彰化市
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別称: 半線、磺渓 | |
地理 | |
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座標: | 北緯24度04分 東経120度32分 / 北緯24.067度 東経120.533度 |
面積: | 65.6947 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 彰化 |
日本語読み: | しょうか |
拼音: | Zhānghuà |
注音符号: | ㄓㄤ ㄏㄨㄚˋ |
片仮名転写: | ジャンホワ/ジャンフア |
台湾語: | Tsiong-huà |
客家語: | Tsông-fa |
行政 | |
行政区分: | 県轄市 |
上位行政区画: | 彰化県 |
下位行政区画: | 73里1,340鄰 |
彰化市長: | 林世賢 |
公式サイト: | 彰化市公所 |
情報 | |
総人口: | 235,056 人(2016年1月) |
世帯数: | 75,503 戸(2016年1月) |
郵便番号: | 500 |
市外局番: | 04 |
彰化市(ジャンホワ/しょうか-し)は台湾彰化県の県轄市。彰化県政府の所在地である。
地理
[編集]緯度と経度:北緯24度04分 東経120度32分
行政区
[編集]地区 | 里 |
---|---|
南 | 延平里、建宝里、光南里、南瑶里、華陽里、永生里、南興里、介寿里、成功里、延和里、桃源里、大同里、彰安里、東興里、福安里、西安里、華北里 |
西 | 崙平里、莿桐里、民権里、五権里、西勢里、南美里、平和里、西興里、忠孝里、向陽里、磚磘里、万寿里、忠権里、南安里、富貴里、東芳里、長楽里、中央里 |
北 | 新興里、陽明里、信義里、万安里、中正里、光華里、下廍里、民生里、中山里、卦山里、興北里、光復里、龍山里、文化里、新華里、永福里 |
東 | 阿夷里、和調里、竹中里、三村里、福山里、香山里、福田里、茄苳里、古夷里、石牌里、竹巷里、台鳳里、中庄里、快官里、田中里、大竹里、国聖里、安渓里、牛埔里、茄南里、宝廍里、復興里 |
歴史
[編集]彰化市は昔、台湾原住民平埔族バブザ族の集落「ポアソア社」があったところで、台湾語音でそれを「半線(poaN3-soaN7,ポアソア)」と宛てた。諸羅県に帰属していた。後に清朝政府が「顕彰皇化」という意味を込めた「彰化」に改変した。
1684年、福建沿海居民がこの地に入植を開始し、1723年には諸羅県の中部百余里の地に県を設置する際に「彰化県」と命名され、これが彰化の地名の初見となる。彰化は大陸に近く、また鹿港が貿易の要衝であったことから、彰化は県の政治文化、商業中心地としての地位を占めた。
1895年に台湾が日本統治下に置かれた後、彰化は台中県彰化庁と改編され、その後台中庁と合併し台中支庁が設けられた。1920年には彰化郡が設置され、再び彰化が行政区域名として復活した。1933年に彰化街・南郭庄・大竹庄(おおたけ[1])の合併により市制を施行し、彰化市が誕生した。
1945年の台湾光復後、彰化市は台湾省の省轄市(現在の市)となったのち、1950年の地方改制により県轄市に改編されて現在に至る。
政治
[編集]行政
[編集]歴代市長
[編集]日本統治期
[編集]彰化市尹
[編集]代 | 氏名 | 就任年 | 退任年 | 備考 | |
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1 | 佐藤房吉 | 1933年12月 | 1935年8月 | ||
2 | 小山政三郎 | 1935年8月 | 1936年12月 | ||
3 | 安詮院貞熊 | 1936年12月 | 1939年4月 | ||
4 | 小島猛 | 1939年4月 | 1940年10月 |
彰化市長
[編集]代 | 氏名 | 就任年 | 退任年 | 備考 | |
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1 | 小島猛 | 1940年10月 | 1941年1月 | ||
2 | 大井又次 | 1941年1月 | 1944年1月 |
戦後期
[編集]省轄市(地方自治実施前)
[編集]代 | 氏名 | 就任年 | 退任年 | 備考 | |
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暫定 | 石錫勲 | 1945年 | 1945年 | ||
1 | 韋淡明 | 1945年 | 1945年11月26日 | ||
2 | 王一麐 | 1945年11月26日 | 1948年4月2日 | ||
3 | 陳錫卿 | 1948年4月2日 | 1950年10月21日 |
県轄市(地方自治実施後)
[編集]代 | 氏名 | 党籍 | 在職期間 | 備考 | |
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1 | 杜錫圭 | 1951年7月2日-1954年7月1日 | |||
2 | 杜錫圭 | 1954年7月1日-1957年7月1日 | |||
3 | 頼通堯 | 1957年7月1日-1960年1月17日 | |||
4 | 頼通堯 | 1960年1月17日-1964年3月1日 | |||
5 | 王山 | 中国国民党 | 1964年3月1日-1968年3月1日 | ||
6 | 頼志騰 | 1968年3月1日-1973年4月1日 | |||
7 | 王紹義 | 1973年4月1日-1977年12月30日 | |||
8 | 王紹義 | 1977年12月30日-1982年3月1日 | |||
9 | 陳駿青 | 1982年3月1日-1986年3月1日 | |||
10 | 陳文騰 | 1986年3月1日-1990年3月1日 | |||
11 | 葉満盈 | 無所属 | 1990年3月1日-1994年3月1日 | ||
12 | 葉満盈 | 無所属 | 1994年3月1日-1998年3月1日 | ||
13 | 陳杰 | 中国国民党 | 1998年3月1日-2002年3月1日 | ||
14 | 温国銘 | 中国国民党 | 2002年3月1日-2006年3月1日 | ||
15 | 温国銘 | 中国国民党 | 2006年3月1日-2010年3月1日 | ||
16 | 邱建富 | 民主進歩党 | 2010年3月1日-2014年12月25日 | ||
17 | 邱建富 | 民主進歩党 | 2014年12月25日-2018年12月25日 | ||
18 | 林世賢 | 民主進歩党 | 2018年12月25日- |
対外関係
[編集]姉妹都市・提携都市
[編集]- ワイオミング(アメリカ合衆国 ミシガン州)- 1983年11月24日
- タルラック(フィリピン共和国 タルラック州)- 1984年11月17日
- サンガブリエル(アメリカ合衆国 カリフォルニア州)- 1986年4月7日
教育
[編集]大学
[編集]高級中学
[編集]国民中学
[編集]国民小学
[編集]交通
[編集]種別 | 路線名称 | その他 |
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鉄道 | 縦貫線 | 彰化駅 |
国道 | 国道1号 中山高速道路 | 彰化IC 彰化JCT |
国道 | 国道3号 フォルモサ高速公路 | 快官JCT |
省道 | 台1線 | |
省道 | 台1丙線 | |
省道 | 台14線 | |
省道 | 台14丙線 | |
省道 | 台19線 | |
省道 | 台74線 | 東西向快速公路 彰浜台中線 |
省道 | 台74甲線 | 彰化東外環道 |
観光
[編集]→「彰化市の観光名所一覧」も参照
- 八卦山風景区
- 八卦山大仏
- 彰化不老泉
- 八卦山紅毛井
- 彰化孔子廟
- 元清観
- 聖王廟
- 彰化扇形庫
- 頼和記念館
- 小西街
- 銀行山
- 彰化開化寺
- 彰化関帝廟
- 彰化西門福徳祠
- 定光仏廟
- 彰化慶安宮
- 懐忠祠
- 彰化南瑶宮
- 節孝祠
- 彰化市武徳殿
- 彰邑城隍廟
- 彰化梨春園曲館
- 彰化芸術館(旧彰化市公会堂)
出典
[編集]- ^ “府令 / 臺灣總督府令第47號 / 州、廳ノ位置、管轄區域及郡市ノ名稱、管轄區域”. 官報. p. 168 (1920年9月7日). 2019年6月29日閲覧。