「メキシコグランプリ」の版間の差分
2022年開催後の状態に更新 |
m Bot作業依頼: 「中村良夫」の各記事の改名に伴うリンク修正依頼 (中村良夫 (技術者)) - log |
||
40行目: | 40行目: | ||
===ホンダ初優勝の地=== |
===ホンダ初優勝の地=== |
||
{{F1|1965}}の最終戦[[1965年メキシコグランプリ|メキシコGP]]では[[ホンダF1|ホンダ]][[ホンダ・RA272|RA272改]]をドライブした[[リッチー・ギンサー]]が初勝利。これは後年隆盛を誇った[[タイヤ]]メーカーの[[グッドイヤー]]とホンダにとっても初勝利となり、記念すべきものとなった。当時のチーム力では優勝どころか入賞すらままならない状態であったが、当GPより監督に復帰した[[中村良夫 ( |
{{F1|1965}}の最終戦[[1965年メキシコグランプリ|メキシコGP]]では[[ホンダF1|ホンダ]][[ホンダ・RA272|RA272改]]をドライブした[[リッチー・ギンサー]]が初勝利。これは後年隆盛を誇った[[タイヤ]]メーカーの[[グッドイヤー]]とホンダにとっても初勝利となり、記念すべきものとなった。当時のチーム力では優勝どころか入賞すらままならない状態であったが、当GPより監督に復帰した[[中村良夫 (技術者)|中村良夫]]が戦時中に[[中島飛行機]]で[[航空用エンジン]]の開発に関わっていたため、ガソリン混合比など低気圧環境下でのエンジンセッティングにおいて有利であったことが、優勝を獲得できた要因であった。そのアドバンテージは、レース終了後にギンサーが「終始マシンをセーブしていた」とコメントを残すほど大きなものであった。 |
||
===復活へ=== |
===復活へ=== |
2023年2月8日 (水) 05:58時点における版
エルマノス・ロドリゲス・サーキット | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 71 |
コース長 | 4.304 km (2.674 mi) |
レース長 | 305.354 km (190.846 mi) |
開催回数 | 23[注 1] |
初回 | 1962年 |
最多勝利 (ドライバー) | マックス・フェルスタッペン (4)[注 1] |
最多勝利 (コンストラクター) |
ロータス (4) レッドブル (4)[注 1] |
最新開催(2022年): | |
ポールポジション |
マックス・フェルスタッペン レッドブル-RBPT 1:17.775 |
決勝順位 |
1. マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ 1:38:36.729 2. ルイス・ハミルトン メルセデス +15.186s 3. セルジオ・ペレス レッドブル-RBPT +18.097s |
ファステストラップ |
ジョージ・ラッセル メルセデス 1:20.153 |
メキシコグランプリは、1963年から1970年、1986年から1992年、2015年からメキシコ合衆国の首都、メキシコシティ近郊のエルマノス・ロドリゲス・サーキットで開催されるF1のレースの一つである。2019年以前はメキシコグランプリとして開催されていたが、後述の理由により、2020年以降はメキシコシティグランプリ(メキシコシティGP, 英: Mexico City Grand Prix, 西: Gran Premio De La Ciudad De México[1])という名称へ変更された[2]。
概要
高地
サーキットが2300メートルを超える高地にあるため空気が薄く、NAエンジンの場合エンジン出力が15%程度落ち、更にマシンの空力効果も落ちるためにチーム力が試されるサーキットであった。そのため、ターボとNAエンジンの混走期には、ターボエンジンにとって有利なサーキットであった。1992年のレース後に観客がコースになだれ込む事件が起き、安全上の観点から問題視された上、主催者の資金不足もあり中止された。
ホンダ初優勝の地
1965年の最終戦メキシコGPではホンダRA272改をドライブしたリッチー・ギンサーが初勝利。これは後年隆盛を誇ったタイヤメーカーのグッドイヤーとホンダにとっても初勝利となり、記念すべきものとなった。当時のチーム力では優勝どころか入賞すらままならない状態であったが、当GPより監督に復帰した中村良夫が戦時中に中島飛行機で航空用エンジンの開発に関わっていたため、ガソリン混合比など低気圧環境下でのエンジンセッティングにおいて有利であったことが、優勝を獲得できた要因であった。そのアドバンテージは、レース終了後にギンサーが「終始マシンをセーブしていた」とコメントを残すほど大きなものであった。
復活へ
カンクンにヘルマン・ティルケ設計のサーキットを新設し、2007年から再びグランプリを開催する計画が持ち上がったが、一旦立ち消えとなったものの、2011年8月にカルロス・スリム・ドミット氏が近い将来メキシコグランプリ開催に向けて動き出していることを明らかにした。そして2014年シーズンより22年ぶりにメキシコシティで復活開催される予定だったが、サーキットの改修工事が間に合わないため2015年シーズンに延期となった。
メキシコシティGPとして開催開始
開催契約が切れる2019年にメキシコ政府が財政援助の打ち切りを示唆したため、2020年以降の開催が危ぶまれていたが[3]、メキシコ出身のドライバーであるセルジオ・ペレスの存在もあって民間からの支援が集まり、加えてメキシコシティ市からのサポートもあり、新たに2022年までの開催契約が結ばれた。併せてメキシコシティ市のサポートを強調することから正式名称を「メキシコシティグランプリ」に改めることになった[2]。しかし、初年度の2020年は新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため中止となり[4]、翌2021年に持ち越された初の「メキシコシティGP」でペレスが3位に入賞し、メキシコ人ドライバー初の母国GP表彰台を達成した[5]。翌2022年もペレスが3位表彰台を獲得し、チームメイトのマックス・フェルスタッペンがF1史上最多となる年間14勝目を挙げた[6]。
なお、ペレスの父で政治家のアントニオ・ペレス・ガリベイと投資家グループは、メキシコシティに加えて2024年からカンクンでの開催についてFIA及びF1との交渉を進めている[7]。
過去の結果と開催サーキット
メキシコGP
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | コンストラクター | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1962 | 11月 | 4日非選手権 | メキシコシティ | トレバー・テイラー ジム・クラーク |
ロータス-クライマックス | 詳細 |
1963 | 11月 | 3日9 | メキシコシティ | ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | 詳細 |
1964 | 10月25日 | 10 | メキシコシティ | ダン・ガーニー | ブラバム-クライマックス | 詳細 |
1965 | 10月24日 | 10 | メキシコシティ | リッチー・ギンサー | ホンダ | 詳細 |
1966 | 10月23日 | 9 | メキシコシティ | ジョン・サーティース | クーパー-マセラティ | 詳細 |
1967 | 10月22日 | 11 | メキシコシティ | ジム・クラーク | ロータス-フォード | 詳細 |
1968 | 11月 | 3日12 | メキシコシティ | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 詳細 |
1969 | 10月19日 | 11 | メキシコシティ | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 詳細 |
1970 | 10月25日 | 13 | メキシコシティ | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 詳細 |
1971 - 1985 |
開催されず | |||||
1986 | 10月12日 | 15 | メキシコシティ | ゲルハルト・ベルガー | ベネトン-BMW | 詳細 |
1987 | 10月18日 | 14 | メキシコシティ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ-ホンダ | 詳細 |
1988 | 5月29日 | 4 | メキシコシティ | アラン・プロスト | マクラーレン-ホンダ | 詳細 |
1989 | 5月28日 | 4 | メキシコシティ | アイルトン・セナ | マクラーレン-ホンダ | 詳細 |
1990 | 6月24日 | 6 | メキシコシティ | アラン・プロスト | フェラーリ | 詳細 |
1991 | 6月16日 | 6 | メキシコシティ | リカルド・パトレーゼ | ウィリアムズ-ルノー | 詳細 |
1992 | 3月22日 | 2 | メキシコシティ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ-ルノー | 詳細 |
1993 - 2014 |
開催されず | |||||
2015 | 11月 | 1日17 | メキシコシティ | ニコ・ロズベルグ | メルセデス | 詳細 |
2016 | 10月30日 | 19 | メキシコシティ | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
2017 | 10月29日 | 18 | メキシコシティ | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-タグ・ホイヤー | 詳細 |
2018 | 10月28日 | 19 | メキシコシティ | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-タグ・ホイヤー | 詳細 |
2019 | 10月27日 | 18 | メキシコシティ | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
メキシコシティGP
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | コンストラクター | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
2020 | 新型コロナウイルス感染症の世界的流行により中止 | |||||
2021 | 11月 | 7日18 | メキシコシティ | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-ホンダ | 詳細 |
2022 | 10月30日 | 20 | メキシコシティ | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-RBPT | 詳細 |
優勝回数(ドライバー)
(2勝以上)
回数 | ドライバー | 優勝年 |
---|---|---|
4 | マックス・フェルスタッペン[注 1] | 2017, 2018, 2021, 2022 |
3 | ジム・クラーク | 19621, 1963, 1967 |
2 | アラン・プロスト | 1988, 1990 |
ナイジェル・マンセル | 1987, 1992 | |
ルイス・ハミルトン | 2016, 2019 |
- 太字は2022年のF1世界選手権に参戦中のドライバー。
- ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
- ^1 トレバー・テイラーと車両をシェアして優勝した。
優勝回数(コンストラクター)
(2勝以上)
回数 | コンストラクター | 優勝年 |
---|---|---|
4 | ロータス | 1962, 1963, 1967, 1968 |
レッドブル[注 1] | 2017, 2018, 2021, 2022 | |
3 | マクラーレン | 1969, 1988, 1989 |
ウィリアムズ | 1987, 1991, 1992 | |
メルセデス | 2015, 2016, 2019 | |
2 | フェラーリ | 1970, 1990 |
- 太字は2022年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
- ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
優勝回数(エンジン)
(2勝以上)
回数 | メーカー | 優勝年 |
---|---|---|
5 | ホンダ[注 1] | 1965, 1987, 1988, 1989, 2021 |
3 | クライマックス | 1962, 1963, 1964 |
フォード * | 1967, 1968, 1969 | |
メルセデス | 2015, 2016, 2019 | |
2 | フェラーリ | 1970, 1990 |
ルノー | 1991, 1992 | |
タグ・ホイヤー ** | 2017, 2018 |
- 太字は2022年のF1世界選手権に参戦中のメーカー。
- ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
- * コスワースが製造。
- ** ルノーが製造。
脚注
注釈
出典
- ^ “Mexico City Grand Prix 2021 - F1 Race”. formula1.com. 2021年11月8日閲覧。
- ^ a b “メキシコでのF1開催契約が2022年まで延長。正式名称はメキシコシティGPに”. motorsport.com (2019年8月9日). 2019年8月11日閲覧。
- ^ “メキシコGP主催者、開催継続に必要な財政を保証できず。2019年限りでカレンダー脱落の可能性が浮上”. www.as-web.jp (2019年3月5日). 2021年11月9日閲覧。
- ^ “F1、ニュルブルクリンク/ポルティマオ/イモラでの開催を発表。アメリカ大陸でのグランプリは断念”. autosport web (2020年7月24日). 2021年11月9日閲覧。
- ^ “ペレス、母国での初表彰台も”ちょっぴり残念”「ワンツーフィニッシュを狙えるペースはあった」”. motorsport.com (2021年11月8日). 2021年11月8日閲覧。
- ^ “止める者なしフェルスタッペン、歴代最多の年間14勝。メルセデス力及ばず……角田裕毅は接触DNF|F1メキシコシティGP”. motorsport.com (2022年10月31日). 2022年11月1日閲覧。
- ^ “F1、2024年にカンクンGP追加開催の可能性…一枚噛むのはセルジオ・ペレスの父”. Formula1-Data (2021年8月4日). 2021年11月8日閲覧。
関連項目
外部リンク
- フォーミュラ1公式ウェブサイト(英語のみ)