名和仁一
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名和 仁一(なわ にいち、1887年(明治20年)6月28日[1] - 1934年(昭和9年)2月10日[2])は、台湾総督府官僚。台中市尹。
経歴
[編集]山形県北村山郡東郷村(現在の東根市)出身[1]。山形県師範学校を経て、1911年(明治44年)に広島高等師範学校本科地理歴史科を卒業した[1]。山形県立高等女学校教諭、宮内省臨時編修局書記、臨時帝室編修官を務めた[1]。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科に合格[1]。台湾総督府に入り、編修官、高雄州教育課長、高雄高等女学校校長事務取扱、台北州地方課長、同勧業課長を経て、1930年(昭和5年)、台中市尹に就任した[1]。その後、総督官房会計課長に転じた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 原幹次郎編『自治制度改正十周年紀念人物史』勤労と富源社、1931年。