「近藤道生」の版間の差分
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[[神奈川県]][[小田原市]]出身。旧制小田原中学校(現:[[神奈川県立小田原高等学校]])、[[武蔵高等学校 (旧制) |旧制武蔵高校]]を経て、[[1942年]]7月に[[高等文官試験]]行政科に合格、同年9月に[[東京大学法学部|東京帝国大学法学部]][[政治学科]]を卒業<ref name=":0">{{Cite web |title=近藤 道生 |url=https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/author/68413 |website=日経の本 日本経済新聞出版 |accessdate=2022-03-16 |language=ja |publisher=日本経済新聞出版}}</ref>。同年同月、[[大蔵省]]に入省して<ref name=":0" />[[理財局]]に配置される。[[高等文官試験|高等試験]]は100番前後で入省成績も[[相澤英之]]が最下位で近藤がブービーだといわれていた<ref>『官界,第8巻、第5~8号』行政問題研究所、1982年発行、1982年発行</ref>。入省直後に[[海軍経理学校]]補修学生、海軍主計見習尉官となる(いわゆる短期現役組(短現組)9期) |
[[神奈川県]][[小田原市]]出身。旧制小田原中学校(現:[[神奈川県立小田原高等学校]])、[[武蔵高等学校 (旧制) |旧制武蔵高校]]を経て、[[1942年]]7月に[[高等文官試験]]行政科に合格、同年9月に[[東京大学法学部|東京帝国大学法学部]][[政治学科]]を卒業<ref name=":0">{{Cite web |title=近藤 道生 |url=https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/author/68413 |website=日経の本 日本経済新聞出版 |accessdate=2022-03-16 |language=ja |publisher=日本経済新聞出版}}</ref>。同年同月、[[大蔵省]]に入省して<ref name=":0" />[[理財局]]に配置される。[[高等文官試験|高等試験]]は100番前後で入省成績も[[相澤英之]]が最下位で近藤がブービーだといわれていた<ref>『官界,第8巻、第5~8号』行政問題研究所、1982年発行、1982年発行</ref>。入省直後に[[海軍経理学校]]補修学生、海軍主計見習尉官となる(いわゆる短期現役組(短現組)9期) |
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1943年1月に[[大日本帝国海軍|海軍]][[士官|主計]][[中尉]]<ref name=":0" />、1944年5月に同大尉<ref name=":0" />。カーニコバル島やペナン島に赴任した<ref name=":0" />。戦後、抑留と復員を経て<ref name=":0" />、1947年3月、大蔵省に復帰<ref name=":0" />。1956年12月27日、[[池田勇人]][[財務大臣 (日本)|大蔵大臣秘書官]](事務担当)。のち[[財務省大臣官房#秘書課|大臣官房秘書課長]]、[[銀行局#総務課|銀行局総務課長]]、[[大阪国税局#歴代大阪国税局長|大阪国税局長]]を歴任し、1968年6月7日に[[財務省大臣官房#官房長|大臣官房長]]、1970年3月3日に[[銀行局#銀行局長|銀行局長]]となり、[[1972年]]より[[国税庁|国税庁長官]]に就任。銀行局長在任時代の1971年、戦後初の大型銀行合併である、[[第一銀行]]・[[日本勧業銀行]]の合併([[第一勧業銀行]]、現:[[みずほ銀行]])に関与した<ref name="nikkei20100705">{{cite news |title=元博報堂社長の近藤道生氏が死去|author= |agency=|publisher=日本経済新聞 |date=2010-7-5|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNNSE2INK02_V00C10A7000000/|accessdate=2019-06-17}}</ref>。 |
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2023年1月7日 (土) 06:29時点における版
こんどう みちたか 近藤 道生 | |
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生誕 |
1920年2月2日 神奈川県小田原市 |
死没 | 2010年6月30日(90歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部政治学科 |
職業 | 軍人、官僚、実業家 |
配偶者 | あり |
近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て博報堂代表取締役社長を務めた。1982年聖シルベステル騎士団長勲章、1992年勲一等瑞宝章、1993年日本宣伝賞大賞を受賞。
来歴・人物
神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、旧制武蔵高校を経て、1942年7月に高等文官試験行政科に合格、同年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業[1]。同年同月、大蔵省に入省して[1]理財局に配置される。高等試験は100番前後で入省成績も相澤英之が最下位で近藤がブービーだといわれていた[2]。入省直後に海軍経理学校補修学生、海軍主計見習尉官となる(いわゆる短期現役組(短現組)9期)
1943年1月に海軍主計中尉[1]、1944年5月に同大尉[1]。カーニコバル島やペナン島に赴任した[1]。戦後、抑留と復員を経て[1]、1947年3月、大蔵省に復帰[1]。1956年12月27日、池田勇人大蔵大臣秘書官(事務担当)。のち大臣官房秘書課長、銀行局総務課長、大阪国税局長を歴任し、1968年6月7日に大臣官房長、1970年3月3日に銀行局長となり、1972年より国税庁長官に就任。銀行局長在任時代の1971年、戦後初の大型銀行合併である、第一銀行・日本勧業銀行の合併(第一勧業銀行、現:みずほ銀行)に関与した[3]。
1975年7月より博報堂代表取締役社長の福井純一が自ら副社長に降格して、近藤を社長に迎えた[1]。博報堂としても国税庁長官経験者としても異例の就任であった。その後、瀬木博政前会長の告訴を受けた東京地検特捜部により福井が特別背任で逮捕されたが、近藤は社長になってから売上高を前年比173億円に押し上げた。1983年、博報堂代表取締役会長。1994年2月1日より博報堂代表取締役。2002年6月25日より同社最高顧問[1]。
2010年6月30日、急性心不全により死去。90歳没[3]。
著書
- 『茶ごころ』新潮社、1996年。ISBN 4104108014
- 『平心庵日記 失われた日本人の心と矜恃』角川書店、2001年。ISBN 4048837052
- 『国を誤りたもうことなかれ(角川oneテーマ21) 』角川グループパブリッシング、2006年。ISBN 4047100641
- 『茶の湯がたり、人がたり』淡交社、2008年。ISBN 4473035360
- 『不期明日(ミヨウニチヲキセズ)私の履歴書』日本経済新聞出版社、2009年。ISBN 4532167256
映画作品
脚注
外部リンク
- 近藤道生 - 日本映画データベース
- 近藤道生 - allcinema
- 近藤道生 - KINENOTE
- 近藤道生 - MOVIE WALKER PRESS
- 近藤道生 - 映画.com
- Michio Kondo - IMDb
官職 | ||
---|---|---|
先代 吉国二郎 |
国税庁長官 1972年 - 1973年 |
次代 安川七郎 |
先代 青山俊 |
大蔵省銀行局長 1970年 - 1972年 |
次代 吉田太郎一 |
先代 亀徳正之 |
大蔵省大臣官房長 1968年 - 1970年 |
次代 澄田智 |
先代 岩尾一 大田満男(心得) |
大阪国税局長 1965年 - 1966年 |
次代 高木文雄 |
先代 青山俊 高橋俊英(局長兼務) |
大蔵省銀行局総務課長 1963年 - 1965年 |
次代 田代一正 |
先代 森鼻武芳 |
大蔵省大臣官房秘書課長 1960年 - 1963年 |
次代 高木文雄 |