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「直入郡」の版間の差分

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'''直入郡'''(なおいりぐん)は、[[大分県]]([[豊後国]])にあった[[郡]]。

2021年9月6日 (月) 08:26時点における版

大分県直入郡の位置(薄黄:後に他郡に編入された区域 水色:のちに他郡から編入された区域)

直入郡(なおいりぐん)は、大分県豊後国)にあった

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

歴史

古代

天平12年(740年)頃までに成立したとされる『豊後国風土記』において、豊後国の8つの郡のひとつとして直入郡(なおりのこおり)が挙げられている。同書の直入郡の条には、昔、この地に真っ直ぐに伸びた大きなの樹があったことから直桑(なおくわ)村といったのが訛ったものであると記されている。範囲は、概ね、現在の竹田市全域、由布市の一部(旧庄内町南部)にあたる。

また、承平年間(931年 - 938年)に成立した『和名類聚抄』には、この郡に、朽網、三宅、直入、柏原の4郷があったと記されている。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
直入郡 1座(小)
建男霜凝日子神社 タケヲシモコリヒコノ   (論)健男霜凝日子神社 大分県竹田市神原
(論)穴森神社 大分県竹田市神原
凡例を表示

近世以降の沿革

幕末の知行
知行 村数 村名
幕府領 熊本藩預地 12村 石合村、須郷村、井手野村、名子山村、城後村、釘小野村、橘木村、二俣村、仲村、山浦村、塩手村、小津留村
藩領 豊後岡藩[1] 1町
282村
竹田町[2]、竹田村、十川村、挟田村、柴栗村、部動寺村、真菰村、早水村、小賀村、若松村、村挾村、中村、楠山村、立石村、枝村、七里村、下木村、田原村(飛田郷)、瀬口村、上鹿口村、鹿口村、平村(飛田郷)、千引村、塩付村、坂折村、荒牧村、久原村、山手村、阿蔵村、玉来村、吉田村、篠田村、猿口村、岩本村、河原立村、粟生村、両台小野村、八世村、中尾村、恵良村(矢倉郷)、鑰畠村、栃瀬村、鶴原村、桜瀬村、君ヶ園村、下矢倉村、矢倉村、拝田原村、穴井迫村、庄屋村、宇土村、薊菜村、渡瀬村、山中村(松本郷)、山口村、大中島村、岩瀬村、向山田村、漆迫村、河宇田村、篠尾村、山田村(倉木郷)、長小野村、平原村(倉木郷)、大津留村、大仲寺村、矢原村、小高野村(倉木郷)、牧村、長田村、政所村(長田郷)、江内戸村、倉木村、田井村、神原村、振顔野村、波来合村、井手上村、中角村、舞渡村、名子園村、辻原村、次倉村、高山村、国重村、宮戸村、上瀬口村、長迫村(次倉郷)、下戸村、安養寺村、鹿風紺屋村、高源寺村、尾村、久小野村、田原村(九重野郷)、代滝部村、二俣村、百木村、小川村、鴫田村、舞次村、吉野村、西福寺村、中畑村、田代村、宮平村、入佐村、瓜作村、柏原村、池原村、高練木村、市依野村、新藤村(柏原郷)、陽目村、八屋村、叶野村、中山村、下迫村(柏原郷)、谷尻村、馬場村(葎原郷)、桑木村、山崎村、平原村(葎原郷)、木下村、滝水村、切渡村、杉園村、馬渡村、政所村(葎原郷)、火渡村、小畠村、藤渡村、宮園村、蒔迫村、新藤村(葎原郷)、原村(恵良原組)、恵良村(恵良原組)、井戸村、高城村、上行年村、下行年村、馬背野村、下津江村、南河内村、瀬目村、野鹿村、仁田川村、菅生村、塚原村、上菅生村、甘橡村、原山村、田代村、小塚村、池部村、今村、楠野村、宮園村、石井村、紙漉村(家中郷)、川床村、久保村(家中郷)、仲村(家中郷)、西園村、添ヶ津留村、山田村(矢倉郷)、戸上村、入作村、上坂田村、炭竈村、古園村(家中郷)、刈小野村、阿鹿野村、上畑村、桑迫村、市用村、大畑村、下志土知村、栗川村、大口村、志土知村、北尾鶴村、長田尾村、福原村、鉢山村、神田村、深迫村、宇土村、下坂田村、松尾村、熊地村、小川村、紙漉村(長田郷)、米納村、長迫村(長田郷)、雉ヶ平村、森屋村、高伏村、木原村、和泉村、法泉庵村、轟木村、鍛冶屋村、下平田村、中平田村、上平田村、十一村、古園村(長田郷)、左右水村、小仲尾村、法木村、柿木村、折立村、内ヶ倉村、平村(長田郷)、中野村(長田郷)、政所村(長田郷)、荻迫村、長慶院村、橋宇津村、辻迫村、西長田村、古殿村、小高野村(長田郷)、山田村(長田郷)、入草村、井無田村、田平村、高尾村、鬼田村、栢木村(朽網郷)、馬場村(朽網郷)、老野村、峯越村、山路村、塔立村、八山村、柚木村、冷川村、古市村、橋爪村、岳麓寺村、塔原村、有氏村、湯上村、七里田村、小柳村、向原村、石原村、板切村、仏原村、須崎村、小竹村、市村、石田村、長野村、筒井村、上野村、日向塚村、栃原村、桑畑村、新田村、下河原村、原村(朽網郷)、湯原村、下迫村(朽網郷)、冬田村、辻村、沢水村、久保村(朽網郷)、社家村、仲村(朽網郷)、柚柑子村、日ヶ暮村、伊小野村、高津原村、栢木村(阿蘇野郷)、中野村(阿蘇野郷)、原中山村、井手下村、上重村、今市村、山中村(朽網郷)、練ヶ迫村
肥後熊本藩 1町
6村
久住町[3]、久住村、阿蔵野村、桐迫村、白丹村、宮原村、稲葉村
明治8年の合併
  • 今市村 ← 石合村、山中村(朽網郷)、練ヶ迫村
  • 下田北村 ← 須郷村、仲村(幕府領)、山浦村、塩手村、小津留村
  • 上田北村 ← 井手野村、名子山村、城後村、釘小野村、橘木村、二俣村
  • 三宅村 ← 部動寺村、真菰村
  • 会々村 ← 七里村、下木村、上鹿口村、鹿口村、平村(飛田郷)、千引村
  • 飛田川村 ← 田原村(飛田郷)、瀬口村、塩付村、坂折村、荒牧村、久原村、山手村
  • 入田村 ← 河宇田村、大仲寺村、矢原村、小高野村
  • 門田村 ← 篠尾村、山田村(倉木郷)、長小野村、平原村(倉木郷)、大津留村
  • 太田村 ← 牧村、長田村、政所村(長田郷)、江内戸村
  • 九重野村 ← 安養寺村、鹿風紺屋村、高源寺村、尾村、久小野村、田原村(九重野郷)、代滝部村、二俣村、百木村、小川村
  • 恵良原村 ← 原村(恵良原組)、恵良村(恵良原組)
  • 城原村 ← 木原村、和泉村、法泉庵村、轟木村、鍛冶屋村
  • 平田村 ← 下平田村、中平田村、上平田村、十一村、古園村(長田郷)、左右水村、小仲尾村、法木村、柿木村、折立村、内ヶ倉村、平村(長田郷)、中野村(長田郷)
  • 植木村 ← 政所村(長田郷)、荻迫村、長慶院村、橋宇津村、辻迫村、西長田村、古殿村、小高野村(長田郷)、山田村(長田郷)、入草村、井無田村、田平村、高尾村、鬼田村
  • 長湯村 ← 長野村、筒井村、上野村、日向塚村、栃原村、桑畑村、新田村、下河原村、原村(朽網郷)、湯原村、下迫村(朽網郷)、冬田村、辻村、沢水村、久保村(朽網郷)、社家村、仲村(朽網郷)、柚柑子村
  • 阿蘇野村 ← 日ヶ暮村、伊小野村、高津原村、栢木村(阿蘇野郷)、中野村(阿蘇野郷)、原中山村、井手下村、上重村
  • 十川村・柴栗村が挟田村に、早水村・小賀村・若松村・村挾村が中村に、楠山村・立石村が枝村に、阿蔵村が玉来村に、篠田村・猿口村・八世村・中尾村・恵良村(矢倉郷)が吉田村に、河原立村・粟生村・両台小野村が岩本村に、鑰畠村・栃瀬村・鶴原村・下矢倉村・矢倉村が君ヶ園村に、桜瀬村が拝田原村に、庄屋村・宇土村・大中島村が穴井迫村に、薊菜村・山中村(松本郷)・山口村が渡瀬村に、漆迫村が向山田村に、振顔野村・波来合村・井手上村が神原村に、舞渡村・名子園村・辻原村が中角村に、高山村・国重村・宮戸村・上瀬口村・長迫村(次倉郷)・下戸村が次倉村に、鴫田村・舞次村・吉野村・西福寺村・中畑村・田代村・宮平村・入佐村・瓜作村・池原村・高練木村・市依野村・新藤村(柏原郷)・陽目村・八屋村・叶野村・中山村・下迫村(柏原郷)が柏原村に、谷尻村が馬場村(葎原郷)に、山崎村が桑木村に、平原村(葎原郷)・滝水村・切渡村が木下村に、杉園村・馬渡村が政所村(葎原郷)に、火渡村・小畠村が藤渡村に、宮園村・蒔迫村が新藤村(葎原郷)に、上行年村・下行年村が高城村に、井戸村・下津江村が馬背野村に、瀬目村・野鹿村・仁田川村が南河内村に、塚原村・上菅生村・甘橡村が菅生村に、原山村・田代村・池部村が小塚村に、楠野村・宮園村・石井村が今村に、紙漉村(家中郷)・山田村(矢倉郷)が川床村に、仲村(家中郷)・西園村が久保村(家中郷)に、入作村が上坂田村に、阿鹿野村が刈小野村に、桑迫村が上畑村に、大畑村が市用村に、栗川村が下志土知村に、大口村が志土知村に、鉢山村・神田村・宇土村が福原村に、深迫村・松尾村が下坂田村に、北尾鶴村・熊地村・長田尾村が小川村に、紙漉村(長田郷)・長迫村(長田郷)・雉ヶ平村が米納村に、森屋村が高伏村に、馬場村(朽網郷)・老野村・峯越村・山路村・塔立村・八山村・柚木村・冷川村・古市村・橋爪村が栢木村(朽網郷)に、岳麓寺村・塔原村・湯上村・七里田村・小柳村・向原村・石原村・板切村が有氏村に、須崎村・小竹村・市村・石田村が仏原村に、久住町・阿蔵野村・桐迫村が久住村に、宮原村・稲葉村が白丹村にそれぞれ合併。
  • 明治11年(1878年11月1日 - 郡区町村編制法の大分県での施行により、行政区画としての直入郡が発足。郡役所が竹田町に設置。
  • 明治20年(1887年) - 高城村が恵良原村に合併。(1町68村)

町村制以降の沿革

1.竹田町 2.豊岡村 3.岡本村 4.玉来村 5.松本村 6.入田村 7.嫗岳村 8.宮砥村 9.柏原村 10.荻村 11.菅生村 12.宮城村 13.城原村 14.明治村 15.白丹村 16.久住村 17.都野村 18.長湯村 19.阿蘇野村 20.下竹田村(紫:竹田市 桃:由布市)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・竹田市。(1町19村)
    • 竹田町 ← 竹田村、竹田町
    • 豊岡村 ← 会々村、飛田川村
    • 岡本村 ← 三宅村、挟田村、中村、枝村
    • 玉来村 ← 玉来村、拝田原村、吉田村、岩本村
    • 松本村 ← 穴井迫村、君ヶ園村、渡瀬村、岩瀬村、向山田村
    • 入田村 ← 門田村、入田村、太田村
    • 嫗岳村 ← 田井村、倉木村、神原村、中角村
    • 宮砥村 ← 次倉村、九重野村
    • 柏原村(単独村制)
    • 荻村 ← 藤渡村、新藤村、馬場村、桑木村、木下村、政所村、恵良原村、馬背野村、南河内村
    • 菅生村 ← 今村、菅生村、戸上村、小塚村
    • 宮城村 ← 炭竈村、上坂田村、上畑村、刈小野村、古園村、志土知村、川床村、市用村、久保村、下志土知村
    • 城原村 ← 米納村、高伏村、城原村、下坂田村、小川村、福原村
    • 明治村 ← 平田村、植木村
    • 白丹村 ← 白丹村、添ヶ津留村
    • 久住村(単独村制)
    • 都野村 ← 仏原村、栢木村、有氏村
    • 長湯村(単独村制)
    • 阿蘇野村(単独村制。現・由布市)
    • 下竹田村 ← 下田北村、上田北村
    • 今市村が大野郡今市村の一部となる。
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治39年(1906年6月30日 - 玉来村が町制施行して玉来町となる。(2町18村)
  • 大正9年(1920年1月1日 - 久住村が町制施行して久住町となる。(3町17村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和17年(1942年
    • 4月1日 - 竹田町・豊岡村・明治村・岡本村が合併し、改めて竹田町が発足。(3町14村)
    • 7月1日 - 「直入地方事務所」が竹田町に設置され、本郡を管轄。但し、一部は「大分地方事務所」の管轄。
  • 昭和23年(1948年)4月1日 - 長湯村が町制施行して長湯町となる。(4町13村)
  • 昭和25年(1950年
    • 1月1日 - 阿蘇野村の所属郡が本郡から大分郡に変更。(4町12村)
    • 9月1日 - 竹田町の一部(会々・飛田川)が分立して豊岡村が発足。(4町13村)
  • 昭和29年(1954年3月31日(2町4村)
    • 白丹村・久住町が合併し、改めて久住町が発足。
    • 竹田町・豊岡村・玉来町・松本村・入田村・嫗岳村・宮砥村・菅生村・宮城村・城原村が合併して竹田市が発足し、郡より離脱。
  • 昭和30年(1955年
    • 3月20日 - 久住町・都野村が合併して久住都町が発足。(2町3村)
    • 3月31日 - 長湯町・下竹田村が合併して直入町が発足。(2町2村)
    • 4月1日 - 柏原村・荻村が合併して荻町が発足。(3町)
  • 昭和31年(1956年2月1日 - 直入町が大野郡朝地町の一部(神堤)を編入。
  • 昭和32年(1957年1月15日 - 久住都町が改称して久住町となる。
  • 平成17年(2005年)4月1日 - 荻町・久住町・直入町が竹田市と合併し、改めて竹田市が発足。同日直入郡消滅。

変遷表

自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和63年 平成元年 - 現在 現在
竹田町 昭和17年4月1日
竹田町
竹田町 昭和29年3月31日
竹田市
竹田市 平成17年4月1日
竹田市
竹田市
岡本村
明治村
豊岡村 昭和25年9月1日
豊岡村
玉来村 明治39年6月30日
町制
玉来町
松本村 松本村 松本村
入田村 入田村 入田村
嫗嶽村 嫗嶽村 嫗嶽村
宮砥村 宮砥村 宮砥村
菅生村 菅生村 菅生村
宮城村 宮城村 宮城村
城原村 城原村 城原村
荻村 荻村 荻村 昭和30年4月1日
荻町
柏原村 柏原村 柏原村
久住村 大正9年1月1日
町制
昭和29年3月31日
久住町
昭和30年3月20日
久住都町
昭和32年1月15日
改称
久住町
白丹村 白丹村
都野村 都野村 都野村
長湯村 長湯村 昭和23年4月1日
町制
昭和30年3月31日
直入町
下竹田村 下竹田村 下竹田村
阿蘇野村 阿蘇野村 昭和25年1月1日
大分郡
昭和29年11月1日
大分郡
庄内村の一部
由布市

行政

  • 歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1878年)11月1日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 右記のほか原村がもう一ヶ所と来村が記載されているが、詳細不明。
  2. ^ 無高のため記載なし。
  3. ^ 無高のため記載なし。
  4. ^ 末広利人「日田県管地化の実体:佐伯藩預所の場合 (PDF) 」 大分縣地方史 No.105(1982年3月) pp.20- 37、大分県地方史研究会

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 44 大分県、角川書店、1980年11月1日。ISBN 4040014405 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

先代
-----
行政区の変遷
- 2005年
次代
(消滅)