00 - 13:55 |
放送分 | 55分 |
1975年4月から最終回まで | |
放送期間 | 1975年3月31日 - 1976年1月30日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 13:15 - 13:55 |
放送分 | 40分 |
番組年表 | |
次作 | 徹子の部屋 |
『13時ショー』(じゅうさんじショー)は、1972年10月2日[1]から1976年1月30日[1]までNET(現・テレビ朝日)系列で放送されたワイドショー。
概要
当時NETでは、昼12:00から『アフタヌーンショー』に当番組とワイドショーが2本連続で放送されていた。『アフタヌーンショー』は報道・芸能情報色の強い内容だったが、この『13時ショー』はゲストを招いてのトークショー形式だった。
番組内容では1つのテーマに限定することが基本であった[2]。
メイン司会はNY留学から帰国直後の黒柳徹子。サブ司会者は開始当初は自動車評論家の三本和彦とNETアナウンサー(当時)の高井正憲が担当したが、1973年4月からは高井の先輩アナウンサーである棟方宏一が高井に代わって司会陣に参加、同年10月からは三本の降板により黒柳・棟方のコンビで司会進行を担当した。
放送時間は当初13:00-13:55の55分枠だったが、1975年3月31日より「腸捻転解消」で朝日放送の『シャボン玉プレゼント』を13:00-13:15に編成し、40分番組に短縮された。この番組のノウハウを活かし1976年2月2日に放送を開始したのが、長寿番組『徹子の部屋』である。
放送時間
期間 | 放送時間(日本時間) | |
---|---|---|
1972.10.02 | 1975.03.28 | 月曜 - 金曜 13:00 - 13:55(55分) |
1975.03.31 | 1976.01.30 | 月曜 - 金曜 13:15 - 13:55(40分) |
ネット局
系列局および局名・放送対象地域は放送当時のもの
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | NETテレビ | NETテレビ系列 | 制作局 |
北海道 | 北海道テレビ放送(HTB) | ||
宮城県 | 東日本放送(KHB) | 1975年10月開局から | |
中京広域圏 | 中京テレビ放送(CTV) | NETテレビ系列
日本テレビ系列 |
1973年3月30日まで |
名古屋テレビ(NBN) | NETテレビ系列 | 1973年4月2日から | |
近畿広域圏 | 毎日放送(MBS) | 1975年3月28日まで | |
朝日放送(ABC) | 1975年3月31日から
現・朝日放送テレビ | ||
岡山県 | テレビ岡山(OHK)1 | フジテレビ系列
NETテレビ系列 |
正式社名および現在の通称は岡山放送
現・フジテレビ系列 |
広島県 | 広島ホームテレビ(UHT) | NETテレビ系列 | 現略称・HOME |
香川県 | 瀬戸内海放送(KSB)1 | ||
福岡県 | 九州朝日放送(KBC) | ||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ放送(KTS) | 日本テレビ系列
フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
現・フジテレビ系列 |
スタッフ
- プロデューサー:中島力
エピソード
- 1975年8月30日に同局系の土曜昼番組『土曜ショー』で放送された「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」に、当時福岡から上京し、漫画家の赤塚不二夫宅に居候していたタモリが出演し(同番組がタモリ自身初のテレビ出演、かつ芸能界デビュー作でもある)、その番組を黒柳が偶然視聴して、タモリに興味を持ったことがきっかけとなり、翌9月にこの番組で放送された「珍芸スターお笑い大行進」にて、実際にタモリが出演することとなる(もちろん赤塚も一緒に出演した)[3][4]。これが、後年の『徹子の部屋』におけるタモリの年末恒例出演(1978年 - 2013年・2021年)へも繋がることとなる。
- 2019年9月27日に現・テレビ朝日系で放送された『徹子の部屋SP TVエンタメ伝説の名場面史』にて、黒柳が所有していた当番組のビデオ映像を放送[5]、最終回映像ではエンディング(「13時ショー おわり」のエンドテロップあり)後に『徹子の部屋』予告編[6]も放送された。
- なお、本番組の後番組である『徹子の部屋』に三本・高井・棟方がゲスト出演したかどうかは不明である。
脚注
- ^ a b 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、409頁。NDLJP:12276014/491。
- ^ 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、185頁。NDLJP:12276014/267。
- ^ “タモリは無名時代に黒柳徹子に「徹子の部屋」に呼ばれていた!”. こいもうさぎのブログ. 2021年11月30日閲覧。
- ^ “「『大タモリ年表』第2弾公開」タモリのデビューと『徹子の部屋』”. てれびのスキマ (2014年3月20日). 2021年10月15日閲覧。
- ^ テレビ朝日には当番組のVTRは存在しなかった。
- ^ 当時の番組宣伝CMは基本的にフィルム映像であった。なお、この映像には1977年3月まで『徹子の部屋』のワンコーナーだったクイズコーナー「フラッシュクイズ」(担当:ラビット関根(現・関根勤))も収められている。
関連項目
NET系列 平日13時台(1972年10月2日-1975年3月28日) | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
13時ショー
|
||
NET系列 平日13:15-13:55枠(1975年3月31日-1976年1月30日) | ||
13時ショー
(13:00-13:55) |
13時ショー
(15分短縮) |