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「台湾省」の版間の差分

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* 中華民国の公式な行政区分については[[中華民国の行政区分]]
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* 現在の中華民国の実効支配地域([[台湾地区]])の行政区分については[[台湾の行政区分]]
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* [[1885年]]から[[1895年]]まで[[清]]が設置していた行政区分の台湾省については[[清朝統治時代 (台湾)]]
* [[1885年]]から[[1895年]]まで[[清]]が設置していた行政区分の台湾省については[[清朝統治時代台湾]]
* 中華人民共和国の「台湾省」については[[台湾省 (中華人民共和国)]]
* 中華人民共和国の「台湾省」については[[台湾省 (中華人民共和国)]]



2021年12月24日 (金) 20:52時点における版

台湾省
臺灣省
中華民国の旗 中華民国

1945年 - 2018年
旗 紋章
紋章
台湾の位置
台湾の位置
台湾省(赤色)
政庁所在地 台北市(1945–1956)
南投県中興新村(1956–2018)
無し(2018–)
政府 台湾省行政長官公署(1945–1947)
台湾省政府(1947–2018)
省主席
 - 1945–1947 陳儀 (省行政長官)
 - 1947–1949 魏道明 (初代省主席)
 - 1993–1998 宋楚瑜 (虚省化当時の省長)
 - 1998–2000 趙守博中国語版 (虚省化後初代の省主席)
 - 2017–2018 呉澤成中国語版 (最後の省主席)
立法府 台湾省参議会(1946-1951)
台湾省臨時省議会(1951-1959)
台湾省議会(1959-1998)
台湾省諮議会(1998-2018)[1]
歴史
 - 台湾光復 1945年10月25日
 - 虚省化 1998年12月20日
 - 事実上の廃止 2018年7月1日[2][3]
行政区画 3省轄市、11(2020年時点)
現在 中華民国の旗 中華民国
中興新村にあった台湾省政府庁舎

台湾省(たいわんしょう)は、中華民国の設置するの一つ。1945年から2018年[4]までは行政組織が存続していたが、2019年から予算ゼロ[4]となり事実上廃止された。台湾問題を抱える中華人民共和国も名目上同名の省を設置しているが、組織的な関連性は全く無い。

概要

二・二八事件を契機として1947年[5]に台湾省政府が設置された。当初は台湾島澎湖諸島(台澎地区)の全域を管轄としていたが、1967年以降に台北市高雄市新北市台中市台南市桃園市が順次直轄市へ昇格したため、管轄範囲が大幅に縮小していった。なお、中華民国政府1955年以降も実効支配し続ける台湾地区(中華民国自由地区)と大部分の範囲が被っているが、福建省金門島烏坵島及び馬祖列島(金馬地区)を一度も含んでいない点が異なる。

設置当初、省政府は管轄地区の地方自治を担う存在だった。だが、中国国民党一党独裁体制下にある台湾国民政府が省内で戒厳令を敷き続けたため、中華民国憲法の規定に大きな制約が加えられ、地方自治行政は有名無実化していた。戒厳解除後の1990年代には政治の民主化が進んだが、同時に中央政府の行政効率化も進められ、1998年以降は地方自治体としての機能を「凍結」(停止)させられ、中央政府(行政院)の出先機関に変質した。

地理

台湾省は略称を「台」(たい)と称し、中国大陸とは台湾海峡を隔てた場所に位置する台湾島の大部分、澎湖諸島、及び尖閣諸島(中国名:釣魚台列嶼)を領域とする。ただし、尖閣諸島は日本沖縄県の一部として実効支配しているため、統治権が及んでいない。

北は東シナ海、東は太平洋、南西は南シナ海に面しており、北西は台湾海峡を挟んで福建省と、東は日本と、南はバシー海峡を挟んでフィリピンと接している。

台湾島の地理についての詳細は、台湾#地理を参照のこと。

沿革

前史

1683年に台湾澎湖諸島を自国領に編入した朝は、当初は台湾・澎湖を独自の行政区分とせず、既存の福建省に所属させていた。だが、19世紀後半に列強帝国主義政策が中国にまで影響を与えるようになると、日本等に対する国防上の観点から清朝は台湾の必要性を認識し、1885年に台湾・澎湖を福建省から分離して福建台湾省を新設した。しかし、1895年日清戦争で清が日本に敗北すると、下関条約によって清朝は台湾と澎湖諸島を日本に割譲することが取り決められ、福建台湾省は設置からわずか10年で廃止された。その後、日本政府は台湾・澎湖を日本領台湾として台湾総督府の統治下に置いたが、1945年に第二次世界大戦で日本が敗北したことによって、台湾は連合国の委託を受けて台湾に進駐してきた中華民国軍の統治下に入り、50年にわたる台湾総督府の統治が終焉した(台湾光復)。

台湾国民政府時代

台湾に軍を進駐させた中華民国・南京国民政府は、1943年カイロ宣言における取り決めを基にして台湾を自国領に編入し、台湾省行政長官公署1945年)や台湾省議会1946年)を設置して統治に当たらせていた。しかし、行政長官公署の統治に対して台湾住民は反発を募らせていき、1947年には 二・二八事件が勃発するまでになった。その為、中華民国政府は事件鎮圧後に行政長官公署を廃止し、1947年5月17日に台湾省を設置することで台湾の統治体制をより強固なものとしていった。だが、 国共内戦における中華民国軍の敗北によって、 1949年10月1日中国共産党中華人民共和国政府を建国すると、南京国民政府は中央政府機構を同年12月に全て台湾島へ移して共産党との内戦を続け、同時に冷戦における共産主義の防波堤という役割も果たしていった。この間に、「共匪反乱鎮圧」を理由に南京国民政府は動員戡乱時期臨時条款1948年)や台湾省戒厳令1949年)を相次いで制定し、台湾省の自治機能に影響を与えていった。

中華民国の台湾省は、1947年の設置時点では朝時代の台湾省と所轄区域が同一であり、省都も台北市に置かれていた。しかし、1949年12月に国共内戦に敗れた南京国民政府が首都を台北市に移転し、1955年大陳島撤退作戦までに現在の自由地区以外の地域を中国人民解放軍に制圧されると、中華民国政府の統治区域と台湾省の統治区域がほぼ同一の区域として重複するようになり、台湾省政府が本来行うべき地方自治業務に支障を来すようになった(省の役割については中華民国の行政区分を参照)。台湾国民政府は地方行政の円滑化を目的として、1957年には省政府を台北市から台湾中部にある南投県南投市中興新村に移転した。更に1967年に台北市を、1979年高雄市をそれぞれ政府直轄市に格上げすることで台湾省から分離した。

中央政府と台湾省の所轄区域がほぼ一致して非効率であるにもかかわらず、台湾国民政府が台湾省を設置し続けたのは「中国全土を代表する政府」という立場を政府が採り続け、将来中国大陸の領土を奪還することを想定していたためである。

民主化と虚省化

その後1990年代になると李登輝総統(任期:1988年2000年)の民主化政策により、1994年に台湾省政府の首長である台湾省長が、1996年に中華民国総統が相次いで民選化された。しかし、これにより国土の97%、人口の85%(1997年[6])から選出される台湾省長の得票数が総統のものを上回る可能性が生じた。

政府は、1997年憲法増修条文第四次改憲によって、1998年12月20日をもって台湾省の省としての機能を「凍結」した。その結果、省政府は行政院の出先機関として中央政府に組み込まれ、同時に地方選挙で選出されていた省長と省議会もそれぞれ省主席と省諮議会に改組された。この一連の動きを、台湾では「虚省化」と呼んでおり、以降の省主席や諮議会議員は行政院長が指名し、総統が任命する研究・儀礼的活動が主な業務の存在となっている。

なお失職する省議員への救済策として、立法院の定数は台湾省議会の定数分増加し、164名から225名となった。これは2005年の第七次改憲によって立法委員定数が半数に削減されるまで続いた。

また、台湾省の下にあった5省轄市16県は、「凍結」以降は中央政府の内政部が直接監督することになった。ただし、省レベルの税収や業務は中央政府に移管され、県や省轄市の機能や財政に大きな変化はない。

省政府の機能が「凍結」された後も、台湾省の名は行政機関の名称等に残っていた。だが、行政機能の変遷と共に「台湾省」を名乗っていた一部機関等も徐々に改名されており、2007年5月には上水道事業を行う台湾省自来水公司(臺灣省自來水公司)から、2013年1月には台湾省北(中、南)区国税局(臺灣省北(中、南)區國稅局)から、それぞれ台湾省の名が外された。また、自動車ナンバーからも、2007年に登録地名自体が削除されたため、台湾省ナンバーが消滅した。

事実上の廃止

2018年7月1日、行政院は台湾省政府及び台湾省諮議会の新年度予算をゼロ[4]とし、事実上廃止した[2][7][8][9]中興新村の台湾省政府庁舎は国家発展委員会の建物として使用されている。憲法上に省[10]や省諮議会[11]の規定が残るのみであり、現在では実態を有さない。

なお、福建省も2018年12月31日付けで新年度予算がゼロとなったため、事実上廃止された[9]

現在でも、一部の民間団体は改名せずにそのまま台湾省を使い続けている(土木技師の職能団体である「台湾省土木技師公会」、会計士の職能団体である「台湾省会計士公会」など)。

行政区画

省政府の機能が「凍結」された時点で、中華民国台湾省の管轄行政区画は5省轄市16県だった。その後、2010年代に直轄市への格上げないし統合が行われ、2020年現在は3省轄市11県に減少している。

台湾省の行政区画図 区画名 区分 政府所在地
省轄市
基隆市の旗 基隆市 7区 中正区
新竹市の旗 新竹市 3区 北区
嘉義市の旗 嘉義市 2区 東区
新竹県の旗 新竹県 1市3鎮9郷 竹北市
苗栗県の旗 苗栗県 2市5鎮11郷 苗栗市
彰化県の旗 彰化県 2市6鎮18郷 彰化市
南投県の旗 南投県 1市4鎮8郷 南投市
雲林県の旗 雲林県 1市5鎮14郷 斗六市
嘉義県の旗 嘉義県 2市2鎮14郷 太保市
屏東県の旗 屏東県 1市3鎮29郷 屏東市
宜蘭県の旗 宜蘭県 1市3鎮8郷 宜蘭市
花蓮県の旗 花蓮県 1市2鎮10郷 花蓮市
台東県の旗 台東県 1市2鎮13郷 台東市
澎湖県の旗 澎湖県 1市5郷 馬公市
注:台湾島の6直轄市は、いずれも台湾省に属した経歴がある。台北市1967年まで省轄市だった。新北市2010年まで台北県、桃園市2014年まで桃園県、台中市は2010年に省轄市としての台中市と台中県が合併したもの、台南市は省轄市としての台南市と台南県が合併したもの、高雄市1979年まで省轄市としての高雄市で2010年に高雄県と合併した。

脚注

  1. ^ 自由評論網. “歷史上的今天》這個議會 再也不見! - 自由電子報 自由評論網”. talk.ltn.com.tw. 2020年7月14日閲覧。
  2. ^ a b 賴清德拍板!省政府7月1日解散、省級機關預算將歸零
  3. ^ 國家發展委員會 (2018年6月23日). “臺灣省政府走入歷史 國發會接續服務展新局”. 國家發展委員會. 2020年7月17日閲覧。
  4. ^ a b c 賴清德:108年省級機關預算全歸零 | 政治 | 重點新聞 | 中央社 CNA” (中国語). www.cna.com.tw. 2020年7月14日閲覧。
  5. ^ 檔案管理局 (2016年11月21日). “檔案管理局_檔案資源整合查詢平台_資源介紹詳細資料”. 檔案管理局, 國史館, 國史館臺灣文獻館, 中央研究院台灣史研究所, 中央研究院近代史研究所, 中央研究院歷史語言研究所, 國家圖書館, 國立台灣大學圖書館, 高雄市立歷史博物館, 新竹縣縣史館, 行政院文化建設委員會. 2020年7月14日閲覧。
  6. ^ 若林正丈『台湾の政治』219p(東京大学出版会 2008年)
  7. ^ "行政院第3606次院會決議" (Press release) (中国語(台湾)). 中華民國行政院. 28 June 2018. 2019年1月2日閲覧
  8. ^ 「資源の有効活用と行政の効率化のため」として行政院が2019年度予算から省級機関への予算配分をゼロにすると決定したため
  9. ^ a b “台湾当局が金門島にある「福建省政府」を年内で閉鎖―中国メディア”. Recordchina. (2018年12月30日). https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20181230019/ 
  10. ^ 憲法本文” (中国語). www.president.gov.tw. 2020年7月14日閲覧。
  11. ^ 憲法增修條文” (中国語). www.president.gov.tw. 2020年7月14日閲覧。

関連項目

外部リンク