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安詮院貞熊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安詮院 貞熊

安詮院 貞熊(あぜぶ さだくま、1889年明治22年〉4月27日[1] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。彰化市尹、台中市尹。

経歴

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熊本県玉名郡伊倉町大字伊倉出身[2][3]1903年(明治36年)玉名郡南都尋常高等小学校卒業[4]1904年(明治37年)7月、熊本県小学校准訓導検定試験に合格し、玉名郡賢木小学校准訓導となる[2]1907年(明治40年)熊本県師範学校を退学[5]1912年(明治45年)3月、殖産局林業講習所を卒業する[5]

ついで、1915年(大正4年)文官普通試験合格後、翌年、新竹市庁に出仕[1]1920年(大正9年)3月に台湾総督府営林局書記、同年同府属、1932年(昭和7年)台湾総督府地方理事官を経て、台北州基隆郡守となる[1][5]。その後、1936年(昭和11年)12月28日付けで彰化市尹に就任し、さらに、1939年(昭和14年)4月から翌年6月まで台中市尹を務めた[1][6]。退官後は、台湾新聞常務を務めた[6]

戦後、堂園砕石土建取締役を務めた[7]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d 帝国自治協会 1938, 78頁.
  2. ^ a b 台湾新民報社 1937, 1頁.
  3. ^ a b c 太田 1940, 382頁.
  4. ^ a b c 原 1931, 643頁.
  5. ^ a b c 日本行政学会 1934, 433頁.
  6. ^ a b 帝国秘密探偵社 1943, 台湾1頁.
  7. ^ 南日本新聞社 1960, 便覧編26頁.

参考文献

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