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「サトセナガアナバチ」の版間の差分

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| シノニム = <center>Ichneumon dissector Thunberg, 1822<ref name="ITIS">{{ITIS|ID=768579|taxon=''Ampulex dissector'' (Thunberg, 1822)|accessdate=2020-05-16}}</ref><br />Ampulex amoena Stål, 1857<ref name="ITIS"/><br />Ampulex novarae de Saussure, 1867<ref name="ITIS"/><br />Ampulex consimilis Kohl, 1893<ref name="ITIS"/><br />Ampulex japonica Kohl, 1893<ref name="ITIS"/><br />Chlorampulex novarae (de Saussure, 1867)<ref name="ITIS"/></center>
| シノニム = <center>Ichneumon dissector Thunberg, 1822<ref name="ITIS">{{ITIS|ID=768579|taxon=''Ampulex dissector'' (Thunberg, 1822)|accessdate=2020-05-16}}</ref><br />Ampulex amoena Stål, 1857<ref name="ITIS"/><br />Ampulex novarae de Saussure, 1867<ref name="ITIS"/><br />Ampulex consimilis Kohl, 1893<ref name="ITIS"/><br />Ampulex japonica Kohl, 1893<ref name="ITIS"/><br />Chlorampulex novarae (de Saussure, 1867)<ref name="ITIS"/></center>
}}
}}
'''サトセナガアナバチ'''''Ampulex dissector'' ([[カール・ツンベルク|Thunberg]], 1822) {{Efn2|かつては ''A. novarae'' や ''A. japonica'' , ''A. amoena'' などの学名が使用されていた{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}。}}は、[[ハチ目|膜翅目]][[ハチ目#ハチ亜目(細腰亜目) Apocrita|ハチ亜目]](細腰亜目)[[ミツバチ上科]][[セナガアナバチ科]][[セナガアナバチ科#セナガアナバチ属|セナガアナバチ属]]に分類されるハチの一種{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=2}}。[[日本]]では[[本州]]以南に生息する[[ハチ]]で、主に家屋性[[ゴキブリ]]の若虫(幼虫)を狩り、自身の幼虫の餌にする{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=2}}。
'''サトセナガアナバチ''' ''Ampulex dissector'' ([[カール・ツンベルク|Thunberg]], 1822) {{Efn2|かつては ''A. novarae'' や ''A. japonica'' , ''A. amoena'' などの学名が使用されていた{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}。}}は、[[ハチ目|膜翅目]][[ハチ目#ハチ亜目(細腰亜目) Apocrita|ハチ亜目]](細腰亜目)[[ミツバチ上科]][[セナガアナバチ科]][[セナガアナバチ科#セナガアナバチ属|セナガアナバチ属]]に分類される[[ハチ]]の一種{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=2}}。


[[日本]]では[[本州]]以南に生息するハチで、主に家屋性[[ゴキブリ]]の若虫(幼虫)を狩り、自身の幼虫の餌にする[[カリバチ]]である{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=2}}。ゴキブリ類の[[天敵]]であり{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}、また[[衛生害虫]]であるゴキブリを狩ることから、[[益虫]]とみなされている{{Sfn|黒沢良彦|1962|p=135}}{{Sfn|加納六郎|田中寛|1966|p=194}}。
過去には'''アカアシセナガアナバチ'''、もしくは単に'''セナガアナバチ'''{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}(背長穴蜂){{Sfn|日外アソシエーツ|2009|p=407}}の和名で呼称されていたが、[[1999年]]([[平成]]11年)に「サトセナガアナバチ」と改称された{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}。

過去には'''アカアシセナガアナバチ'''、もしくは単に'''セナガアナバチ'''{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}(背長穴蜂){{Sfn|日外アソシエーツ|2009|p=407}}の和名で呼称されていたが、[[1999年]]([[平成]]11年)に「サトセナガアナバチ」と改称され{{Efn2|山根正気・幾留秀一・寺山守 (1999) はそれまで和名のなかった多数の膜翅目の種に新和名を命名するととともに、多数の改称も行い{{Sfn|山根正気|幾留秀一|寺山守|1999|pp=7-8}}、本種もその一環で「セナガアナバチ」から「サトセナガアナバチ」に改称されている{{Sfn|山根正気|幾留秀一|寺山守|1999|p=471}}。}}{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}、それ以降は「サトセナガアナバチ」が[[和名|標準和名]]とされている{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=2}}{{Sfn|山根正気|幾留秀一|寺山守|1999|p=471}}{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}。


== 名称 ==
== 名称 ==
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== 分布 ==
== 分布 ==
日本では本州・[[四国]]・[[九州]]および[[対馬]]・[[種子島]]{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}・[[屋久島]]{{Efn2|屋久島で記録されたとする文献について、須田博久 (2011) は「表で種子島と見間違えたものと思われる」と述べていたが{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}、前田拓哉が2007年6月に屋久島で本種を採取し、2011年8月にも島内で本種を確認したため、屋久島にも分布していることが確認された{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|p=115}}。}}に分布する{{Efn2|古くは「[[沖縄県|沖縄]]ないし[[琉球諸島|琉球]]」を分布に含んだ文献もあったが、1980年代以降は(島名などの具体的な記録・近年の採集例がないことから)沖縄への分布を疑問視する指摘が複数なされたため、1980年代後半以降は分布地から「沖縄」が削除されることが多い{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。須田 (2011) も自身の調査結果から「本種は沖縄には分布していないだろう」と結論付けている{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}。}}{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|pp=115-116}}。日本国外では[[朝鮮半島]]・[[台湾]]・[[中国]]・[[インド]]{{Efn2|北隆館 (1995) は「北部インド」と述べている{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}。}}・[[スリランカ]]・[[東南アジア]]に分布する{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。
日本では本州・[[四国]]・[[九州]]および[[対馬]]・[[種子島]]{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}・[[屋久島]]{{Efn2|屋久島で記録されたとする文献について、須田博久 (2011) は「表で種子島と見間違えたものと思われる」と述べていたが{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}、前田拓哉が2007年6月に屋久島で本種を採取し、2011年8月にも島内で本種を確認したため、屋久島にも分布していることが確認された{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|p=115}}。}}に分布する{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|pp=115-116}}。日本国外では[[朝鮮半島]]・[[台湾]]・[[中国]]・[[インド]]{{Efn2|北隆館 (1995) は「北部インド」とされている{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}。}}・[[スリランカ]]・[[東南アジア]]に分布する{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。


古くは[[沖縄県|沖縄]]ないし[[琉球諸島|琉球]]を分布域として含んだ文献もあったが、1980年代以降は島名などの具体的な記録や、確実な採集例がないことから、沖縄への分布を疑問視する指摘が複数なされたため、1980年代後半以降の文献では分布地から「沖縄」が削除されることが多い{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}。須田 (2011) も自身の調査結果から、本種は沖縄(中琉球から南琉球)には分布していないだろうと結論づけている{{Sfn|須田博久|2011|p=23}}。
本来は日本には生息していなかったが、寄主のゴキブリとともに何らかの形で日本国内へ侵入した[[外来種]]と考えられる{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。その経緯については「[[熱帯]]地方・台湾由来」{{Efn2|[[岩田久二雄]]が『ハチの生活』(1974年・[[岩波書店]])で「熱帯の港に寄港した[[南蛮貿易|南蛮船]]に乗り、(船室に多かった)寄主のゴキブリを狩って繁殖しながら日本の港に運ばれ、土着した」という可能性を指摘している{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。なお本種は琉球諸島で確認されていないため、台湾から琉球諸島経由で侵入した可能性については否定的な見解がある{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|p=117}}。}}「朝鮮半島由来」{{Efn2|Yasumatsu. K が1936年に検視した標本の産地が「大阪・[[下関市|下関]]・[[天草諸島]]・対馬・台湾」だったことから、須田 (2011) は「中国・朝鮮半島から対馬・天草諸島(九州)を経由して本州に侵入した」という推論を出している{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。また[[最終氷期]]に朝鮮半島 - 九州間に形成された[[陸橋 (生物地理)|陸橋]]を伝って日本列島に侵入した可能性も示唆されている{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|p=117}}。}}の2説が提唱されている{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|p=117}}。分布北限については1940 - 1950年代の文献では「[[大阪]](ないし[[京都]])」と{{Efn2|岩田久二雄 (1974) によれば、[[太平洋戦争]]後は[[京都市]]内で普通種だった{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。}}、1960年代以降(2011年時点)では主に[[中部地方]]以西(ないし中部地方以南)とされていた{{Efn2|信太利智 (1991) は、本州南岸では[[静岡県]]まで分布が知られていた」と述べている<ref name="信太"/>。また、須田 (1999) は「筆者の知るかぎり日本の北限は[[愛知県]]・[[福井県]]であるが、福井県の記録は疑問視されている。」と述べている{{Sfn|須田博久|1999|p=45}}。}}{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。しかし[[神奈川県]]([[関東地方]])でも1960年代から記録が相次ぎ{{Efn2|[[小田原市]]で1962年に初めて確認され、[[横浜市]]では[[磯子区]]で1983年に、[[旭区 (横浜市)|旭区]][[大池町 (横浜市)|大池町]]で2009年に記録されている{{Sfn|須田博久|2011|p=25}}。また、1991年5月30日には信太利智により、[[三浦半島]]東岸部([[横須賀市]][[久里浜|久比里]])で雌雄各1頭が採取されている<ref name="信太">{{Cite journal|和書|journal=昆虫と自然|author=信太利智|title=むしぺん特集 三浦半島のセナガアナバチ《分布》|volume=26|page=4|editor=編集兼発行者 福田静江|date=1991-12-30|issue=14|publisher=ニュー・サイエンス社}} - 通巻:第337号(1991年12月臨時増刊号)。1991年12月25日印刷。</ref>。}}{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}、2010年9月1日には[[東京都]]でも新たに記録された{{Efn2|東京都では[[港区 (東京都)|港区]][[白金台]](1949年 - 1951年詳細不明)および[[文京区]][[白山 (文京区)|白山]](2004年)から記録があるほか{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}、2010年9月1日には[[中野区]][[中野 (中野区)|中野]]でオス成虫3頭が採集され、都内における初採集記録となった{{Sfn|須田博久|2011|p=25}}。}}{{Sfn|須田博久|2011|p=25}}。

=== 日本国内における分布 ===
本来は日本には生息していなかったが、寄主のゴキブリとともに何らかの形で日本国内へ侵入した[[外来種]]と考えられている{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。侵入経路については「[[熱帯]]地方・台湾由来」「朝鮮半島由来」の2説が提唱されているが{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|p=117}}、前述のように本種は琉球諸島では確認されていないため、台湾から琉球諸島経由で侵入した可能性については否定的な見解がある{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|p=117}}。1936年の報告では、産地は大阪・[[下関市|下関]]・[[天草諸島|天草]]・[[対馬]]・台湾とされていたため、須田 (2011) は中国・朝鮮半島から対馬・天草諸島(九州)を経由して本州に侵入したという仮説を提唱している{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。また侵入の経緯については、[[南蛮貿易|南蛮船]]で熱帯地方から日本にやってきたとする説{{Efn2|かつて熱帯の港に寄港した南蛮船に乗り、船室に多かった寄主のゴキブリを狩って繁殖しながら日本の港に運ばれ、土着したとする説で、[[岩田久二雄]]は本種が初めて見つかった場所の多くが西日本の古くからの港町であることや、田舎よりも海に近い都市に多かったことから、この説を提唱していた{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。}}{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}、[[最終氷期]]に朝鮮半島 - 九州間に形成された[[陸橋 (生物地理)|陸橋]]を伝って日本列島に侵入したとする説{{Sfn|鹿児島県自然愛護協会|2012|p=117}}が提唱されている。

1940 - 1950年代の文献では大阪ないし[[京都]]が北限され{{Efn2|岩田久二雄 (1974) によれば、[[太平洋戦争]]後は[[京都市]]内で普通種だった{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。}}、1960年代以降(2011年時点)では主に[[中部地方]]以西(ないし中部地方以南)とされていた{{Efn2|信太利智 (1991) は、本州南岸では[[静岡県]]まで分布が知られていた旨を述べている<ref name="信太"/>。また、須田 (1999) は自身の知るの情報として、日本の北限は[[愛知県]]・[[福井県]]であるが、福井県の記録は疑問視されていると述べている{{Sfn|須田博久|1999|p=45}}。}}{{Sfn|須田博久|2011|p=24}}。しかし[[関東地方]]の[[神奈川県]]でも1960年代から記録が相次ぎ{{Efn2|[[小田原市]]で1962年に初めて確認され、[[横浜市]]では[[磯子区]]で1983年に、[[旭区 (横浜市)|旭区]][[大池町 (横浜市)|大池町]]で2009年に記録されている{{Sfn|須田博久|2011|p=25}}。また、1991年5月30日には信太利智により、[[三浦半島]]東岸部([[横須賀市]][[久里浜|久比里]])で雌雄各1頭が採取されている<ref name="信太">{{Cite journal|和書|journal=昆虫と自然|author=信太利智|title=むしぺん特集 三浦半島のセナガアナバチ《分布》|volume=26|page=4|editor=編集兼発行者 福田静江|date=1991-12-30|issue=14|publisher=ニュー・サイエンス社}} - 通巻:第337号(1991年12月臨時増刊号)。1991年12月25日印刷。</ref>。}}{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}、2010年には[[東京都]]でも新たに採集された{{Efn2|東京都では[[港区 (東京都)|港区]][[白金台]](1949年 - 1951年詳細不明)および[[文京区]][[白山 (文京区)|白山]](2004年)から記録があるほか{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}、2010年9月1日には[[中野区]][[中野 (中野区)|中野]]でオス成虫3頭が採集され、都内における初採集記録となった{{Sfn|須田博久|2011|p=25}}。}}{{Sfn|須田博久|2011|p=25}}。藤丸篤夫 (2023) は、関東地方では神奈川県・東京都・[[埼玉県]]で生息が確認されていると述べている<ref name="藤丸篤夫">{{Cite book|和書 |title=ハチハンドブック増補改訂版 |publisher=[[文一総合出版]] |date=2023-03-20 |page=79 |author=藤丸篤夫 |edition=第1刷 |isbn=978-4829981733 |ncid=BD01111975 |id={{国立国会図書館書誌ID|032677960}}・{{全国書誌番号|23812410}}}}</ref>

吉川公雄・飯田吉之助 (1956) は、本種の分布が東に広がりつつあることは、本種にとって主要な狩りの獲物となる[[クロゴキブリ]]が同様に東へ分布を拡大しつつあるためと推察していた{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=55}}。


== 特徴 ==
== 特徴 ==
体長14 - 18&nbsp;[[ミリメートル|mm]]{{Efn2|北隆館 (1995) では「15 - 18&nbsp;mm」{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}。}}で、体は金属光沢を伴う緑青色であり{{Efn2|須田 (1999) は本種を「美麗種」と評している{{Sfn|須田博久|1999|p=45}}。}}、特に腹部は光沢が強い{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。後脚腿節は先端部を除き赤褐色で、前胸背板中央には明瞭な縦溝があるほか、[[昆虫の翅|前翅]]の亜縁室は2室である{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。腹端はオスでは丸みを帯びるが、メスでは細く尖っている{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。同じ環境に生息する'''ルリジガバチ''' ''Chalybion japonicum'' と体色がよく似ているが、本種はルリジガバチよりやや小型である<ref name="RDB山口"/>。
体長14 - 18&nbsp;[[ミリメートル|mm]]{{Efn2|北隆館 (1995) では「15 - 18&nbsp;mm」{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}。}}で、体は金属光沢を伴う緑青色であり{{Efn2|須田 (1999) は本種を「美麗種」と評している{{Sfn|須田博久|1999|p=45}}。}}、特に腹部は光沢が強い{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。「セナガ」の種名の通り、前胸がくびれて長くなっている独特の形態をしている<ref name="藤丸篤夫"/>。後脚腿節は先端部を除き赤褐色で、前胸背板中央には明瞭な縦溝があるほか、[[昆虫の翅|前翅]]の亜縁室は2室である{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。腹端はオスでは丸みを帯びるが、メスでは細く尖っている{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。同じ環境に生息する'''ルリジガバチ''' ''Chalybion japonicum'' と体色がよく似ているが、本種はルリジガバチよりやや小型である<ref name="RDB山口"/>。


同属の'''ミツバセナガアナバチ''' ''A. compressa'' Tsuneki, 1982 は[[琉球諸島|琉球列島]]([[奄美大島]]・[[石垣島]]・[[西表島]])から記録されている{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。ミツバセナガアナバチは体長13 - 20&nbsp;mmで、体色は金属光沢を伴う青藍色となり{{Efn2|青みの強い個体・紫みの強い個体がいる{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。ミツバセナガアナバチについて、北隆館 (1995) は「美しいハチ」と評している{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}。}}、本種とは「脚は全体黒色で、腿節が暗色・脛節は青藍色である点」「前胸背板中央の縦溝が痕跡的である点」「前翅の亜縁室が3室からなる点」で区別できる{{Sfn|東海大学出版部|2016|pp=2-3}}。また本種は主に家屋性ゴキブリを狩る一方、ミツバセナガアナバチは森林性のゴキブリを狩ると考えられている{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。
同属の'''ミツバセナガアナバチ''' ''A. compressa'' Tsuneki, 1982 は[[琉球諸島|琉球列島]]([[奄美大島]]・[[石垣島]]・[[西表島]])から記録されている{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。ミツバセナガアナバチは体長13 - 20&nbsp;mmで、体色は金属光沢を伴う青藍色となり{{Efn2|青みの強い個体・紫みの強い個体がいる{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。ミツバセナガアナバチについて、北隆館 (1995) は「美しいハチ」と評している{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}。}}、本種とは「脚は全体黒色で、腿節が暗色・脛節は青藍色である点」「前胸背板中央の縦溝が痕跡的である点」「前翅の亜縁室が3室からなる点」で区別できる{{Sfn|東海大学出版部|2016|pp=2-3}}。また本種は主に家屋性ゴキブリを狩る一方、ミツバセナガアナバチは森林性のゴキブリを狩ると考えられている{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。また、台湾には同科に属するアオセナガアナバチ ''Trirhogma cnerulea'' Westwood が生息している{{Sfn|素木得一|1940|p=335}}。


== 生態 ==
== 生態 ==
人工[[飼育]]下における本種の生態は同属の[[エメラルドゴキブリバチ]] ''A. compressa'' と類似している{{Sfn|郡場央基|1957|pp=100-101}}。
人工[[飼育]]下における本種の生態は同属の[[エメラルドゴキブリバチ]] ''A. compressa'' と類似している{{Sfn|郡場央基|1957|pp=100-101}}。


生息環境は寄主のゴキブリが生息していることが絶対条件だが、人の往来がほとんどない静かな場所(公園の巨木・農家の物置・廃屋など)に多い{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}。成虫は5月中旬 - 10月中旬まで活動し{{Sfn|学出版部|2016|p=3}}雌雄とも気温時間帯に活発活動する{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}。
生息環境は寄主のゴキブリが生息していることが絶対条件だが、人の往来がほとんどない静かな場所(公園の巨木・農家の物置・廃屋など)に多い{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}。神奈川県・京都では、[[イチョウ]]・[[サクラ]]・[[ウメ]]・[[ケヤキ]]などのきな老木(幹の樹皮に裂け目があったり樹洞や腐朽部あったりする生木および立枯木)で確認されてるが、このような老木はゴキブリの隠れ家なっていことも多い{{Sfn|須田博久|2011|p=25}}。


成虫は5月中旬 - 10月中旬にかけて活動する{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。吉川公雄 (1957) によれば成虫は年3化性で{{Sfn|吉川公雄|1957|p=133}}、須田 (2011) によれば、関東地方では(オスが5 - 6月と9月に確認されていることから)初夏と盛夏に発生する2化性と考えられている{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}。前者の文献によれば、まず前年に産まれ、蛹で越冬した個体が6月ごろに羽化すると、彼らの子供(2世代目)が7月末から8月ごろにかけて羽化し、直ちに繁殖を開始する{{Sfn|吉川公雄|1957|p=133}}。3世代目は9月の中下旬に羽化して繁殖を行うが、この時に産まれた4世代目の個体は蛹で越冬する([[#幼虫の成長|後述]]){{Sfn|吉川公雄|1957|p=133}}。雌雄とも気温が高い時間帯に活発に活動する{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}。
成虫は、大顎で[[クサギ]]・[[クロガネモチ]]の樹幹を傷つけ、滲み出る[[樹液]]を吸ったり、その途中で[[アリ]]が接近すると大顎で威嚇したり、追い掛け回したりする事例が観察されている{{Sfn|加茂豊策|1957|p=94}}。また、[[アブラゼミ]]・[[ニイニイゼミ]]が口吻を突き刺して吸汁した穴から滲み出る樹液を吸う場合ほか、人工飼育下では[[蜂蜜]]も食べる{{Sfn|郡場央基|1957|p=98}}。

成虫は、大顎で[[クサギ]]・[[クロガネモチ]]の樹幹を傷つけ、滲み出る[[樹液]]を吸ったり、その途中で[[アリ]]が接近すると大顎で威嚇したり、追い掛け回したりする事例が観察されている{{Sfn|加茂豊策|1957|p=94}}。また[[カイガラムシ]]・[[アブラムシ]]の分泌物や{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=58}}、[[アブラゼミ]]・[[ニイニイゼミ]]が口吻を突き刺して吸汁した穴から滲み出る樹液を吸うこと報告されてい{{Sfn|郡場央基|1957|p=98}}。人工飼育下では[[蜂蜜]]も食べる{{Sfn|郡場央基|1957|p=98}}。


オスはメスの背面に乗って[[交尾]]する{{Sfn|郡場央基|1957|p=98}}。
オスはメスの背面に乗って[[交尾]]する{{Sfn|郡場央基|1957|p=98}}。


=== 繁殖 ===
=== 繁殖 ===
本種は特別な巣は造らず、物の隙間などに獲物を引き込んで産卵する{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}。
本種は特別な巣は造らず、物の隙間などに獲物を引き込んで産卵する{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}。巣穴として用いる場所は、古い木造住宅の土壁と木の隙間などで<ref name="読売新聞1995-02-08">『[[読売新聞]]』1995年2月8日東京夕刊第二社会面18頁「[[阪神・淡路大震災|阪神大震災]]でゴキブリの天敵のハチ、全滅か 家屋の中の巣崩壊」([[読売新聞東京本社]])</ref>、台所の棚の隅・戸棚の食器などを用いる場合もある<ref name="世界文化社"/>


本種のメス成虫が狩る幼虫の餌は主に家屋性ゴキブリ([[クロゴキブリ]]・[[ワモンゴキブリ]]・[[コワモンゴキブリ]]など){{Efn2|須田 (2011) は[[ヤマトゴキブリ]]も狩猟の対象になるかもれな。[[関東地]]では[[チャバネゴキブリ]]が圧倒的に多いが、小型のため対象外だろうと述べている{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}。}}の若虫(幼虫)で{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}、メスは樹皮の1つ1つの窪みを丁寧に調べながらパトールを繰り返す{{Efn2|この行動には獲物となるゴキブリを探索するほか、巣(ゴキブリの格納)を事前に探す目的もある{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}。}}。りの対象とな家住性ゴキブリは[[衛生害虫]]知られ種で{{Sfn|正洋|1985|p=66}}、本種はゴキブリ類の[[天敵]]である{{Sfn|北隆館|1995|p=95}}、害虫としてのゴキブリを駆除する天敵としての期待は薄いとされる{{Sfn|高木正洋|1985|p=76}}。
本種のメス成虫が狩る幼虫の餌は主に家屋性ゴキブリ([[クロゴキブリ]]・[[ワモンゴキブリ]]・[[コワモンゴキブリ]]など){{Efn2|須田 (2011) は関東地方では、クロゴキブリだけでなく在来種である[[ヤマトゴキブリ]]も狩猟の対象になる可能性を示唆る一[[チャバネゴキブリ]]小型のため対象外になるだろうと述べている{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}。}}の若虫(幼虫)である{{Sfn|東海大学出版部|2016|p=3}}。クロゴキブリの場合は成虫や老熟幼虫は襲わず、中齢幼虫(6 - 8齢のみを狩るがわかっる{{Sfn||緒方一喜|1961|p=48}}。獲物の大きさは平均体長16.5 - 20.1&nbsp;mm前胸幅6.5 - 7.1&nbsp;mmである{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|pp=55-56}}。


==== 狩り ====
メス成虫は獲物(ゴキブリ)を見つけると、獲物の胸部・腹部の背板を咥えて斜め後ろから腹部を曲げ、前方に伸ばして後脚・中脚の間から腹端を挿入し{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}、刺針{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}(毒針)<ref name="世界文化社">{{Cite book|和書|title=昆虫I チョウ・バッタ・トンボなど|series=世界文化生物大図鑑|chapter=〈ハチの生活〉ハバチ・カリウドバチ|publisher=[[世界文化社]](発行者:小林公成)|date=2004年6月15日(初版第1刷発行)|author=竹中英雄|edition=改訂新版|isbn=978-4418049073|page=365}}</ref>で(3 - 20秒ほど)獲物の胸部を刺す{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。さらに前脚基節の付け根を後方から刺し、獲物を弱らせ抵抗できなくする{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。そして頸部下面を60 - 80秒ほど刺し、その後は触角基部を咥えて再び頸部下面を刺すほか、相手が抵抗する場合はその度に頸部下面を刺すが、巣を探し始めてからはそれ以上獲物を刺すことはない{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。
メス成虫は樹皮の1つ1つの窪みを丁寧に調べながらパトロールを繰り返すが、この行動は獲物となるゴキブリや、巣(ゴキブリの格納場所を事前に探すことが目的である{{Sfn|須田博久|2011|p=27}}。またメスは素早く動けるよう、樹幹の日向で静止して太陽光を浴びることで体温を上昇させ、樹皮の裂け目などに潜んでいるゴキブリを捕まえようとしているとする観察記録もある{{Sfn|須田博久|2011|p=28}}。メスは獲物となるゴキブリを見つけると、獲物の胸部・腹部の背板を咥えて斜め後ろから腹部を曲げ、前方に伸ばして後脚・中脚の間から腹端を挿入し{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}、刺針{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}(毒針)<ref name="世界文化社">{{Cite book|和書|title=昆虫I チョウ・バッタ・トンボなど|series=世界文化生物大図鑑|chapter=〈ハチの生活〉ハバチ・カリウドバチ|publisher=[[世界文化社]](発行者:小林公成)|date=2004年6月15日(初版第1刷発行)|author=竹中英雄|edition=改訂新版|isbn=978-4418049073|page=365}}</ref>で(3 - 20秒ほど)獲物の胸部を刺す{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。さらに前脚基節の付け根を後方から刺し、獲物を弱らせ抵抗できなくする{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。そして頸部下面を60 - 80秒ほど刺し、その後は触角基部を咥えて再び頸部下面を刺すほか、相手が抵抗する場合はその度に頸部下面を刺すが、巣を探し始めてからはそれ以上獲物を刺すことはない{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。ゴキブリが小さい場合には腹部末端の尾節の辺りを噛み、胸部関節を刺す場合もある{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=55}}。


その後、獲物の一方の触角を咥え上げ、5&nbsp;mm程度のところで引きちぎり、その傷口から滲み出る体液を何回か吸収してから、もう一方の触角を同様に切断する{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。すると獲物から離れるが、あまり遠くまでは行かない{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。巣を発見するまでの間に、獲物を簡単な暗所(隙間・石の下など)に運び込む場合もあるほか、目的地を決めないまま少しずつ運んだり、狩猟した位置に放置したまますぐ巣を探す場合もある{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。巣として適当な場所{{Efn2|台所の棚の隅・戸棚の食器などを巣として用いる場合もある<ref name="世界文化社"/>。}}を発見すると、獲物の触角基部を咥えて後ろ向きに牽引し{{Efn2|この時、獲物(ゴキブリ)は多少抵抗を示すが、ハチに引っ張られながらついていく{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}。}}、2、3回の休憩を挟んで巣まで獲物を運ぶ{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}。獲物を運び終わると、後ろ向きに巣へ侵入し、45 - 80秒かけて獲物の中脚基節(基節付け根の膜質部の上かその近く)に産卵する{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}。そして巣から出ると、獲物の後脚跗節を噛み上げるか、腹端に大顎を当てて巣の奥へ押しやり{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}、再び巣に入って大顎で巣の近くにあるもの(木片・砂粒など)を運んで入口まで詰め、時々翅で表面を均して硬くする{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。狩猟開始 - 封鎖作業終了までは短ければ1時間で終了するが、麻痺させた獲物を翌日巣に運び込んで産卵する場合もある{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。
その後、獲物の一方の触角を咥え上げ、5&nbsp;mm程度のところで引きちぎり、その傷口から滲み出る体液を何回か吸収してから、もう一方の触角を同様に切断する{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。すると獲物から離れるが、あまり遠くまでは行かない{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。巣を発見するまでの間に、獲物を簡単な暗所(隙間・石の下など)に運び込む場合もあるほか、目的地を決めないまま少しずつ運んだり、狩猟した位置に放置したまますぐ巣を探す場合もある{{Sfn|加茂豊策|1957|p=95}}。巣として適当な場所を発見すると、獲物の触角基部を咥えて後ろ向きに牽引し{{Efn2|この時、獲物(ゴキブリ)は多少抵抗を示すが、ハチに引っ張られながらついていく{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}。}}、2、3回の休憩を挟んで巣まで獲物を運ぶ{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}。


獲物を運び終わると後ろ向きに巣へ侵入し、45 - 80秒かけて獲物の中脚基節(基節付け根の膜質部の上かその近く)に産卵する{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}。卵は全長が平均2.0 - 2.9&nbsp;mmで、直径は平均0.9&nbsp;mmである{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=57}}。産卵箇所は、ゴキブリが歩行して脚を動かしても潰されたり、振り落とされたりしない場所で{{Sfn|岩田久二雄|1948|p=53}}、ゴキブリから見て横向きに、卵の頭端を側方に正中線側に向けて産み付ける{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=57}}。産卵箇所が左右どちらになるかは、攻撃時に麻痺させた側に関係すると思われる{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=57}}。メス成虫は産卵後に巣から出ると、獲物の後脚跗節を噛み上げるか、腹端に大顎を当てて巣の奥へ押しやり{{Sfn|加茂豊策|1957|p=96}}、再び巣に入って大顎で巣の近くにあるもの(木片・砂粒など)を運んで入口まで詰め、時々翅で表面を均して硬くする{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。狩猟開始 - 封鎖作業終了までは短ければ1時間で終了するが、麻痺させた獲物を翌日巣に運び込んで産卵する場合もある{{Efn2|吉川らの飼育記録によれば、穴を塞ぐまでに1時間20分を要した{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=57}}。}}{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。
狩猟・産卵は1日1回とは限らず、加茂 (1957) は1日で同一のメス成虫が2、3回産卵した事例を報告している{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。メス成虫により麻痺させられ卵を産み付けられたゴキブリは、刺激に反応したり、ひっくり返すと起き上がったりするほか、摂食行動はできるが、自ら歩行することはできない{{Efn2|いわゆる「不完全永久麻痺」でるが、麻痺から回復したクロゴキブリ幼虫が羽化したと思われる事例も{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}。}}{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}。


狩猟・産卵は1日1回とは限らず、加茂 (1957) は1日で同一のメス成虫が2、3回産卵した事例を報告している{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。また通常は獲物1頭に対して1個のみ産卵するが、稀に2個目の卵を背面側に産み付ける場合もある{{Sfn|吉川公雄|1957|p=133}}。メス成虫により麻痺させられ卵を産み付けられたゴキブリは、刺激に反応したり、ひっくり返すと起き上がったりするほか、摂食行動はできるが、自ら歩行することはできないいわゆる「不完全永久麻痺」の状態){{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}。このため、自ら間隙から這い出すことはきないとされ{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=55}}。吉川公雄 (1958) によれば、たとえ産み付けられた卵孵化しなくても麻痺させられたゴキブリは完全な行動はできず、やがて死亡すると報告している{{Sfn|吉川公雄|1957|p=133}}。一方、麻痺から回復したクロゴキブリ幼虫が羽化したと思われる事例も報告されている{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}。
卵は産卵されてから3 - 5日{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}、もしくは40時間で孵化全発育期は約36日る{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}。幼虫は孵化してから4 - 5日間は産卵場所となった基節基部の膜質部からゴキブリの体液を吸収する{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。その後、その膜質部を食い破って体の一部分をゴキブリの体内に挿入し、外骨格だけになるまで食べ尽くしてから頭部を外に出す{{Efn2|ゴキブリはセナガアナバチの幼虫により体内に頭部を挿入され食べられ始めてもしばらくは生存し、初めのうちは触れると足を動かすが、やがて刺激への反応が鈍くなり{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}、最終的には死亡する。}}{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。そして外骨格をわずかに食べると、1日間かけて糸を引き、[[繭]]を作って{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}[[蛹#蛹化|蛹化]][[羽化]]する。繭を作り始めてから成虫が羽化・脱出するまでの期間は、約1か月である{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}。


吉川 (1958) の飼育実験により、本種は未交尾のメスのみによる[[単為生殖|処女生殖]]も可能であるが{{Efn2|単為生殖を行う単独性の狩りバチとしては、本種以外にヒメバチ類も知られている{{Sfn|吉川公雄|1957|p=133}}。}}、処女生殖によって生まれた卵の孵化率は低いこと、また処女生殖によって産まれた個体はすべてオスになることが報告されている{{Sfn|吉川公雄|1957|pp=132-133}}。
羽化した新成虫が成熟するまでの期間は15日以上と推測される{{Efn2|郡場央基 (1957) は、自身の飼育・観察結果から9月19日に羽化したメス成虫は10月4日になってもまだ狩猟本能を現さなかったと述べている{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}。}}。


== 保全状況評価 ==
==== 幼虫成長 ====
卵は産卵されてから3 - 5日{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}、もしくは40時間で孵化し、全発育期は約36日である{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}。夏季なら産卵から約1日で孵化するとする文献もある{{Sfn|鈴木猛|緒方一喜|1961|p=49}}。
以下の県で[[レッドリスト]]の指定を受けている。

孵化幼虫は約1週間4齢幼虫まで成長する{{Sfn|鈴木猛|緒方一喜|1961|p=49}}。成長幼虫は孵化してから4 - 5日間は産卵場所となった基節基部の膜質部からゴキブリの体液を吸収する{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。その後、その膜質部を食い破って体の一部分をゴキブリの体内に挿入し、外骨格だけになるまで食べ尽くしてから頭部を外に出す{{Efn2|ゴキブリはセナガアナバチの幼虫により体内に頭部を挿入されて体を食べられ始めてもしばらくは生存し、初めのうちは触れると足を動かすが、やがて刺激への反応が鈍くなり{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}、最終的には死亡する{{Sfn|岩田久二雄|1948|p=53}}。}}{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}。そして外骨格をわずかに食べると、1日間かけて糸を引いて[[繭]]を作{{Sfn|加茂豊策|1957|p=97}}[[蛹#蛹化|蛹化]]する{{Sfn|鈴木猛|緒方一喜|1961|p=49}}。蛹化から[[羽化]]までの期間、および繭を作り始めてから成虫が羽化・脱出するまでの期間は、いずれも約1か月である{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}{{Sfn|鈴木猛|緒方一喜|1961|p=49}}。秋遅くに蛹化した個体はそのまま蛹で[[越冬]]し{{Efn2|吉川公雄・飯田吉之助 (1956) は、1956年8月末から10月にかけて繭を作った幼虫たちが同年内に羽化しなかったことを報告している{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=57}}。これらの蛹6頭のうち、羽化した4頭はいずれも6月(3日 - 14日)に羽化した{{Sfn|吉川公雄|1957|p=132}}。}}{{Sfn|鈴木猛|緒方一喜|1961|p=49}}、翌年6月ごろに羽化して繁殖する{{Sfn|吉川公雄|1957|p=133}}。

羽化した新成虫が成熟するまでの期間は15日以上と推測される{{Efn2|郡場央基 (1957) は、自身の飼育・観察結果から9月19日に羽化したメス成虫は10月4日になってもまだ狩猟本能を現さなかったと述べている{{Sfn|郡場央基|1957|p=100}}。}}。

== 人間との関わり ==
本種が狩りの対象とする家住性ゴキブリは[[衛生害虫]]として知られる種であるため{{Sfn|高木正洋|1985|p=76}}、本種は[[益虫]]とみなされている{{Sfn|黒沢良彦|1962|p=135}}{{Sfn|加納六郎|田中寛|1966|p=194}}。しかし、獲物が若虫に限定されることから、[[天敵]]としての利用価値は低いと考えられている{{Sfn|吉川公雄|飯田吉之助|1956|p=58}}。

一方、本種は人間にとっても[[毒|有毒]]である{{Sfn|加納六郎|田中寛|1966|p=197}}<ref>{{Cite book|和書 |title=昆虫 |publisher=[[Gakken]] |date=2022-08-25 |page=97 |author=[[丸山宗利]](総監修) |edition=第2刷 |series=[[学研の図鑑LIVE]] |isbn=978-4052051760 |ncid=BC15610808 |volume=1 |author2=長島聖大・中峰空(副監修) |origdate=2022-07-05 |id={{国立国会図書館書誌ID|032181043}}・{{全国書誌番号|23707959}}}}</ref>。しかし、本種と近縁なジガバチ類の毒はさほど強いものではない{{Sfn|加納六郎|田中寛|1966|pp=200-201}}。

[[第二次世界大戦]]以前は、台湾以南の熱帯地方ではごく普通に家の中で見られた昆虫であった{{Sfn|岩田久二雄|1948|p=53}}。

=== 種の保全状況評価 ===
本種は以下の県で[[レッドリスト]]の指定を受けている。
* [[近危急種|準絶滅危惧]] - [[福岡県]]<ref name="福岡県">{{Cite web|url=https://www.fihes.pref.fukuoka.jp/kankyo/rdb/rdbs/detail/201400411|title=福岡県レッドデータブック > 種の解説 > サトセナガアナバチ|accessdate=2020-05-15|publisher=福岡県|website=福岡県の希少野生生物|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200515112726/https://www.fihes.pref.fukuoka.jp/kankyo/rdb/rdbs/detail/201400411|archivedate=2020-05-15}} - 『福岡県レッドデータブック』(昆虫類)は2014年(平成26年)8月に改訂。</ref>
* [[近危急種|準絶滅危惧]] - [[福岡県]]<ref name="福岡県">{{Cite web|url=https://www.fihes.pref.fukuoka.jp/kankyo/rdb/rdbs/detail/201400411|title=福岡県レッドデータブック > 種の解説 > サトセナガアナバチ|accessdate=2020-05-15|publisher=福岡県|website=福岡県の希少野生生物|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200515112726/https://www.fihes.pref.fukuoka.jp/kankyo/rdb/rdbs/detail/201400411|archivedate=2020-05-15}} - 『福岡県レッドデータブック』(昆虫類)は2014年(平成26年)8月に改訂。</ref>
* [[データ不足 (レッドリスト)|情報不足]] - [[山口県]]{{Efn2|山口県のレッドデータブック(2002年版)では絶滅危惧II類に指定されていたが<ref name="RDB山口">{{Cite book|和書|title=レッドデータブックやまぐち 山口県の絶滅のおそれのある野生生物|publisher=[[山口県]]環境生活部自然保護課|date=2002-03|page=235|NCID=BA57373384|chapter=昆虫類・クモ類|id={{国立国会図書館書誌ID|000003628876}}・{{全国書誌番号|20316941}}}}</ref>、2019年版では「情報不足」となっている<ref name="RDB山口2019"/>。}}<ref name="RDB山口2019">{{Cite book|和書|title=レッドデータブックやまぐち 山口県の絶滅のおそれのある野生生物 2019|publisher=山口県環境生活部自然保護課|date=2019-03|page=265|NCID=BA57373384|chapter=情報不足|quote=サトセナガアナバチ Ampulex dissector|id={{国立国会図書館書誌ID|029866624}}・{{全国書誌番号|23256729}}}}</ref>
* [[データ不足 (レッドリスト)|情報不足]] - [[山口県]]{{Efn2|山口県のレッドデータブック(2002年版)では絶滅危惧II類に指定されていたが<ref name="RDB山口">{{Cite book|和書|title=レッドデータブックやまぐち 山口県の絶滅のおそれのある野生生物|publisher=[[山口県]]環境生活部自然保護課|date=2002-03|page=235|NCID=BA57373384|chapter=昆虫類・クモ類|id={{国立国会図書館書誌ID|000003628876}}・{{全国書誌番号|20316941}}}}</ref>、2019年版では「情報不足」となっている<ref name="RDB山口2019"/>。}}<ref name="RDB山口2019">{{Cite book|和書|title=レッドデータブックやまぐち 山口県の絶滅のおそれのある野生生物 2019|publisher=山口県環境生活部自然保護課|date=2019-03|page=265|NCID=BA57373384|chapter=情報不足|quote=サトセナガアナバチ Ampulex dissector|id={{国立国会図書館書誌ID|029866624}}・{{全国書誌番号|23256729}}}}</ref>
山口県[[宇部市]]ではかつて、木製の電柱や人家の板壁などを徘徊する本種がよく見られたが、2000年代前半ごろにはほとんど見かけられなくなっていた<ref name="RDB山口"/>。減少の要因としては、新建材による住宅建築様式の変化や、電柱のコンクリート化、また衛生状態の改善により、餌となるゴキブリが減少したことなどが考えられている<ref name="RDB山口"/>。また、[[伊丹市昆虫館]]([[兵庫県]][[伊丹市]])の研究報告 (2018) でも「1950年代前半までは家屋内(特に台所)で普通に見られる身近なハチだったが、住宅構造の変化により見られなくなった」とされる{{Sfn|井上治彦|2018|p=33}}。
本種は鉄筋家屋などの密閉された家屋には適応できない<ref name="読売新聞1995-02-08"/>。山口県[[宇部市]]ではかつて、木製の電柱や人家の板壁などを徘徊する本種がよく見られたが、2000年代前半ごろにはほとんど見かけられなくなっていた<ref name="RDB山口"/>。減少の要因としては、新建材による住宅建築様式の変化や、電柱のコンクリート化、また衛生状態の改善により、餌となるゴキブリが減少したことなどが考えられている<ref name="RDB山口"/>。また、[[伊丹市昆虫館]]([[兵庫県]][[伊丹市]])の研究報告 (2018) でも「1950年代前半までは家屋内(特に台所)で普通に見られる身近なハチだったが、住宅構造の変化により見られなくなった」とされる{{Sfn|井上治彦|2018|p=33}}。[[神戸大学]]農学部大学院生・浜西洋の研究によれば、兵庫県の[[神戸市|神戸]]・[[阪神間|阪神地方]](神戸市[[東灘区]][[御影 (神戸市)|御影]]地区・[[西宮市]]など)では[[阪神・淡路大震災]]発生前に[[国道43号]]沿線の木造家屋・神社で本種の巣が数十か所確認されていたが、震災後に現地調査を行ったところ、巣があった建物はすべて崩壊していたこと、そして再建家屋は本種が適応できない鉄筋家屋が多いと見られていたことから、浜西は同地方で本種が全滅した可能性を危惧していた<ref name="読売新聞1995-02-08"/>


須田博久 (1999) は1998年7月29日に[[新大阪駅]]南口広場で偶然、それまで過疎地を中心に探しても見つけられなかった本種を目撃したという自身の経験から、「どうやら今や市街地のほうがゴキブリが増えて棲みやすくなったのであろうか。」と述べている{{Sfn|須田博久|1999|pp=45-46}}。
一方で須田博久 (1999) は1998年7月29日、それまで過疎地を中心に探しても見つけられなかった本種を[[新大阪駅]]南口広場で偶然目撃したという自身の経験から、「どうやら今や市街地のほうがゴキブリが増えて棲みやすくなったのであろうか。」と述べている{{Sfn|須田博久|1999|pp=45-46}}。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==<!--論文執筆者の所属機関の記述は不要です-->
== 参考文献 ==<!--論文執筆者の所属機関の記述は不要です-->
'''図鑑など'''
* {{Cite book|和書 |title=害蟲・益蟲 |publisher=[[大日本図書]] |date=1940-10-15 |pages=334-335 |ref={{SfnRef|素木得一|1940}} |author=素木得一 |ncid=BN14654543 |chapter=セナガアナバチ科 |doi=10.11501/1261630 |id={{国立国会図書館書誌ID|000000708259}}・{{NDLJP|1261630/1/178}}}}
* {{Cite book|和書 |title=医動物学 |publisher=績文堂出版 |date=1966-11-10 |pages=193-203 |ref={{SfnRef|加納六郎|田中寛|1966}} |author=加納六郎 |edition=改訂新版 |ncid=BN06981125 |chapter=第4節 昆虫綱 > 8 .膜翅目 Hymenoptera |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/1381850/1/106 |author2=田中寛 |doi=10.11501/1381850 |id={{国立国会図書館書誌ID|000001084942}}・{{NDLJP|1381850/1/106}}}} - 初版は1959年11月10日発行。
* {{Cite book|和書 |title=南西諸島産有剣ハチ・アリ類検索図説 |publisher=[[北海道大学]]図書刊行会 |date=1999-12-30 |pages=469-471 |ref={{SfnRef|山根正気|幾留秀一|寺山守|1999}} |author=[[山根正気]] |edition=第1刷 |isbn=978-4832997615 |ncid=BA45663230 |chapter=検索と解説 > 有剣類 (Aculeata) > ミツバチ(ハナバチ)上科 (Apoidea) > [アナバチ郡] (Spheciformes) > セナガアナバチ科 (Ampulicidae) |author2=幾留秀一 |author3=寺山守 |id={{国立国会図書館書誌ID|000002897579}}・{{全国書誌番号|20079042}}}}
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'''百科事典・辞典'''
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'''論文など'''
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[カリバチ]]
* [[寄生バチ]]
* [[寄生バチ]]


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[[Category:ハチ]]
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[[Category:日本の外来種]]

2023年7月19日 (水) 14:12時点における版

サトセナガアナバチ
分類
: 動物界 Animalia
: 節足動物門 Arthropoda
: 昆虫綱 Insecta
: 膜翅目 Hymenoptera
亜目 : ハチ亜目 Apocrita
下目 : Aculeata[1]
上科 : ミツバチ上科 Apoidea[2]
: セナガアナバチ科 Ampulicidae[2]
: セナガアナバチ属 Ampulex[3]
: サトセナガアナバチ Ampulex dissector[3]
学名
Ampulex dissector
(Thunberg1822)[3]
シノニム
Ichneumon dissector Thunberg, 1822[4]
Ampulex amoena Stål, 1857[4]
Ampulex novarae de Saussure, 1867[4]
Ampulex consimilis Kohl, 1893[4]
Ampulex japonica Kohl, 1893[4]
Chlorampulex novarae (de Saussure, 1867)[4]
和名
サトセナガアナバチ[3]
英名
Cockroach hunting wasp[5]

サトセナガアナバチ Ampulex dissector (Thunberg, 1822) [注 1]は、膜翅目ハチ亜目(細腰亜目)ミツバチ上科セナガアナバチ科セナガアナバチ属に分類されるハチの一種[3]

日本では本州以南に生息するハチで、主に家屋性ゴキブリの若虫(幼虫)を狩り、自身の幼虫の餌にするカリバチである[3]。ゴキブリ類の天敵であり[7]、また衛生害虫であるゴキブリを狩ることから、益虫とみなされている[8][9]

過去にはアカアシセナガアナバチ、もしくは単にセナガアナバチ[6](背長穴蜂)[10]の和名で呼称されていたが、1999年平成11年)に「サトセナガアナバチ」と改称され[注 2][6]、それ以降は「サトセナガアナバチ」が標準和名とされている[3][12][6]

名称

前胸部が前方に長く伸びる点が特徴で[3]、その点から「セナガアナバチ」と命名された[13]。セナガアナバチは漢字で「背長穴蜂」と表記される[14]

分布

日本では本州・四国九州および対馬種子島[15]屋久島[注 3]に分布する[17]。日本国外では朝鮮半島台湾中国インド[注 4]スリランカ東南アジアに分布する[15]

古くは沖縄ないし琉球を分布域として含んだ文献もあったが、1980年代以降は島名などの具体的な記録や、確実な採集例がないことから、沖縄への分布を疑問視する指摘が複数なされたため、1980年代後半以降の文献では分布地から「沖縄」が削除されることが多い[6]。須田 (2011) も自身の調査結果から、本種は沖縄(中琉球から南琉球)には分布していないだろうと結論づけている[6]

日本国内における分布

本来は日本には生息していなかったが、寄主のゴキブリとともに何らかの形で日本国内へ侵入した外来種と考えられている[18]。侵入経路については「熱帯地方・台湾由来」「朝鮮半島由来」の2説が提唱されているが[19]、前述のように本種は琉球諸島では確認されていないため、台湾から琉球諸島経由で侵入した可能性については否定的な見解がある[18][19]。1936年の報告では、産地は大阪・下関天草対馬・台湾とされていたため、須田 (2011) は中国・朝鮮半島から対馬・天草諸島(九州)を経由して本州に侵入したという仮説を提唱している[18]。また侵入の経緯については、南蛮船で熱帯地方から日本にやってきたとする説[注 5][18]最終氷期に朝鮮半島 - 九州間に形成された陸橋を伝って日本列島に侵入したとする説[19]が提唱されている。

1940 - 1950年代の文献では大阪ないし京都が北限とされ[注 6]、1960年代以降(2011年時点)では主に中部地方以西(ないし中部地方以南)とされていた[注 7][18]。しかし関東地方神奈川県でも1960年代から記録が相次ぎ[注 8][23]、2010年には東京都でも新たに採集された[注 9][22]。藤丸篤夫 (2023) は、関東地方では神奈川県・東京都・埼玉県で生息が確認されていると述べている[24]

吉川公雄・飯田吉之助 (1956) は、本種の分布が東に広がりつつあることは、本種にとって主要な狩りの獲物となるクロゴキブリが同様に東へ分布を拡大しつつあるためと推察していた[25]

特徴

体長14 - 18 mm[注 10]で、体は金属光沢を伴う緑青色であり[注 11]、特に腹部は光沢が強い[15]。「セナガ」の種名の通り、前胸がくびれて長くなっている独特の形態をしている[24]。後脚腿節は先端部を除き赤褐色で、前胸背板中央には明瞭な縦溝があるほか、前翅の亜縁室は2室である[15]。腹端はオスでは丸みを帯びるが、メスでは細く尖っている[15]。同じ環境に生息するルリジガバチ Chalybion japonicum と体色がよく似ているが、本種はルリジガバチよりやや小型である[26]

同属のミツバセナガアナバチ A. compressa Tsuneki, 1982 は琉球列島奄美大島石垣島西表島)から記録されている[15]。ミツバセナガアナバチは体長13 - 20 mmで、体色は金属光沢を伴う青藍色となり[注 12]、本種とは「脚は全体黒色で、腿節が暗色・脛節は青藍色である点」「前胸背板中央の縦溝が痕跡的である点」「前翅の亜縁室が3室からなる点」で区別できる[27]。また本種は主に家屋性ゴキブリを狩る一方、ミツバセナガアナバチは森林性のゴキブリを狩ると考えられている[15]。また、台湾には同科に属するアオセナガアナバチ Trirhogma cnerulea Westwood が生息している[28]

生態

人工飼育下における本種の生態は同属のエメラルドゴキブリバチ A. compressa と類似している[29]

生息環境は寄主のゴキブリが生息していることが絶対条件だが、人の往来がほとんどない静かな場所(公園の巨木・農家の物置・廃屋など)に多い[23]。神奈川県・東京都では、イチョウサクラウメケヤキなどの大きな老木(幹の樹皮に裂け目があったり、樹洞や腐朽部があったりする生木および立枯木)で確認されているが、このような老木はゴキブリの隠れ家になっていることも多い[22]

成虫は5月中旬 - 10月中旬にかけて活動する[15]。吉川公雄 (1957) によれば成虫は年3化性で[30]、須田 (2011) によれば、関東地方では(オスが5 - 6月と9月に確認されていることから)初夏と盛夏に発生する2化性と考えられている[23]。前者の文献によれば、まず前年に産まれ、蛹で越冬した個体が6月ごろに羽化すると、彼らの子供(2世代目)が7月末から8月ごろにかけて羽化し、直ちに繁殖を開始する[30]。3世代目は9月の中下旬に羽化して繁殖を行うが、この時に産まれた4世代目の個体は蛹で越冬する(後述[30]。雌雄とも気温が高い時間帯に活発に活動する[23]

成虫は、大顎でクサギクロガネモチの樹幹を傷つけ、滲み出る樹液を吸ったり、その途中でアリが接近すると大顎で威嚇したり、追い掛け回したりする事例が観察されている[5]。またカイガラムシアブラムシの分泌物や[31]アブラゼミニイニイゼミが口吻を突き刺して吸汁した穴から滲み出る樹液を吸うことも報告されている[32]。人工飼育下では蜂蜜も食べる[32]

オスはメスの背面に乗って交尾する[32]

繁殖

本種は特別な巣は造らず、物の隙間などに獲物を引き込んで産卵する[7]。巣穴として用いる場所は、古い木造住宅の土壁と木の隙間などで[33]、台所の棚の隅・戸棚の食器などを用いる場合もある[34]

本種のメス成虫が狩る幼虫の餌は、主に家屋性ゴキブリ(クロゴキブリワモンゴキブリコワモンゴキブリなど)[注 13]の若虫(幼虫)である[15]。クロゴキブリの場合は成虫や老熟幼虫は襲わず、中齢幼虫(6 - 8齢)のみを狩ることがわかっている[35]。獲物の大きさは平均体長16.5 - 20.1 mm、前胸幅6.5 - 7.1 mmである[36]

狩り

メス成虫は樹皮の1つ1つの窪みを丁寧に調べながらパトロールを繰り返すが、この行動は獲物となるゴキブリや、巣(ゴキブリの格納場所)を事前に探すことが目的である[23]。またメスは素早く動けるよう、樹幹の日向で静止して太陽光を浴びることで体温を上昇させ、樹皮の裂け目などに潜んでいるゴキブリを捕まえようとしているとする観察記録もある[37]。メスは獲物となるゴキブリを見つけると、獲物の胸部・腹部の背板を咥えて斜め後ろから腹部を曲げ、前方に伸ばして後脚・中脚の間から腹端を挿入し[38]、刺針[39](毒針)[34]で(3 - 20秒ほど)獲物の胸部を刺す[38]。さらに前脚基節の付け根を後方から刺し、獲物を弱らせ抵抗できなくする[38]。そして頸部下面を60 - 80秒ほど刺し、その後は触角基部を咥えて再び頸部下面を刺すほか、相手が抵抗する場合はその度に頸部下面を刺すが、巣を探し始めてからはそれ以上獲物を刺すことはない[38]。ゴキブリが小さい場合には腹部末端の尾節の辺りを噛み、胸部関節を刺す場合もある[25]

その後、獲物の一方の触角を咥え上げ、5 mm程度のところで引きちぎり、その傷口から滲み出る体液を何回か吸収してから、もう一方の触角を同様に切断する[38]。すると獲物から離れるが、あまり遠くまでは行かない[38]。巣を発見するまでの間に、獲物を簡単な暗所(隙間・石の下など)に運び込む場合もあるほか、目的地を決めないまま少しずつ運んだり、狩猟した位置に放置したまますぐ巣を探す場合もある[38]。巣として適当な場所を発見すると、獲物の触角基部を咥えて後ろ向きに牽引し[注 14]、2、3回の休憩を挟んで巣まで獲物を運ぶ[39]

獲物を運び終わると後ろ向きに巣へ侵入し、45 - 80秒かけて獲物の中脚基節(基節付け根の膜質部の上かその近く)に産卵する[39]。卵は全長が平均2.0 - 2.9 mmで、直径は平均0.9 mmである[40]。産卵箇所は、ゴキブリが歩行して脚を動かしても潰されたり、振り落とされたりしない場所で[41]、ゴキブリから見て横向きに、卵の頭端を側方に正中線側に向けて産み付ける[40]。産卵箇所が左右どちらになるかは、攻撃時に麻痺させた側に関係すると思われる[40]。メス成虫は産卵後に巣から出ると、獲物の後脚跗節を噛み上げるか、腹端に大顎を当てて巣の奥へ押しやり[39]、再び巣に入って大顎で巣の近くにあるもの(木片・砂粒など)を運んで入口まで詰め、時々翅で表面を均して硬くする[42]。狩猟開始 - 封鎖作業終了までは短ければ1時間で終了するが、麻痺させた獲物を翌日巣に運び込んで産卵する場合もある[注 15][42]

狩猟・産卵は1日1回とは限らず、加茂 (1957) は1日で同一のメス成虫が2、3回産卵した事例を報告している[42]。また通常は獲物1頭に対して1個のみ産卵するが、稀に2個目の卵を背面側に産み付ける場合もある[30]。メス成虫により麻痺させられ卵を産み付けられたゴキブリは、刺激に反応したり、ひっくり返すと起き上がったりするほか、摂食行動はできるが、自ら歩行することはできない(いわゆる「不完全永久麻痺」の状態)[43]。このため、自ら間隙から這い出すことはできないとされる[25]。吉川公雄 (1958) によれば、たとえ産み付けられた卵が孵化しなくても麻痺させられたゴキブリは完全な行動はできず、やがて死亡すると報告している[30]。一方、麻痺から回復したクロゴキブリ幼虫が羽化したと思われる事例も報告されている[43]

吉川 (1958) の飼育実験により、本種は未交尾のメスのみによる処女生殖も可能であるが[注 16]、処女生殖によって生まれた卵の孵化率は低いこと、また処女生殖によって産まれた個体はすべてオスになることが報告されている[44]

幼虫の成長

卵は産卵されてから3 - 5日[42]、もしくは40時間で孵化し、全発育期は約36日である[43]。夏季なら産卵から約1日で孵化するとする文献もある[45]

孵化後、幼虫は約1週間で4齢幼虫まで成長する[45]。成長幼虫は孵化してから4 - 5日間は産卵場所となった基節基部の膜質部からゴキブリの体液を吸収する[42]。その後、その膜質部を食い破って体の一部分をゴキブリの体内に挿入し、外骨格だけになるまで食べ尽くしてから頭部を外に出す[注 17][42]。そして外骨格をわずかに食べると、1日間かけて糸を引いてを作り[42]蛹化する[45]。蛹化から羽化までの期間、および繭を作り始めてから成虫が羽化・脱出するまでの期間は、いずれも約1か月である[43][45]。秋遅くに蛹化した個体はそのまま蛹で越冬[注 18][45]、翌年6月ごろに羽化して繁殖する[30]

羽化した新成虫が成熟するまでの期間は15日以上と推測される[注 19]

人間との関わり

本種が狩りの対象とする家住性ゴキブリは衛生害虫として知られる種であるため[47]、本種は益虫とみなされている[8][9]。しかし、獲物が若虫に限定されることから、天敵としての利用価値は低いと考えられている[31]

一方、本種は人間にとっても有毒である[48][49]。しかし、本種と近縁なジガバチ類の毒はさほど強いものではない[50]

第二次世界大戦以前は、台湾以南の熱帯地方ではごく普通に家の中で見られた昆虫であった[41]

種の保全状況評価

本種は以下の県でレッドリストの指定を受けている。

本種は鉄筋家屋などの密閉された家屋には適応できない[33]。山口県宇部市ではかつて、木製の電柱や人家の板壁などを徘徊する本種がよく見られたが、2000年代前半ごろにはほとんど見かけられなくなっていた[26]。減少の要因としては、新建材による住宅建築様式の変化や、電柱のコンクリート化、また衛生状態の改善により、餌となるゴキブリが減少したことなどが考えられている[26]。また、伊丹市昆虫館兵庫県伊丹市)の研究報告 (2018) でも「1950年代前半までは家屋内(特に台所)で普通に見られる身近なハチだったが、住宅構造の変化により見られなくなった」とされる[53]神戸大学農学部大学院生・浜西洋の研究によれば、兵庫県の神戸阪神地方(神戸市東灘区御影地区・西宮市など)では阪神・淡路大震災発生前に国道43号沿線の木造家屋・神社で本種の巣が数十か所確認されていたが、震災後に現地調査を行ったところ、巣があった建物はすべて崩壊していたこと、そして再建家屋は本種が適応できない鉄筋家屋が多いと見られていたことから、浜西は同地方で本種が全滅した可能性を危惧していた[33]

一方で須田博久 (1999) は1998年7月29日、それまで過疎地を中心に探しても見つけられなかった本種を新大阪駅南口広場で偶然目撃したという自身の経験から、「どうやら今や市街地のほうがゴキブリが増えて棲みやすくなったのであろうか。」と述べている[54]

脚注

注釈

  1. ^ かつては A. novaraeA. japonica , A. amoena などの学名が使用されていた[6]
  2. ^ 山根正気・幾留秀一・寺山守 (1999) はそれまで和名のなかった多数の膜翅目の種に新和名を命名するととともに、多数の改称も行い[11]、本種もその一環で「セナガアナバチ」から「サトセナガアナバチ」に改称されている[12]
  3. ^ 屋久島で記録されたとする文献について、須田博久 (2011) は「表で種子島と見間違えたものと思われる」と述べていたが[6]、前田拓哉が2007年6月に屋久島で本種を採取し、2011年8月にも島内で本種を確認したため、屋久島にも分布していることが確認された[16]
  4. ^ 北隆館 (1995) では「北部インド」とされている[7]
  5. ^ かつて熱帯の港に寄港した南蛮船に乗り、船室に多かった寄主のゴキブリを狩って繁殖しながら日本の港に運ばれ、土着したとする説で、岩田久二雄は本種が初めて見つかった場所の多くが西日本の古くからの港町であることや、田舎よりも海に近い都市に多かったことから、この説を提唱していた[18]
  6. ^ 岩田久二雄 (1974) によれば、太平洋戦争後は京都市内で普通種だった[18]
  7. ^ 信太利智 (1991) は、本州南岸では静岡県まで分布が知られていた旨を述べている[20]。また、須田 (1999) は自身の知る限りの情報として、日本の北限は愛知県福井県であるが、福井県の記録は疑問視されていると述べている[21]
  8. ^ 小田原市で1962年に初めて確認され、横浜市では磯子区で1983年に、旭区大池町で2009年に記録されている[22]。また、1991年5月30日には信太利智により、三浦半島東岸部(横須賀市久比里)で雌雄各1頭が採取されている[20]
  9. ^ 東京都では港区白金台(1949年 - 1951年、詳細不明)および文京区白山(2004年)から記録があるほか[23]、2010年9月1日には中野区中野でオス成虫3頭が採集され、都内における初採集記録となった[22]
  10. ^ 北隆館 (1995) では「15 - 18 mm」[7]
  11. ^ 須田 (1999) は本種を「美麗種」と評している[21]
  12. ^ 青みの強い個体・紫みの強い個体がいる[15]。ミツバセナガアナバチについて、北隆館 (1995) は「美しいハチ」と評している[7]
  13. ^ 須田 (2011) は関東地方では、クロゴキブリだけでなく在来種であるヤマトゴキブリも狩猟の対象になる可能性を示唆している一方、チャバネゴキブリは小型のため対象外になるだろうと述べている[23]
  14. ^ この時、獲物(ゴキブリ)は多少抵抗を示すが、ハチに引っ張られながらついていく[39]
  15. ^ 吉川らの飼育記録によれば、穴を塞ぐまでに1時間20分を要した[40]
  16. ^ 単為生殖を行う単独性の狩りバチとしては、本種以外にヒメバチ類も知られている[30]
  17. ^ ゴキブリはセナガアナバチの幼虫により、体内に頭部を挿入されて体を食べられ始めてもしばらくは生存し、初めのうちは触れると足を動かすが、やがて刺激への反応が鈍くなり[43]、最終的には死亡する[41]
  18. ^ 吉川公雄・飯田吉之助 (1956) は、1956年8月末から10月にかけて繭を作った幼虫たちが同年内に羽化しなかったことを報告している[40]。これらの蛹6頭のうち、羽化した4頭はいずれも6月(3日 - 14日)に羽化した[46]
  19. ^ 郡場央基 (1957) は、自身の飼育・観察結果から、9月19日に羽化したメス成虫は10月4日になってもまだ狩猟本能を現さなかったと述べている[43]
  20. ^ 山口県のレッドデータブック(2002年版)では絶滅危惧II類に指定されていたが[26]、2019年版では「情報不足」となっている[52]

出典

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参考文献

図鑑など

百科事典・辞典

論文など

関連項目