藤田正義
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藤田 正義(ふじた まさよし、1895年(明治28年)2月18日[1][2][3] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の拓務官僚、台湾総督府官僚。台中市長。
経歴・人物
[編集]茨城県久慈郡袋田村大字袋田(現・大子町大字袋田)に生まれる[2]。1913年(大正2年)台北中学会を卒業し、独学の末[2]、1915年(大正4年)5月に普通試験に合格した[3]。1916年(大正5年)3月、台湾総督府属となり、1921年(大正10年)拓殖局第二課主任に転じ、樺太やシベリアなどの視察を経て、1923年(大正12年)5月、高等試験予備試験に合格[2]。1925年(大正14年)8月、会計検査院書記となり、同年10月、台湾総督府中央研究所属庶務課会計係長となる[2]。
1928年(昭和3年)8月、財務局予算総括主任に転じ、1932年(昭和7年)4月、地方理事官に進み、台中州南投郡守に就任[1]。ついで台東庁庶務課長、東部開発調査委員会幹事を経て[1]、1938年(昭和13年)10月、台南州新豊郡守に就任したのち、台中市長を務めた[3]。1943年(昭和18年)1月、退官する[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 台湾新民報社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1937年 。
- 太田肥州 編『新台湾を支配する人物と産業史』台湾評論社、1940年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。