小島猛
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小島 猛(こじま たけし、1895年〈明治28年〉2月24日[1] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。彰化市尹、高雄市長。
経歴
[編集]熊本県八代郡和鹿島村大字島地(現・氷川町島地)で興太郎の長男として[2]生まれる[1]。1911年(明治44年)8月、台湾総督府土木課に奉職[1]。その間、私立台北中学舎に入り、1913年(大正2年)4月に卒業[1]。1918年(大正7年)5月、普通文官試験に合格し、台湾総督府工事部書記として庶務課勤務を発令される[1]。
1927年(昭和2年)8月より水利委員会書記を兼務し、1931年(昭和6年)5月に地方理事官に進み、基隆市助役に就任[1]。1934年(昭和9年)5月、台北州蘇澳郡守を経て、1936年(昭和11年)新竹州苗栗郡守に転じた[1]。ついで1939年(昭和14年)4月に彰化市尹を経て[3]、1941年(昭和16年)1月に高雄市長に就任した[4]。
翌年の1942年(昭和17年)5月、官界を去り、台中州青果同業組合常任副組長に就任した[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 台湾新民報社 1937, 91頁.
- ^ 日本官界情報社 1942, コ 五頁、コマ数183.
- ^ 太田 1940, 391頁.
- ^ a b 興南新聞社 1943, 130頁.
参考文献
[編集]- 台湾新民報社 編『台湾人士鑑』呂靈石、1937年 。
- 太田肥州 編『新台湾を支配する人物と産業史』台湾評論社、1940年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂靈石、1943年 。
- 日本官界情報社 編『日本官界名鑑 昭和17年版』日本官界情報社、1942年 。