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ほぼ全域にわたって、総延長60キロメートルの[[木道]]<ref name="朝日20221027">【PHOTOいまむかし】木道60キロ冬は違う風景『[[朝日新聞]]』朝刊2022年10月27日(地域総合面)</ref>が整備され、木道以外の場所を歩けないようにして、湿原保護を図っているのも尾瀬の特徴である。長さ4メートル、幅50センチメートルほどの木板をつなげ、湿原に降りなくてもすれ違えるよう複線になっている<ref name="朝日20221027"/>(右側通行)。1952年頃、ぬかるんだ湿原を歩きやすくするため、[[丸太]]が置かれたのが始まりで<ref name="朝日20221027"/>、。しかし1960年代、当時尾瀬で唯一すぐ近くの富士見峠まで自動車で行くことができた、尾瀬地域で最も標高の高い湿原の一つであるアヤメ平が、単線の木道しか設置されていなかったために、行き違いが出来ずに湿原に降りた多くの登山者により踏み荒らされるようになった。これを契機に、[[1966年]]から尾瀬のほぼ全領域で計画的に複線の木道が整備されるようになり、木道以外の場所は歩けないようになった(一部の登山道を除く)。 |
ほぼ全域にわたって、総延長60キロメートルの[[木道]]<ref name="朝日20221027">【PHOTOいまむかし】木道60キロ冬は違う風景『[[朝日新聞]]』朝刊2022年10月27日(地域総合面)</ref>が整備され、木道以外の場所を歩けないようにして、湿原保護を図っているのも尾瀬の特徴である。長さ4メートル、幅50センチメートルほどの木板をつなげ、湿原に降りなくてもすれ違えるよう複線になっている<ref name="朝日20221027"/>(右側通行)。1952年頃、ぬかるんだ湿原を歩きやすくするため、[[丸太]]が置かれたのが始まりで<ref name="朝日20221027"/>、。しかし1960年代、当時尾瀬で唯一すぐ近くの富士見峠まで自動車で行くことができた、尾瀬地域で最も標高の高い湿原の一つであるアヤメ平が、単線の木道しか設置されていなかったために、行き違いが出来ずに湿原に降りた多くの登山者により踏み荒らされるようになった。これを契機に、[[1966年]]から尾瀬のほぼ全領域で計画的に複線の木道が整備されるようになり、木道以外の場所は歩けないようになった(一部の登山道を除く)。 |
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=== その他 === |
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[[File:Hatomachi Pass 03.jpg|thumb|220px|鳩待峠登山口に設置されている靴底の種子落としマットとそれを促す看板。<br />外来の植物が持ち込まれないよう努力がなされているが、看板の周りには[[オオバコ]]などの移入植物が多く見られる。]] |
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主な登山口には種子落しマットが設置され、外来植物が極力尾瀬に持ち込まれない努力がなされている。 |
主な登山口には種子落しマットが設置され、外来植物が極力尾瀬に持ち込まれない努力がなされている。 |
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2022年11月28日 (月) 23:59時点における版
尾瀬(おぜ)は、福島県(南会津郡檜枝岐村)、新潟県(魚沼市)、群馬県(利根郡片品村)の3県にまたがる高地にある盆地状の高原であり、阿賀野川水系最大の支流只見川の源流域となっている。中心となる尾瀬ヶ原は約1万年前に形成されたと考えられる湿原である。尾瀬国立公園に指定され、日本百景に選定されている。
概要
尾瀬は活火山である燧ケ岳の噴火活動によってできた湿原であり、ミズバショウやミズゴケなど湿原特有の貴重な植物群落が見られる。また、世界的にも珍しい、ナガバノモウセンゴケの大群落を中心とする、尾瀬・食虫植物大群落もある[1]。ほぼ全域が国立公園特別保護地域および特別天然記念物に指定されており、歩道以外への立ち入りが厳しく制限され、ごみ持ち帰り運動の発祥地であるなど、日本の自然・環境保護運動の象徴でもある。
一般的に尾瀬とは、尾瀬ヶ原のほか、尾瀬沼や至仏山、燧ヶ岳などが含まれる国立公園特別保護地域を指すが、広義には、国道401号片品川沿いの登山口駐車場を「尾瀬駐車場」と呼んだり、その近隣のスキー場を「スノーパーク尾瀬戸倉」と呼ぶなど、登山口周辺地域を尾瀬と呼ぶこともある。大清水や御池なども尾瀬と云うことがある。
地理
至仏山、燧ヶ岳、景鶴山、中原山などの2000メートル級の山に全方向を囲まれた盆地である。東側が上流域にあたる尾瀬沼で標高1660 m、西側の下流域にあたる尾瀬ヶ原が標高1400 m。尾瀬沼と尾瀬ヶ原周辺に湿原が多い。沼や湿原は只見川の源流となっており、尾瀬ヶ原の水は全て只見川として流れ出て平滑の滝、三条の滝などを下り阿賀川に合流する。東西約6 km、南北3 km。特別保護地域の面積はおよそ8690 ha。
尾瀬ヶ原の湿原と拠水林
尾瀬ヶ原の湿原は「拠水林」によっていくつかに分割されている。拠水林とは、湿原の外部から湿原を貫通して流れる川の両側に成立している林のことである。湿原の外部から流れてくる川は多くの土砂を運び、川の両側に自然堤防を形づくり、そこだけは樹木の成長が可能となる。ただし、全ての川に拠水林が成立するわけではない。小規模な川は湿原に流入直後の短い距離にしか拠水林を作れない川が多い。また、湿原内に湧き出た泉を水源とする川にも拠水林は成立しない。
拠水林によって尾瀬ヶ原の湿原は、いくつかに分割されており、それぞれに独自の名称がついている。川上川と上ノ大堀川に囲まれた「上田代」。上ノ大堀川とヨッピ川、沼尻川に囲まれた「中田代」。沼尻川と只見川に囲まれた「下田代」が主な湿原であるが、周囲にも「背中アブリ田代」や「ヨシッ堀田代」、「赤田代」などの湿原があり、至仏山や燧ヶ岳の山頂から尾瀬ヶ原を展望するとモザイク状に拠水林によって分割されている様子がわかる。
気候
標高約1400 mの高地に位置し、亜寒帯湿潤気候である。夏は冷涼、冬は非常に寒さが厳しく、-30 °C近くまで下がることもあり、1995年(平成7年)12月28日には尾瀬沼で-31.0 °C、山の鼻で-30.0 °Cが観測されている。冬季の降雪量が多い日本海側気候であるが、太平洋と日本海の分水界でもあり、太平洋側気候の特色も持つ。
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均気温(C) | -7.6 | -6.7 | -3.4 | 2.0 | 7.0 | 12.4 | 16.6 | 17.2 | 13.2 | 6.9 | 1.1 | -4.3 | 4.6 |
降水量(mm) | 149.5 | 142.4 | 133.5 | 85.1 | 101.8 | 139.8 | 173.8 | 190.8 | 204.8 | 157.3 | 113.9 | 182.7 | 1775.1 |
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
鬼怒沼(2020m) | -10.3 | -10.1 | -6.7 | -0.3 | 5.8 | 9.9 | 14.4 | 15.4 | 10.6 | 4.5 | -1.6 | -6.3 | 2.2 |
八島原(1630m) | -8.7 | -8.9 | -4.5 | 2.6 | 7.5 | 13.0 | 16.1 | 17.4 | 13.3 | 8.0 | 2.2 | -6.8 | 4.3 |
周辺の山
尾瀬沼の近辺に至仏山、燧ヶ岳があり、周辺には日光白根山、帝釈山、平ヶ岳、武尊山などの山がある。
至仏山 | 燧ヶ岳 | 日光白根山 | 武尊山 |
---|
周辺の峠
源流の河川
以下の源流となる只見川水系の河川は日本海へ流れ、利根川水系の河川は太平洋へ流れる。
歴史
数十万年前から1万年前までの間に周辺の火山活動により川がせき止められ、盆地が形成されたと考えられている。最初期に成立したのは尾瀬ヶ原で、かつてここは湖で、後の堆積により湿地になったと考えられていた。しかし、1972年にボーリング調査が行われた結果、地下81mまでの場所では、ここに湖があったという証拠が得られなかった。このため、尾瀬ヶ原の成立については不明であるが、現在は盆地に堆積した土砂によって平坦な湿原が形づくられたとする説が有力になりつつある。
約1万年前に、火山の燧ケ岳が誕生した。火山活動による溶岩などによって、盆地の東半分がせき止められ、これにより尾瀬沼が成立したと考えられている。
このようにして尾瀬ヶ原と尾瀬沼が成立した頃は氷期であり、周辺では寒冷地の植物が自生していた。その後、氷期が終了し、温暖な時代になると、南方から温暖地に住む植物が勢力を伸ばしてきたため、それまでこの地にいた植物たちは、次第に北へ後退していった。しかし、尾瀬は、高原の盆地という特殊な地理条件のため、他地域の植物があまり入り込まず、氷期に生育していた植物がそのまま現在も自生している。尾瀬の植物には、尾瀬以外ではロシアが南限というものが多く存在する。ただし、気候的には他の南方系植物も十分に生育可能なため、尾瀬へは他地域の植物の種子が入り込まないよう、特に監視がされている。
やがて文字による歴史の時代になるが、尾瀬はあまりにも奥地のため、ほとんど記述が残っていない。
群馬県と福島県との間には尾瀬を経由して会津沼田街道が通っており、1600年頃は交易が盛んに行われていた。
年表
- 同年、平野長蔵らが当時は処女峰だった燧ケ岳の登頂に成功したというのが、比較的古い記録である。渡邉千吉郎が1894年に残した記録によれば、尾瀬の南にある戸倉村(現在の片品村戸倉)と、北にある檜枝岐村は、江戸時代から尾瀬沼の東岸で交易を行っていた。小さな小屋を建て、そこに村の特産物を置き、代わりに向かいの村の産物を持って帰ったという。
- 1890年 平野が尾瀬沼西端の沼尻(ぬしり/ぬじり)に小屋を建てる。燧ケ岳への山岳信仰のための参籠の場であり、現代では尾瀬開山の年と位置付けられている[4]。
- 1903年 尾瀬原ダム計画が明らかになると、平野は沼尻の小屋に定住を始める。
- 1908年(1910年説あり) 平野が尾瀬沼西端の沼尻に尾瀬で最初の山小屋「長蔵小屋」を建設。その後、平野は尾瀬沼の漁業権を取得し、ヒメマスなどの養殖を試みるが失敗した。なお、長蔵小屋は1915年に尾瀬沼東岸に移動した。
- 1920年 長蔵小屋が尾瀬沼一帯を風致保護林へ指定するように陳情活動を行う。後に840haが指定[5]。
- 1922年(大正11年) 関東水電(後の東京電力、現:東京電力ホールディングス)が水利権を取得。尾瀬原ダム建設が計画される。
- 1934年(昭和9年) 日光とともに日光国立公園に指定。
- 1938年 国立公園特別地域に指定。
- 1944年 取水工事開始(1949年竣工)。尾瀬沼から片品側の三平峠に向けて水力発電用の水を通すトンネルが完成する。
- 1949年 NHKが、ラジオ歌謡として作詞家江間章子・作曲家中田喜直に制作依頼して作られた尾瀬の自然を歌った曲『夏の思い出』を発表し放送。この曲のヒットにより尾瀬は一躍有名になり、多くの観光客が訪れるようになる。
- 1952年 福島県側で木道の整備が始まる。
- 1953年 国立公園特別保護地区に指定。
- 1956年 天然記念物(天然保護区域)に指定。
- 1960年 特別天然記念物に指定。
- 1967年 尾瀬沼でのボート、釣りが禁止される。
- 1970年 尾瀬沼東岸を通り、片品村から檜枝岐村を結ぶ県道沼田只見線(現・群馬県道・福島県道1号沼田檜枝岐線)の建設が開始されるが、自然保護運動により翌年、計画は中断される。
- 1971年 尾瀬周辺を通過する奥鬼怒スーパー林道が着工される。なおこの林道は、のちに尾瀬周辺を通らないよう設計変更されて竣工した。
- 1972年 ゴミ持ち帰り運動開始。翌年までに尾瀬のゴミ箱が全て撤去される。撤去されたゴミ箱の数は、東京電力関連会社の尾瀬林業が管理していたものだけで1400個。
- 1974年 沼山峠、鳩待峠のマイカー規制開始。
- 1981年 国道401号が制定施行。
- 1989年(平成元年) 尾瀬西端の至仏山登山道のうちの一つが、自然保護を理由に閉鎖される。なおこの登山道は、1997年に供用が再開された。JTBが雑誌『旅』1989年9月号の誌上において「尾瀬」を日本の秘境100選の一つとして福島県、新潟県、群馬県に亘る地域を選定。
- 1996年 東京電力が尾瀬ケ原水利権更新を断念し、尾瀬原ダム計画は正式に消滅。尾瀬沼の水利権は2011年1月時点も保持し、取水トンネルにより利根川水系片品川に導水したものを水力発電に利用している。これにより尾瀬沼の水位は低下したままである。一部に尾瀬沼の水利権放棄との情報もあるが、間違いである。
- 1999年 沼山峠側で乗り合い自動車以外の自動車の乗り入れが通年通行禁止。
- 2005年10月21日に、日本政府は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)が指定する湿地の候補として国内での登録を終え、11月8日の同第9回会議において正式に決定された。
- 2007年 日光国立公園から尾瀬地域を分離、会津駒ケ岳等を編入し単独で尾瀬国立公園となる。
- 2008年 大江湿原のニッコウキスゲで、鹿による食害が深刻化。
- 2009年 『読売新聞』7月18日付で、至仏山の登山道周辺がかなり裸地化したと報じる。
- 2020年 尾瀬の保護活動主体が、東京電力ホールディングスから東京電力リニューアブルパワーに移行される。
自然保護運動
尾瀬では自然保護運動が盛んであり、これらの運動の一部は尾瀬の後に他地域で実践されるようになったものも多い。このため、これらの活動について列挙する。なお、自然保護を目的として1972年には群馬県尾瀬憲章が制定。1996年には尾瀬保護財団が設立されている。
反ダム運動
最初期の自然保護運動は、尾瀬原ダム計画の反対運動であった。尾瀬沼のほとりに住んでいた平野長蔵は、一人でこれに反対。発電所の建設に反対するために、尾瀬への定住を始めたという。実際には、発電用施設は尾瀬沼南岸に取水口が一つ建設されたのみで、それ以外は建設されなかった。1956年に尾瀬地域が天然記念物に、1960年には特別天然記念物に指定され、その時点で発電所計画は事実上不可能になっていたものの、東京電力は1966年まではこの地に発電所建設計画を持っていた。また、それ以降も太平洋側への分水路建設計画は残されていた。東京電力が発電所建設や分水路建設計画を正式に断念するのは1996年になってのことである。
ただし現在でも尾瀬地域の群馬県側は全てが東京電力ホールディングス(HD)の所有地である。現在、東京電力HDから保護活動を継承した東京電力リニューアブルパワー、また東京電力HD子会社の東京パワーテクノロジー(旧尾瀬林業)は、木道の建設や浄化槽式トイレの建設、湿原の復元など、環境省や各自治体と並び尾瀬を守る活動の主体の一つとなっており、東京パワーテクノロジーは尾瀬地域の5つの山小屋の経営母体でもある。
道路建設反対運動
尾瀬が有名な観光地になると、自動車で乗り入れができる観光ルートの建設が開始された。1960年代当時、自動車で入山できる場所は富士見峠しかなかったが、この後、鳩待峠、沼山峠が整備され、峠の頂上付近まで自動車で乗り入れることができるようになった。この後、三平峠と沼山峠を結ぶ自動車道の建設が始まるが、建設開始直後の1971年7月25日、平野長蔵の子孫の平野長靖が当時の環境庁長官大石武一に建設中止を直訴。5日後、大石が平野とともに現地を視察すると、直後に建設は中止された。竣工した道路の一部は1998年までに廃道になった。
ごみ持ち帰り運動
ごみ持ち帰り運動も、尾瀬が元祖であるとされる。それまで尾瀬には多くのゴミ箱が設置されていたが、ごみの処理に苦労していたうえ、ごみ箱はすぐに溢れたため、入りきらなかったごみはごみ箱周辺に散乱し、風などで周囲に飛散していた。ごみ持ち帰り運動は「逆転の発想」として1972年に開始され、翌年までには全てのごみ箱が撤去された。この運動はその後他の地域にも広まっていった。また、それまでは不燃ごみは穴を掘って埋めることが多かったが、それらの「過去のごみ」も順次発掘のうえ上尾瀬の外に搬出する作業が、ボランティアも交えて行われている。だが埋められたごみが膨大なうえ樹木の根に絡みついて倒壊を招きかねないため完全には撤去しきれておらず、後述する屎尿を処理した汚泥とともに尾瀬の外への搬出はヘリコプターが使われている[4]。
廃棄物の処理
ごみ以外の廃棄物も原則として尾瀬には廃棄しないのも特徴である。公衆トイレの排泄物などは、合併浄化槽で液体部分は排水しても問題ないレベルまで処理して放流し、固体部分は脱水・乾燥処理しヘリコプターで回収している。排水をパイプライン輸送を通して尾瀬外の河川に流すトイレもある。ただ、合併浄化槽を運転するために、24時間自家発電の運転が必要となり、維持コストがかさむために、1回使用あたり100円から200円のチップ制になっている。尾瀬はほとんどの山小屋に風呂が設置されているが、現在は汗を流すだけで石鹸・シャンプーは使用できない。食器洗いの際も汚れは極力ふき取り処理が行われており、洗剤の使用は最低限に抑えられている。これは、これらの生活排水などが自然環境に影響を与えると考えられているためである。
こうした配慮をしても、現在20ほどある山小屋は環境への負荷を考えると多すぎるという指摘もある[4]。
自動車乗り入れの制限
1999年には自然保護を理由に、乗合自動車以外の自動車の乗り入れが一部禁止された。規制は数年かけて徐々に強化されており、2008年現在、群馬県側の鳩待峠口では5月中旬から7月末および10月初めから中旬の全日と8・9月の週末は自家用車の乗り入れができなくなっている。また、福島県の沼山峠口では通年自家用車の乗り入れができなくなっている。その他、かつて唯一峠まで自動車で登ることができ、1960年代は最も多くの登山者が利用した富士見峠は、後述するアヤメ平の保護のために、富士見下から富士見峠間について通年許可車以外の通行はできなくなっている。
尾瀬の木道
ほぼ全域にわたって、総延長60キロメートルの木道[6]が整備され、木道以外の場所を歩けないようにして、湿原保護を図っているのも尾瀬の特徴である。長さ4メートル、幅50センチメートルほどの木板をつなげ、湿原に降りなくてもすれ違えるよう複線になっている[6](右側通行)。1952年頃、ぬかるんだ湿原を歩きやすくするため、丸太が置かれたのが始まりで[6]、。しかし1960年代、当時尾瀬で唯一すぐ近くの富士見峠まで自動車で行くことができた、尾瀬地域で最も標高の高い湿原の一つであるアヤメ平が、単線の木道しか設置されていなかったために、行き違いが出来ずに湿原に降りた多くの登山者により踏み荒らされるようになった。これを契機に、1966年から尾瀬のほぼ全領域で計画的に複線の木道が整備されるようになり、木道以外の場所は歩けないようになった(一部の登山道を除く)。
かつての木道は尾瀬周辺の林で伐採した木材が利用されていた。しかし、尾瀬地域が特別天然記念物に指定されるなどして、この方法は使えなくなり、その後は地域外の木材をヘリコプターなどで搬入して利用している。最近の木道はカラマツ材が使われることが多い。カラマツは樹脂が多く、湿原の水分に浸された状態でも比較的長持ちするが、豪雪などで劣化が進むため10年前後で更新が必要となり、コンクリート製が試用されたこともあった[6]。閑散期にヘリコプターで資材を搬入し、手作業で順次置き換えている[6]。廃材の一部は、中心部の朽ちていない部分が各種木材製品に転用されている。また檜枝岐村はクラウドファンディングで資金を募り、会津駒ケ岳で新しい木道を整備している[6]。
木道の設置・更新工事は、現在は福島県域では福島県によって、群馬県域では群馬県と東京電力リニューアブルパワーによって、新潟県域では東京電力リニューアブルパワーによって行われている。木道の表面には設置・更新年を示す焼印が木道一本ずつに押されている。この焼印はたとえば2007年(平成19年)設置のものなら群馬県設置のものは「群H19」、福島県設置のものは「福H19」、東京電力設置のものは「(東京電力ロゴ[注釈 1])H19」と記されており、設置者と設置年が明らかになっており、更新の参考になっている。
木道はかつては湿原に横板を介して直接置かれたものがほとんどであった。しかし低層湿原部分などで、大雨のあとの増水時などに冠水しやすい部分や、融雪期に雪解け水で冠水しやすい部分は、橋梁状の地面からの高さが高いものに作り直されている。
木道の単線あたりの幅は、ほとんどの場所で約50cmで、幅広の木材を2枚使ったものから、幅の狭い木材4枚を使ったもの、その中間の3枚の木材を使ったものまである。群馬県側の大清水の湿原と、福島県側の御池登山口の湿原には車椅子対応の幅150cmのものが設置されている。段差をなくし、車いすが落ちないように両端に車止めを付けるなどの配慮がなされている。歩行者の少ない地域では単線の木道だけの場所や、幅30cm程度の狭い木道が設置されている場所もある。
なお、複線木道整備のきっかけになったアヤメ平は1966年から群馬県が復元事業を開始、また1969年からは東京電力グループの尾瀬林業も復元事業を実施している。採取した種子をまき、高山植物を現地で栽培するという方式をとり、2008年時点も、復元作業は継続されている。2010年10月23日に、NHK総合テレビジョンの番組『小さな旅』で、木道の修復の様子が放送された[7]。
観光・登山
尾瀬はほとんどの場所に木道が整備されており、湿原だけを回る場合は標高差は最大でも260m程度であり、歩行はそれほど困難ではない。
登山道から木道があることから、軽装の観光客も多いが、現地は山岳地帯であり、同じ群馬県内の高崎市などの平野部と比べて気温も10℃以上差がある。多くの人が訪れる初夏のミズバショウの季節は残雪も多く、気象の変化により急激に気温が低下することもある。中央分水嶺付近に位置することなどから夏の山の天気は崩れやすく、雨天時や雨天後は木道が水没していることもある。
木道区間がほとんどであるため、タウン用のスニーカーなどで訪れる人も多いが、雨や残雪などで濡れた木道は特に滑りやすい。また、雨天後の雨水や融雪により木道が冠水していることもあるため、登山やハイキングに適した靴や雨具などの装備が必要とされる。
ツキノワグマが生息しており、過去に観光客が襲われた事例もあるが、環境省が尾瀬に2つ設置したビジターセンターはツキノワグマに対し正しい知識を持って対処すれば危険は低減できる事を、ポスターや掲示板などで知らせている。
携帯電話は従来はほとんどの場所でサービスエリア圏外となっていた。これは「尾瀬で携帯電話ができると雰囲気が悪くなる」との意見があったため、あえて基地局の設置を行っていなかったためであるが、その後の情勢の変化により、2017年9月にまずKDDIが尾瀬ヶ原の山小屋周辺で「4G LTE」の電波の受信ができる携帯電話を使えるように工事を行った。2018年以降、順次尾瀬沼など周辺地域にも拡大し、21の山小屋全てで携帯通話・通信が可能になる予定である[8]。このほかに山小屋や休憩所では公衆無線LANサービスも提供されている。公衆電話は多くの山小屋等にあるものの、衛星公衆電話なので通常の公衆電話よりも通話料が高額となる。
山小屋などの施設
尾瀬沼の東端及び尾瀬ヶ原の西端には、ビジターセンター[9]と国民宿舎がある。
尾瀬は広大であり日帰りで一周することは非常に難しいため、湿原内に多くの山小屋が設置されており、全ての山小屋が事前予約制をとっている。これは、予約制でない時代に多くの登山者が詰めかけ収容人員をはるかに上回る事態となったためであり、自然保護のための入山規制の意味合いもある。山小屋は、鳩待峠、山の鼻、竜宮、ヨシッ堀田代、見晴、赤田代、尾瀬沼東岸、三平下、大清水、御池、七入の各地区に存在する。多くの山小屋は、昼間もカレーや麺類など軽食を出す休憩所や記念品、飲料などを販売する売店としても営業している。山小屋以外にも管理人が常駐し、軽食の提供や売店を営業する有人の休憩所が各所にある。山小屋の物資はヘリコプター輸送のほか、尾瀬ヶ原地区では生鮮食料品などはボッカにより輸送されている[注釈 2]。そのため、シーズン中は毎日郵便物の取集があり、主要な山小屋には期間を限って郵便ポストが設置される。なお、ポストによっては現在はボッカではなく依託された郵便物取集人が取集を行っている。
- キャンプ指定地
キャンプは指定された3箇所(山の鼻、見晴、尾瀬沼東岸)で可能であるが、国立公園であるため指定地以外では禁止されている。尾瀬沼野営場は尾瀬沼ヒュッテでの予約が必要である。
- 公衆トイレ
公衆トイレは山小屋の存在する場所に設置されている。チップ制が採用され、使用料(1回100円程度、沼尻では200円)を入口の箱に投入するというようなシステムになっている。
その他
主な登山口には種子落しマットが設置され、外来植物が極力尾瀬に持ち込まれない努力がなされている。
山の鼻と尾瀬沼畔にはビジターセンターが設置され、尾瀬の自然の紹介と、自然保護活動の啓蒙を行っている。スライドショーや観察会等も行われる。なお、山の鼻ビジターセンターは群馬県が、尾瀬沼ビジターセンターは環境省が設置しているが、両センターの運営管理とも現在は尾瀬関係3県によって設立された財団法人尾瀬保護財団が運営管理を行っている。
近年、ニホンジカが増加し、ニッコウキスゲなどの花芽が食べ尽くされ、極端に開花が少なくなる場所が増えるなどの影響が起こり始めている。1995年頃から尾瀬に現れたニホンジカは2008年には約300頭にまで増加し、頭数の調整のため環境省は特別保護地域内での捕獲を認める方針を示している。2009年には4月から11月にかけて、福島県内の特別保護区域などで駆除に乗り出したが、捕獲数は16頭にとどまった。これは面積が広いことと、現地におけるシカの処理、搬出などが重労働であるため効率があがらないためという[10]。
2003年、長蔵小屋が周辺に廃材などの廃棄物を不法投棄していたことが判明。2004年、従業員2名に執行猶予付きの有罪判決が下され、山小屋には罰金120万円が命じられた。
2021年8月、尾瀬ガイド協会の公式Twitterにて差別的な内容を含む投稿が問題視され、尾瀬ガイド協会はウェブサイトで謝罪した[11][12]。これに関して公益財団法人尾瀬保護財団も抗議文を送付し、「セクシャルハラスメント、容姿による差別(ルッキズム)、女性差別、民族差別、人種差別など、看過することができない人権侵害であると同時に、ガイドの利用に当たって特定の方々に強い不安を与えてしまう」と指摘した[11][13]。
交通・アクセス
現地には自動車道は通っていないため、登山口からは徒歩で行くことになる。主な登山口は群馬県側が鳩待峠、富士見峠、大清水(三平峠)の3箇所で、福島県側が御池・沼山峠の2箇所。このほか新潟県側からの入山口(越後口)がある。バス停から尾瀬までの行程が短い鳩待峠と沼山峠の2つの入山口からの入山者が多く、これら2箇所では前記のように自家用車乗り入れ規制がある。特に東京方面からの便が良く峠まで自動車が上がるため体力的に楽な鳩待峠からの入山が半数以上を占めている。
- マイカー利用時
自家用車の場合、群馬県側は、片品村戸倉の尾瀬第一駐車場(有料)、尾瀬第二駐車場(並木駐車場)(有料)に止め、そこから路線バスまたは乗合タクシーで登山口である鳩待峠に向かう。乗車券はバスと乗り合いタクシーは共通であり、頻発運転により利便性を確保している。福島県側からは、御池駐車場(有料、規制期間によっては使用不可のことあり)、七入駐車場(無料)に止め、同様に路線バスなどを利用する。これらの駐車場のほか、大清水駐車場(有料)、鳩待峠駐車場(規制時は使用不可)、富士見下駐車場(無料)がある。このうち、鳩待峠駐車場は狭いため規制期間中は使用できず、また規制期間外でも満車の時が多い。しかも自然保護を理由として周辺よりも高い駐車料金となっている。
- 公共交通機関利用時
電車・バスを利用する場合、群馬県側は上越新幹線上毛高原駅または上越線沼田駅から鳩待峠行バス連絡所行きまたは大清水行きのバスを利用。福島県側からは、野岩鉄道・会津鉄道会津高原尾瀬口駅から沼山峠行きバスを利用する。なお、東武鉄道がシーズン中の週末を中心に浅草駅から会津高原尾瀬口駅まで夜行列車(尾瀬夜行)を走らせている(沼山峠行きの連絡バスに接続する)ほか、関越交通もバスタ新宿(新宿駅前)および東京駅前から大清水行き高速バスを走らせている(戸倉で鳩待峠行きのシャトルバスに乗り換えられる)。 このほかに、上越線浦佐駅から奥只見ダム行きのバスに乗り、そこから定期船で尾瀬口、尾瀬口から定期バス(予約制)で小沢平・御池・沼山峠まで行く方法があるが、バスの本数が非常に少ない(1日2本(繁忙期のみ3本))こと、積雪のために開通が6月上旬になることから、このルートを利用する場合は、関係各機関に問い合わせるなど、事前の準備を十分に行う必要がある。
最も利便性の高い鳩待峠や沼山峠からでも、バスの終点から尾瀬の湿原までは徒歩で1時間ほどかかる。なお冬季は降雪により、冬山経験者以外の訪問は困難である。
関連画像
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尾瀬ヶ原、上田代の池塘と燧ヶ岳。
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左から順に尾瀬沼、燧ケ岳、尾瀬ヶ原。手前の谷は三条ノ滝から奥只見湖(銀山湖)に繋がる只見川最上流部。
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阿賀野川水系最大の支流只見川源流部。最奥の山並みは赤城山。
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尾瀬の空撮写真
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三条の滝
脚注
注釈
出典
- ^ 清水清「食虫植物のひみつ」『科学のアルバム』(あかね書房、1972年)pp.10-11、p47
- ^ 尾瀬の気候と準備
- ^ 鬼怒沼の位置と気候
- ^ a b c 「尾瀬を未来へ 50年の今」『日本経済新聞』朝刊2021年12月5日9-11面
- ^ 下川耿史『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』(河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067)p.339
- ^ a b c d e f 【PHOTOいまむかし】木道60キロ冬は違う風景『朝日新聞』朝刊2022年10月27日(地域総合面)
- ^ NHK総合テレビ『山の歌・秋はるかな尾瀬へ』 [リンク切れ]
- ^ 国内初、尾瀬国立公園の全山小屋内における携帯電話のエリア化を開始 KDDIニュースリリース
- ^ 2つのビジターセンター 尾瀬保護財団(2022年11月6日閲覧)
- ^ 2009年の駆除については、『新潟日報』2010年1月4日紙面による。
- ^ a b “「アフガニスタンに比べれば幸せ」尾瀬ガイド協会、不適切投稿を謝罪...保護財団は「人権侵害」と抗議”. J-CASTニュース (2021年8月24日). 2021年8月24日閲覧。
- ^ “差別的投稿の経緯・問題点・今後の方針”. 尾瀬ガイド協会 (2021年9月2日). 2021年9月3日閲覧。
- ^ “尾瀬ガイド協会の公式Twitterにおける相次ぐ差別的発言について”. 尾瀬保護財団 (2021年8月23日). 2021年8月24日閲覧。
関連項目
- 日本の重要湿地500
- 武田久吉:「尾瀬の父」と呼ばれる植物学者、登山家。
- 竹内純子:東電時代に尾瀬の自然保護に尽力した。
- 日本の湖沼一覧
- 覚満淵、玉原高原:「小尾瀬」と呼ばれる湿原がある。
- 上毛かるた:「せ」の札において「仙境尾瀬沼 花の原」と読まれる。
- 観光公害#オーバーツーリズム
外部リンク
- 尾瀬保護財団
- 環境省_尾瀬国立公園
- 尾瀬ヶ原 - 尾瀬檜枝岐温泉観光協会
- 尾瀬とTEPCO - 東京電力ホールディングス株式会社
座標: 北緯36度56分13.2秒 東経139度15分3.68秒 / 北緯36.937000度 東経139.2510222度